羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

鈴蘭通り 2

2016-04-10 15:31:20 | 日記
今は資格取得の座学の多い時期であった為、予備校が無ければ放課後取り敢えず直帰は出来た。
「たい焼き、いいね。久し振りだ」
「やったっ!」
 同意すると、侑香は克己の腕を引っ張るようにして近くのバス停から見て、鈴蘭通りの入り口の辺りにあるたい焼き屋、川野屋に向かわせた。
 克己はできれば平日の鈴蘭通りを使うのは避けたかった。通りを抜けた先の坂を上がるとこの近辺の住宅街で育った多くの者が通う都立のF高校があり、鈴蘭商店街の外れにある鈴蘭通りはF高校の学生の通学路であった。バス移動の時間がある分、F高校の部活に参加しない学生の下校時間とはズレていたが、鈴蘭通りを使うと自然とF高校の学生達と擦れ違う事になる。
 F高校はやや偏差値が高い事もあり風紀は安定しており、F高校の男子学生に絡まれるという事はまず無かったが、克己の出身中学の者が多く通う高校である為、むやみに知り合いに会ってやり取りするのが面倒だったのと、昨年の10月の半ば頃まで付き合っていた石岡千草がF高校に通っているからであった。
「あんこと、侑香は?」
「カスタードっ」
 侑香は顔を少し上気させて答えた。千草と入れ違いになるようにして克己と交際する事になった侑香はこの鈴蘭通りを通って二人で下校する事に拘りがあり、なんならこの通りで千草と遭遇する機会を待っていた。特別侑香は当たりの強い性格ではなかったが、自分達がこそこそ逃げ回るようにして鈴蘭通りを避けて下校するというのは我慢ならなかった。
「毎度あり。二人、仲良くね」
「どうも」
「またねっ、おばちゃんっ!」
 それぞれのたい焼きを川野屋で買って、二人は食べながら鈴蘭通りを歩いていった。

鈴蘭通り 3

2016-04-10 15:28:24 | 日記
と、通りの先の文房具屋の前を石岡千草と池尾健二郎が歩いてくるのが見えた。
「わ、来た」
 カスタードのたい焼きを手に思わず声に出してまった侑香は克己に振り向かれると慌てて克己から目を逸らしつつ、持っていた克己の腕に強く体を寄せた。
「千草だな」
 克己は立ち止まったまま呟き、まだ気付かずこちらに歩いてくる千草を見詰めた。同じ街に住んでいても、別れてから直に見るのは初めてだった。
「隣の人、今カレだよ、きっと」
 早口で言う侑香。仕切りにカスタードのたい焼きをかじっていた。小学生の時に少しイジメられていたという侑香はあまりプレッシャーに強い方ではなかった。
「あれは池尾健二郎ってやつだ。あんな感じだったかな?」
 健二郎も保育園の頃から知っているはずだが、その頃の印象は特に無く、小学生の頃も小柄で算盤と卓球を習っているくらいの事しか知らなかった。だが、中学に上がり、算盤と卓球を辞め、ソフトテニス部に入ると急激に身長が伸び、土居哲也達の派手なグループに入ると人が変わり、学校では常に目立っていた。今、千草と共にこちらに歩いてくる健二郎にはその面影は無く、髪を短く刈り、学ランの上に地味なダッフルコートを着て、体も鍛え直したようだった。
「立ってると変だよ」
「ああ」
 侑香に促され、克己は歩き出した。少し緊張して、侑香と腕を組んでいない、スクールバッグを肩に掛けた方の手に持っていた食べかけのたい焼きをそれ以上かじれずにいた。余裕ぶってかじるのは反って滑稽に見えるような気もした。
 10メートルも歩かない内に千草達も健二郎達に気付いた。

