ガンで亡くなった友の命がけのメッセージ
http://voicee.jp/2015032610804
仲間と夢を語り明かした日々
故・S君(享年33歳)と僕は学生時代に知り合い、すぐに意気投合して親友になりました。同じ信仰を持つ仲間5人で、毎日のように彼の家に集まっては、将来の夢や信仰について語り明かしました。
底抜けに明るく、チャレンジ精神旺盛なS君は「俺、人を幸せにできる起業家になりたいんや。いつか、世界にも出て行くで~!」と言って、大手通信会社のプロジェクトスタッフや営業マンなど、いろんなことに挑戦していたようです。彼が地元の富山県に戻ってからは、たまに電話で話す程度でしたが、いつも親身になって話を聞いてくれる彼に、僕は深い縁を感じていました。
ガンが見つかって
ところがあるときから、S君の声にどことなく元気がありません。僕は仕事中も彼のことが気にかかり、あるとき電話をかけてみることにしました。
「S、最近どう?」
「……実はな、俺、ガンなんや」
予想もしていない答えでした。聞いてみれば、少し前に、腹部のガンが見つかったとのこと。病院に行った時には末期の状態で、手術もできないほどでした。しかし気丈な彼は、僕たちに心配をかけまいと黙っていたのです。
そして彼は「ガンって、自分の心の傾向性にも原因があるって言うやろ?俺、自分の心を正して、ガンを治そうと思うんや」と、強気な口調で話していました。
昔の仲間も集まってできるかぎりのことをした
ショックでしたが、親友が病気と闘うのを、黙って見ているわけにはいきません。
治る可能性がある限りできることは何でもしたいと思い、僕はすぐ昔の仲間に連絡し、みんなでガンに効く薬や病院を探しました。
仲間の1人が、大阪に良さそうな気功の施術院を見つけました。また1人が、わざわざ富山から出てくるのだから、琵琶湖正心館にも行って『強力・病気平癒祈願』を受けてはどうかと提案。話はどんどんと決まっていきました。
そして当日。
何年ぶりかに見たS君は、ガリガリに痩せていました。
見るも痛々しい姿でしたが、彼は以前と変わらぬ明るい笑顔を見せてくれました。
車で精舎と病院を回り、夜はみんなで僕の家へ。S君を休ませながら栄養たっぷりの料理を作り、昔のように盛り上がりました。
ふと気がつくと、横になっていたS君が布団にもぐりこみ、「僕のために……ありがとう」と、声を殺して泣いています。
僕は心の中でS君に「独りで我慢せんでええ」「一緒に乗り越えようや」と語りかけました。
青年部活動への意気込み
以前から、人を思いやる心が強かったS君。病気と闘いながらも、「みんなに幸せになってほしい」と、病院で知り合った人や幼なじみに伝道していました。
2007年の3月18日、東京正心館で説かれた大川隆法総裁先生の法話「青年と勇気について」にも、彼は支部の法友と一緒に駆けつけました。総裁先生のお話を直接聴けたことが、よほどうれしかったのでしょう。帰ってからも、支部の婦人部の方に「僕、青年部活動を頑張ります!富山の皆さんのお役に立ちたいんです」と、やる気満々で話していたそうです。
関西青年部で支援の祈り
4月に入り、S君から「歩けなくなってきたし、食べれないし、厳しい状態。もう仏に任せようと思っとる」とメールが届きました。
彼が諦めかけていることを感じました。
いつもの仲間4人だけの力では足りないと、関西青年部のみんなの力を借りることに決めました。意を決して、知りうる限りの法友にS君の事情を説明し、支援の祈りをお願いしました。
すると、みんなが互いに呼びかけ合い、時間を合わせてお祈りしてくれることになったのです。そのなかには、S君のことを直接は知らない人もいました。
幸福の科学の仲間たちの愛に、胸が熱くなり、涙が止まりませんでした。
