舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

東海テレビが、自らテレビ局の内部にカメラを向けたドキュメンタリー。「さよならテレビ」観てきました。

2020-02-20 14:04:21 | Weblog


2/19(水)、シネ・ウインドで「さよならテレビ」を観てきました。





予告編はこんな感じです。



愛知県のテレビ局、東海テレビが作ったドキュメンタリーです。
東海テレビってテレビ局なんだけど、現代を生きるヤクザのリアルな実態に迫った「ヤクザと憲法」、農作業をしながら生きる老夫婦を追った「人生フルーツ」など、様々な面白いドキュメンタリー映画を作っていて好きなんですよね。

そんな彼らが、ついに自分自身のテレビ局の内部に自らカメラを向けた!
報道の現場そのものが撮影者となり被写体となるという企画の時点で興味深いのですが、果たして何が映っているのか…

映画では、とにかくテレビ局の看板であるニュースの部署を中心に、様々な人々を映していきます。
メディアや報道の価値が問われる時代に正しい報道は何かという模索と視聴率との狭間でもがくキャスター、とにかく報道の在り方を勉強し続けるベテラン社員、中にはうまくキャスターとして働けずに苦しむ新入社員まで(プライベートではアイドルオタクという実態まで映す)…

そんな映画の中で、東海テレビが震災後に「セシウムさん」という放送事故を起こしてしまった事件のテレビ局だったのかと自ら明かしていきます。
僕は「セシウムさん」事件は知っていて、ひどい事件だと思っていたのですが、それがこの東海テレビで起きていた、ということは、正直この映画を観て初めて知ったので、なかなかの衝撃でした。

ベテラン社員たちは必死に報道の在り方を学び、あの悲劇を絶対に繰り返さないという必死さが伝わってくるようだった。
もしかしたら、こうして完成度の高いドキュメンタリーを作り続けているのも、自分たちの失敗した分、本当に正しい報道を世の中に届けようという気持ちに現れなのかも知れないと思いました。

そんな中でも、いわゆる「炎上案件」みたいなものは再び起こってしまい、再び苦しむキャスター達…
まさに生放送の報道番組は命懸けなんだな…

…と思いつつも、確かに過剰に叩いて炎上させるのはどうかと思う一方で、彼らに同情して甘やかした目で報道を見るのもそれはそれで間違ってるよな、なんてことを思ったりしました。
フェイクニュースや偏向報道など、メディアの存在価値が問われている時代、視聴者である我々一人一人も、報道番組に対して厳しい目は持っていないといけないんでしょうね…

最後の最後、ノンフィクションのドキュメンタリーとして上映してきたこの映画そのものも、実はカメラが向く前に事前の打ち合わせや段取りがあったという、まさかの種明かしをしてしまうんですよね。
まさに、この映画そのものが、ドキュメンタリーは完全に真実と言い切れるのか、それは見ているだけでは伝わらないのではないか、という、メディが常に孕んでいる危険や自己矛盾を、観客に突き付けるような終わり方をあえてしているんですよね。

そこを隠して、ただの感動のドキュメンタリー映画にすることもできたと思いますが、そこをしないところは誠実だと思いました。
まさに、自分たちが扱っている、テレビや映画、報道、メディア、ドキュメンタリーというものはこういうものである、という真実に真っすぐ向き合い、その判断を観客一人一人にゆだねるという、覚悟のドキュメンタリー映画なんだと思いました。

しかし、一ヶ所だけ疑問が残ったのは、そこまで覚悟のドキュメンタリーをするのであれば、震災後の「セシウムさん」事件がどうして起こってしまったのか、そこにあらためて向き合っても良かったのではないだろうか…?
全体的にいい映画だっただけに、そこだけ疑問が残りました。
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