狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

SLの機関士

2011年07月13日 | 内地の紹介
思い出したようにSL復活の話題があります。大自然をバックに悠々と走る蒸気機関車。夜汽車の汽笛なんて最高ですね。
しかし運転の仕事は過酷です。機関助士の眉毛は炎に焼かれてチリチリです。盛夏の乗務が終わると背中には塩で地図が出来ました。夏でも長袖のナッパ服を着用します。肌を露出すると熱いからです。洗面所には塩が置いてありました。
冬も過酷です。吹雪は遠慮なく運転室へ入ってきます。逆行運転の場合は悲惨です。吹雪が眼に刺さる駅でも通票授受は機関助士の仕事です。駅のデンデンムシが見えません。細く目を開け一瞬で引っ掛けます。バシッと通票を取ります。機械で取ればよいのですが、手袋が汚れるので腕で取ります。左腕には青痣が出来ます。春と秋は余りにも早く過ぎ去ります。
トンネルに入ると煙が充満してきます。苦しくて、苦しくて、床下の空気を食べます。
しかし機関士は写真の通り不動です。
まもなくこんな思い出を持った社員は全ていなくなりますね。

北海道旅行

2011年07月12日 | 道東紹介
1971年12月に初めて北海道を訪れました。奥尻島の鍋ツル岩、当時コカコーラーのCMで盛んに使われていました。そして北海道を横断して釧路から網走へ行きました。ネガフィルムは1本しか残っていません。その1枚にあった田舎の駅です。

変な日本語

2011年07月07日 | スピーカーズ・コーナー
最近の会話の中で次のような言葉が聞かれる。
「昨日ね、○○デパートに行ったじゃないですか。すると3階の売り場に・・・・」
この中で「行ったじゃあないですか」がどうもシックリと聞けない。行ったじゃないですか、と訊かれても一緒に行動していた訳ではないから「そうだ」とも「行っていない」とも答えられない。○○デパートに行ったら3階の・・・と言えばよい。それを尋ねて無理やり同意させる。
いやー、一緒に行ってないから分りません、と答えるが相手は目を白黒して会話が続かない。

レストランの会計でお金を渡すと「2000円からお預かりします」と言う。つり銭は「150円のお戻しです」と言う。お預かりしている金なら返せと言いたい。お戻しと言うよりも「おつり」と言う日本語がある。

何かを問うと「いいかも・・」と答える。正確に自己の考えを述べず、逃げ道を用意した答え方をする。仲間外れにされない生き方とはこの事なのだろうか。

瞬間政治の首相の下、暗澹たる想いになっている。

初めてのエゾ鹿

2011年07月06日 | 狩猟と銃
エゾ鹿猟を始めたのは平成15年です。この年はライフル銃が無くレミントンの11-87ショットガンで行きました。距離200mのエゾ鹿なんてとても命中しません。50m以内へ近づくこともできません。無理だよ、散弾銃でエゾ鹿は当たりません。
林の中を流していると「鹿」とガイドが教えてくれました。「左」しかし私にはどこにいるのか分かりません。車より降りると15m前から林の中へ鹿は走りこんだのです。
ダーン、鳥撃の要領で少し先を撃ちました。「命中です」
えっ、私には分かりません。後を付けると30mほど先で絶命していました。此れがその時の写真です。笑顔が少し表情が引きつっているでしょう。
懐かしい写真です。