彼らから次々と届く励ましのメールをS君に転送すると「俺も同じ時間にお祈りさせていただいた。もう言葉にならん。みんなの温かさに涙々やった。完全復活して、伝道に、報恩に生きるわ。その生き方で、皆さんにお返ししていくわ。皆さん、大きな大きな光をありがとうございます」と返事が。
みんなの思いが届いたのか、数日後、S君の容態が少し安定したと聞きました。
僕は久しぶりに電話をかけてみました。
「みんな、お前のことを応援してくれてるで。はよ元気になれよ」
そう言うと、彼は、声をあげて泣き始めたのです。
体はボロボロでも魂は救われているとわかり、僕は少し、ほっとしました。
命がけで伝道の大切さを教えてくれている
しかし、ガンは着実に進行しました。ある日彼は、痛み止めのモルヒネすら効かない激痛のなか、健康になって伝道したいわと、僕にメールを送ってきました。
その続きには、こうありました。
「病気になって、まるで火あぶりされてるような激しい痛みを味わって、叫んだり転げまわったりしてるうちに、ふと、『真理に縁なく死んでいく人たちは、あの世でこれ以上の魂の痛みを味わうことになるんやろうな』と思ったわ」
こんな状況にありながら、彼は他の人の痛みのことを考えていたのです。
「縁ある人に、こんな痛みを味わわせたらいかん、と思った。どんな善人でも、この時代に生まれて三宝帰依しなかったことに対する魂の痛みを味わうはず。僕らは、そんな魂の救済をしてるんやから、堂々と伝道していくわ!」
S君は、伝道の大切さを命がけで教えてくれていたのです。
最後の約束を交わした
春ごろ、僕は仲間で連れ立って、富山の病院にお見舞いに行きました。
病室にしつらえた小さな祭壇の前で、S君はベッドに身をおこし、「よう来たな~」と僕たちを迎えてくれました。
人の心を和ませる、優しい笑顔――。後から聞いた話ですが、僕たちが到着する直前に強いモルヒネを打ち、痛みをこらえていたそうです。
そんな彼は、「M君、俺な」と僕に呼びかけ、夢を聞かせてくれました。
「富山でめっちゃ魅力的な青年部を作りたいねん」
その気持ちに僕も精一杯答えました。
「よっしゃ、俺は関西で頑張るわ。だからお前も、富山から愛と勇気の伝道の波紋を広げてくれよ。一緒に、仏法真理を世界の常識にしていこうな」
これが、彼との最後の約束になりました。
亡くなった仲間の支援を感じる
5月中旬。幸福の科学の仲間たちの心に、伝道への情熱を遺し、S君は帰天しました。彼は最後まで、みんなの幸せを祈っていたそうです。
僕は葬儀の帰り道に、病気は治らなかったけれど、S君にはあの世で新しい使命があるのだろうと思いました。
すると、数日前にばったり再会した、中学時代の友人の顔が心に浮かんできたのでした。
もしかすると「あいつに伝道するように」とS君が教えてくれているのかもしれないと思い、心の中で「よし、S、応援してくれよ!」と意気込みました。
さっそくその友人に連絡し、S君のことを話しました。
「この間、親友がガンで亡くなってな。まだ33歳やで。普通なら死ぬの怖いやろ?でもそいつ、幸福の科学で真理を学んで、人間の生命は永遠やって信じてたから、最後まで希望を持って生きることができたんや。あいつの姿を見てて思ったけど、生きてるうちに、あの世のことを知るって大事やで。生き方が変わってくるねん」
話しながらS君の応援を感じていました。最初は戸惑っていた友人も、最後は僕を信頼し、幸福の科学への入会を決意したのです。
法友とともに未来へ
S君のことを考えると、「今生かされていることに感謝しながら、彼の分まで、たくさんの人のお役に立とう」と、気が引き締まります。いずれあの世で再会したときには、今世の僕らの頑張りを、S君への土産話にしたいと思います。
「仏法真理を、世界の常識にしたい!」
S君の志は、僕たちの心の中で、確かに「復活」しました。夢と自信をもって仏法真理を伝え続けます。