としちゃんの今日のひと言

古希も過ぎ今年は72歳身体の軋み物忘れそして不整脈など沢山のお土産貰いましたがまだ何かありそう探してみましょうネ

つかもとさ~ん有難う∼

2016-02-29 15:32:46 | 旅行

先週末バスツアー楽しく行ってきました

横浜西口⇒焼津⇒久能⇒三保の松原⇒清水港⇒カフェリーで土肥港⇒土肥温泉(一泊)

土肥温泉⇒下賀茂⇒河津⇒韮山反射炉⇒沼津⇒横浜西口

二日とも雨もなく暖かな陽ざしのなかノ~ンビリ

家事から解放され桜や菜の花などイッパイ眺め楽しんできました

マッ命の洗濯が出来たってところでしょうかネ

 

久能では一年分のイチゴをガツガツと食べました

久能山東照宮ってこんな所のあったのだってことを知りました

三保の松原では残年ながら富士山は恥ずかしがって雲のなかでした

羽衣の松は松林の中に埋もれているのでここからでは天女が空に飛び立てないよう?

カーフェリーは比較的波が静かで船酔いもなくボンヤリ過ごせました

土肥温泉での宿泊は初めてでしたが砂浜に面したホテルから

静かな海と雪を頂いた南アルプスまで見ることが出来感激

お風呂からの海の眺めも最高

 

松崎から下賀茂への移動の道中狭い山道にはビックリ

決してマイカーでは入り込まないような狭い道でした

下賀茂の桜は既に葉桜でしたが河津はまだまだ満開状態もありラッキー

人・車の混雑は凄まじく行く春を行かせまいと頑張っているように見えました

 

この後は同行者もすっかり満足したのか?

バスに揺られ疲れたのでしょうか?

ほとんど会話はなくシートベルトで固定され揺れに身を任せ状態

所々で「ゴ~ゴ~」と音を聞こえていました

 

そして予定より少し遅れましたが無事帰って来ることが出来ました。

ホテルの窓から沈む夕日

下賀茂の桜(遠景がよく似合うさくらでした)

 

河津の桜(人だらけで写真撮ったのはここだけでした)

  

 

 つかもとさんとは添乗員さ~んです


カマを研ぐ訳①

2015-12-10 14:06:32 | 旅行


11月17日すっかり秋が深まりつつある国道17号をみなかみ町を目指しひとり旅渋川の先は暫くは道路左側は切り立った岩壁、たまには車を止め眺めたいとは思うが車は多いいし道幅に余裕はないわで何時も通過するだけ。

岩本の手前辺りでは利根川沿い鮮やかに紅葉した樹木ここもパス先を急ぐ、今回の水上行きは何時ものようなのんき旅ではなく珍しく目的を持っての旅

ひとつは母の実家の墓確認(探し)実家を継いだ伯父は昭和32年に亡くなりその後我が母が昭和39年に亡くなった後は墓を守るべき人は無かった。

平成17年に亡くなった父がその数年前に育ち・結婚し子育てをした辺りを見たいと言い出したことから姉さんと3人で秋の水上へドライブ(父は多分これが水上の見納めと思っていたのか)温泉街・父親の実家の墓地・藤原ダム・宝川温泉・谷川岳の麓などを昔話をしながら楽しんだ。

帰途、母の実家の墓地へ寄りたいと言うので道路脇に車を止め既に膝痛に苦しんでいたので私が背負い他所の庭先を通り上越線の盛土を越え(踏み切りなんか無いの?)草ぼうぼう荒れ地に、整備された墓地数か所よく見ると草に覆われた畑墓地もいくつかそんな中から父が指したのは四角い石塔が2~3個あとは玉石が数個の墓地でした。

お線香も花も用意してなかったので父を傍らに待たせこれが最後かもしれないと姉さんと草などのゴミを片付けてきました。

 

こんなアヤフヤノな情報しかないので途中町役場により税務課の窓口で①おおよその場所②畑墓地③敷地所有者名は明治30年頃に亡くなったと思われる祖父を伝え、待つこと10数分。

