固有の文法というのは一つの病気だと思うが、作家はその病気を通して世の中を見るものでもあるはず。そうであっても普通はバランスを取るんだろうけど今回は基本的には思うままに作られたらしい。思うままに作って大きく破綻することはなかったのは経験値と実写であることと日本が舞台であることと現実が震災を経たことと特撮の相棒が腕利きだったことと、そしてゴジラであることがやはり利いていた。
シン・ゴジラは天の裁きではなく地上の痛みから現れた者だった。クトゥルフ神話的な歴代でもっとも醜悪な第2形態が無心に這い進む様子は赤子に見えた。どこに向かうというよりその子は我々の所に来て、人間達が与えようとした死には焼けつく嘔吐をもって応えた。死に死で応えるのは愛が無いが、その喪失が膨大な破滅を生むのはそれが致命的なことだということじゃないかな? シン・ゴジラは動物の思考ですらないが、第一作とは真逆に我が身と引き換えに起因を与えたとみられる教授の思考だけで動いているワケでもない。最初はただ来て、人間から死を学ぶとただ殺し尽くす者に変化しようとしていた。僅かに教授の思考や画策に愛らしきモノが霞んでいるだけだ。
一方で主人公達は快活。このノリに乗れない人達が鼻白む程に粛々と日本人として人としてするべきことを行ってゆく。そして、最終的にはゴジラをああいった形で保留する。首の皮一枚の状態だが殺しも追い出しも敗れもしない。長い長い保留。考える時間。シン・ゴジラに託された様々の意味もまさに保留で、この世界はまだ考え戦う価値があると、あの怒りに満ちた凍えるシルエットが示しているようだった。
シン・ゴジラは天の裁きではなく地上の痛みから現れた者だった。クトゥルフ神話的な歴代でもっとも醜悪な第2形態が無心に這い進む様子は赤子に見えた。どこに向かうというよりその子は我々の所に来て、人間達が与えようとした死には焼けつく嘔吐をもって応えた。死に死で応えるのは愛が無いが、その喪失が膨大な破滅を生むのはそれが致命的なことだということじゃないかな? シン・ゴジラは動物の思考ですらないが、第一作とは真逆に我が身と引き換えに起因を与えたとみられる教授の思考だけで動いているワケでもない。最初はただ来て、人間から死を学ぶとただ殺し尽くす者に変化しようとしていた。僅かに教授の思考や画策に愛らしきモノが霞んでいるだけだ。
一方で主人公達は快活。このノリに乗れない人達が鼻白む程に粛々と日本人として人としてするべきことを行ってゆく。そして、最終的にはゴジラをああいった形で保留する。首の皮一枚の状態だが殺しも追い出しも敗れもしない。長い長い保留。考える時間。シン・ゴジラに託された様々の意味もまさに保留で、この世界はまだ考え戦う価値があると、あの怒りに満ちた凍えるシルエットが示しているようだった。