鈴蘭通り 4

2016-04-10 15:28:18 | 日記
千草は二人に気付くと健二郎と話すのやめて歩きながらまず侑香を見詰め、それから克己を見詰め、そのまま目を離さなかった。強く見ているワケではなく、ふとした時に鏡か何かを見詰めるような、自分の内側を見るような眼差しだった。
 健二郎は侑香の事もチラリとら見たが、すぐにかなり緊張した顔で克己を見詰め、間を置かずに軽く片手を上げて合図してきた。克己も軽く片手を上げて応える。健二郎とは中学時代もそれ以前も、親しく話した事も何か揉めた事も、一切無かった。こうして千草と合わせて二人で現れるまで、克己の中では顔も名前も忘れた人間だった。
 二組は文房具屋と川野屋のちょうど中間辺りにある喫茶ぶらじる、の前で向かい合う形になった。
「塩澤、久し振り。中学以来か?」
「何回か見掛けた事はあったけど」
 意識して見た事はなく、正直、地味で精悍な様子に変わったこの男が健二郎だとついさっきまで思い至らなかった。
「元気? 克己」
 千草が言うと、相変わらず地声が低いと思い、克己は少し笑みを浮かべた。
「元気だよ。職業研修ばっかりでうんざりしてるけどさ」
「まともに授業組んでくれてるんだからいいことだよ。ウチは受験受験だもんね?」
「うん、そう。ま、ね」
 健二郎は切り出し方に戸惑っているようだった。
「新しい彼氏さんですか?」
 新しい、と付け加える必要は無かった。侑香は自分の意外な攻撃性に、自分で混乱してしまった。四人で立ち止まったまま沈黙し出すと、侑香はカスタードのたい焼きと克己の腕を持ったまま泣き出した。
「ごめんなさいっ」
「侑香」

鈴蘭通り 5

2016-04-10 15:28:12 | 日記
「あ、いいっていいってっ! そうなんだ。先月から俺達付き合い始めたんだよ。そうそうっ」
 男達は慌てて侑香を気遣ったが、千草は度量のある顔で侑香に優しく声を掛けるにはいやらしい気がして、ただ眉を寄せ、泣き続ける侑香を見ていた。克己は侑香に話し掛けつつそんな千草の変わらないやや不器用な対応を懐かしく思っていた。
 例えば夏の日、

 去年の町内会主催の盆踊りに行った夜。公民館の横にあるグラウンドを使った花火が上がるワケでもない簡素なものだったが、浴衣を着た克己と千草はそれなりに楽しみ、千草は飼うの大変だと克己に忠告されても金魚を二尾掬って水と一緒にビニール袋に詰めてもらって機嫌良くそれをぶら提げて帰り道を歩いていた。
 その後ろから子供数人の笑い声が、走る足音と「気を付けなさいよっ!」という母親らしい声と共に近付いてきた。千草は金魚につける名前をムーミンの童話からつけるか、それとも古本屋で見付けてハマったという犬夜叉からつけるかと、夢中で話していたが、克己は何気に振り返った。
 兄と弟らしい浴衣を着た二人の子供がかき氷のカップを持ったまま、ロクに前を見ずに何かふざけて笑い合いながら千草の方に走り込んできていた。
「危ないっ!」
「何っ?」
 千草は振り返り、
「えっ?」
 兄弟の兄の方は克己の声に気付いて立ち止まったが、弟の方はそのまま千草にぶつかり、かき氷を千草の浴衣の腰の辺りにぶちまけた。
「わっ?!」
 弟は驚いて千草を見上げ、千草はすぐに事態を理解して、その子供の次の言葉を待ったが、弟はただただ千草を見上げるばかりだった。

鈴蘭通り 6

2016-04-10 15:28:06 | 日記
「ウチの子が、すいません!」
 母親が大声で言って浴衣で駆けてきて、その夫らしい男もやや遅れて速足で歩いてきた。夫は何か言い掛けたがその前に財布を取り出した母親が捲し立ててきた。
「クリーニング代っ、払います!」
「結構です。それよりこの子は謝っていません。ちゃんと謝らせて下さい」
 千草は真顔で答え、母親を唖然とさせた。克己は最初の対応の時点でマズいと思ったが、母親の反応から、これは地雷タイプだと思った。
「千草」
 克己は千草の腕に触れたが、既に興奮しているらしい千草にその手を振り払われた。
「この子が、謝るべきです」
 念押す千草。母親と千草を交互に見比べていた弟は声を上げて泣き出した。
「君、泣いてもダメ。自分がした事に責任を取りなさい」
 千草は真顔で続けたが、子供は泣くばかりで、母親の方は一気に顔を紅潮させた。
「何なのっ?! ウチの子が泣いてるじゃないっ! 子供が走るのは当たり前でしょう?! 偉そうにっ! あなた高校生よね?! 何様なのっ!!」
「言ってる意味がわかりません。子供でも、あなたの子供でも悪い事は悪いです。私が高校生だろうが社会人だろうが関係ありません。あなた、それでも母親ですか?」
「何だよお前ッ!!!」
 母親は千草に掴み掛かろうとして夫に羽交い締めにされるようにして止められた。
「よしなさいってっ」
 弟だけでなく、傍でオロオロしていた兄まで泣き出した。
「千草っ、もういいから、行こうっ」
 克己は両手で千草の肩を持って立ち去ろうとした。
「何がいいの?! 何もよくないよっ! 克己っ、離してっ」