日本は「自衛のため」「アジア解放・人種差別を打ち砕くため」に戦った
では、当時の日本は、なぜ米国を中心とした国々と戦わなければならなかったのか。理由はいくつかあるが、大きく2つ挙げられる。1つ目は、「自衛のために戦った」という点だ。
大戦前の1929年に、世界恐慌が起こると、欧州諸国は自国の経済を守るために、植民地を含めた「ブロック経済体制」を敷き、外国との貿易に高い関税をかけた。一方、広い経済圏を持たない日本は、満州人が求めていた満州国の建国を助けるなどして、中国大陸に活路を見いだした。
ところが、中国大陸で権益拡大を狙っていた米国との間で利害がぶつかる。米国は「ABCD包囲網」と呼ばれる経済封鎖で、石油などの資源が日本に入らない仕組みをつくった。資源小国の日本は追いつめられ、自衛のために対米戦争に踏み切らざるを得なくなった。この点については、GHQのマッカーサー最高司令官も戦後の米議会で、「日本が戦争へと進んだ目的は、おおむね自衛のためだった」と認めている。
次に挙げられるのは、「日本は、欧米によるアジアの植民地支配や、人種差別を撤廃するために戦った」という点だ。
20世紀初頭、米国では日本人の排斥が始まった。各州で日本人移民から帰化権や国籍を剥奪する動きが加速し、1924年には米連邦議会で、日本からの移民を実質的に禁じる「絶対的排日移民法」が成立。日本人の中に、米国への嫌悪感が高まっていった。
こうした流れの中で、日本は、欧米の植民地にされていたアジアの解放を掲げて戦い、次々と欧米の軍隊を撃破。これをきっかけに、欧米列強に支配されていた、フィリピン、インド、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシア、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、シンガポールの人々が立ち上がり、独立を勝ち取っていった。戦後も、これらの多くの国は親日的である。