2/5(火)、イオンシネマ新潟南で『メアリーの総て』を観て来ました。
新潟市内ではイオンシネマ新潟南だけでの上映だったようです。
予告編はこんな感じです。
この映画は、怪奇小説の「フランケンシュタイン」を18歳で書いた実在の人物メアリー・シェリーの少女時代を描いた伝記映画です。
メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を生み出すまでの日々が描かれているのですが、とにかく壮絶な半生でした。
まず、そもそもメアリーは父が作家であるという影響もあるのか、空想が好きな子供であり、特に怪奇趣味があるようで、よく墓地や屋根裏などで自分の創作した物語を書いています。
しかし、メアリーの実の母は亡くなっているようで、継母と暮らしているのですが、その継母がメアリーが小説を書いていることをよく思っていないんですよね。
おそらく、当時は女の子が怪奇小説を書くこと自体、恥ずかしいこととされていたようなんですよね。
ここらへん、自分も文章を書くのが好きな人間の一人として、周囲に反発されながらも自分の好きな物語を書きたいメアリーにかなり感情移入してしまいました。
あまりにメアリーと継母が衝突するので、父の友人の元に預けられることになるのですが、その時もメアリーがちゃんと自分のノートを持って行くあたり非常にぐっとくるポイントでした。
そこでメアリーはその家の息子であるパーシーと出会うのですが、詩人であったパーシーは作家になりたいメアリーにとってはまさに憧れの存在、メアリーはおそらく人生初の恋に落ちてしまうという、まさに運命的な出会いを果たします。
しかし、これは家族にも反対されるまさに禁断の恋、二人は駆け落ちすることになりますが、これが悲劇の始まり。
まだ十代であったメアリーは初めての妊娠・出産を経験するのですが、その子供が亡くなり、さらにパーシーには実は妻子がいたことが判明するなど、とにかく昼ドラもびっくりの壮絶すぎる人生が次々と展開していきます。これが実話だというから驚きです。
そんな訳で、家族との衝突、禁断の恋と裏切りと別れ、出産や子供との死別など、メアリーにとっては気の毒な出来事が次々と起こるたくさん起こるんだけど、その一つ一つが彼女が「フランケンシュタイン」を生みだすことに繋がっていくんですよね。
後世に語り継がれる名作「フランケンシュタイン」の裏にはこんな壮絶な悲劇があったのか…という驚きとともに、あらゆる悲劇のすべてが一つの物語へと繋がっていたという彼女の人生を見ていると、小説を書いたりするのも好きな人間としては、どうしてもそこにぐっときてしまうものがありました。
何というか、人間が生きていれば悲しいこと、つらいことが必ずたくさんありますが、物語を書く人間にとっては、そういう体験も決して無駄になっているわけではない、という考え方もできるなあと思うんですよね。
もちろん、悲しいことやつらいことがないに越したことはないんですけど、それでもどうしようもない時、人は物語を書いたりするのかも知れないな、物語を書くという行為は人間の救いなのかも知れないな…
などと、そういう作家論的な視点で、僕はこの映画を楽しむことができました。
今思えばメアリーの気持ちの変化など、僕はちょっと見逃した部分もあるのかもしれないなあと思えてきたので、できればもう一度観たいですね。