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2/19(水)、會津八一記念館「八一を知る、八一がわかる」を見に行ってきました。
新潟出身の書家で歌人の會津八一の生涯を、その作品とともに振り返る。
数多くの作品を残し、晩年は新潟市名誉市民に選ばれるほどだった會津八一ですが、実は左利きだったので幼少期は書道が苦手だったという意外すぎる境遇。
そこで八一はまずは直線や渦巻などを書くことで筆遣いの基礎を学び、さらに読みやすさを重視して活字の楷書を参考にして書を学んだという、とにかく基本に忠実に書を学んだ人だと伝わってきました。
また最初は細い筆跡だったのが、次第に太くて力強い自分の作風を身に着けていったそうで、努力と継続の大切さは八一でも同じだなあと感じましたね。
また日本や中国、ギリシアの美術の研究も熱心に行い、特に仏教美術の研究は奈良に通うほど熱心に行った。
その経験は自分の書や短歌の創作だけでなく、早稲田中学の教員、早稲田大学の教授という仕事にも生かされ、それが晩年の夕刊新潟社の社長就任や新潟市名誉市民の受賞などに繋がっていく。
また、書を学ぶ上で、同じ新潟出身の良寛や中国の故事などを参考にしたそうで、中でも晩年に書いた李白の詩は掛け軸が十二幅にもなりすごい迫力でした。
特に僕が印象だったのは、「獨行」「獨住」と力強く書かれた作品。
晩年に故郷の新潟で暮らしながら、一人で生きていくと決心した八一の意志が感じられました。