すご~い航空写真のコピーに赤ペンで囲まれた区域、職員さんの言うには「このエリアが祖父の名義の土地で映像から墓地」と言うこと。

この説明に舞い上がってしまったが、実は画像が不鮮明であるのと場所を特定するものが今一つ分からなかったのです。

 

大急ぎで現地に行ったのですが以前と墓地の数が違う、畑墓地がもう少し多かったよう?など20年前の記憶と異なっている気がしたウロウロ。

やっと探した畑墓地一面を覆ている草を片づけてみたら四角石碑刻まれていた俗名の名字が違っていて大間違い、あとはどう探しても見つからず?

小一時間粘ったが「マッいいか~又来るや~~好いんだ」と思いこの日の墓探しはここまで(ひとりで来て失敗でした)。

今日はここまで『次は従姉探しで~す』

 写真

大間違いの畑墓地

実家に戻って姉様と話し合った結果中央やや左の柿の木左下の藪の中らしいとのこと

でした。


寒かった~~

2015-11-03 22:51:23 | 旅行

一夜明けふつかめの朝

ホテルの前も後ろもゲレンデ~?

こっちが裏

こっちが玄関前

昨日は暗闇の中を何処まで登るのかって言うくらい上ったが

こう言う事だったのかって納得

スキー場の中のホテルでした

 

午前8時半に今日の最初の目的地八海山に向かって出発

起き抜け→食後→出発時だんだんと空模様が怪しく

途中で添乗員さんから現地は昨夜初雪とか?

そして間もなく到着って言う頃山はこんな状態でした

山頂は何やら不穏な様子

予定通り到着、麓はこんな状態

 

大混雑のロープウェイで山麓駅から山頂駅へ

山頂駅舎を出たらナント雨でも雪でもない

霙:こんな字初めて?

これで『 みぞれ 』って読みます

足下は悪い衣類は濡れるその上寒い

長居は無用山頂駅周辺を大急ぎれ回りました

 

展望台から八海山の本当の山頂方向

ここ避難小屋

 

こんなに横殴りのミゾレが降ってたんです

山頂駅から麓駅方面ここゲレンデ

山頂滞在時間10分ちょっとでした

山頂の印象

大混雑のロープウェイに揺られ只々寒い思いをしただけ

せめてもの救いは転ばなかったことかな~

夏にでもまた来ましょ・・・・・

 

昼食をはさんで午後は苗場山麓のドラゴンドラへ

天候は相変わらず周囲の山の中には雪雲らしきものが山頂辺りに見られる

ドラゴンドラは全長5481m・定員8名・所要時間:片道25分

快適な空の旅と思ったのですがガラスの曇り止めのためか換気が十分

ってことで結構な吹きっさらし状態(雪は舞っていなくとも寒かった)

ドラゴンドラ山頂は雪ではなく小粒な雨そんな訳で滞在時間15分で

下りの行列の最後尾に並び麓に

カラマツ林の上を

清津川すれすれ

湖面が七色に変化するって言われている二居湖

そして劇的なこの写真

 

一瞬目を疑いましたがナントこの熊じ~としている熊さんでした。

 

こうして一泊二日の『紅葉八海山・苗場山と奥只見湖遊覧船・・・・・・・・・・』の旅は無事に終わったのです。

帰路国道17号の三国峠群馬県側の紅葉は最後の秋を装っていました。

 

でも今回の旅でいろいろの紅葉を見ましたが心底「ウワーきれい」って思わず声を出したり鳥肌が立ったりはありませんでした

何故だろ?

ハアーハアーゼエーゼエー額に汗してながめたからではなかったからか?

それとも若干痴呆の症状から感激を忘れたのかしら?

少し疑問が残る旅でしたオシマイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雨の奥只見湖

2015-11-02 21:58:03 | 旅行

先月末、大手旅行会社のバスツアーに参加『新潟の秋(紅葉とコシヒカリ)』を楽しんで来ました

6月にハスラーを転がし下見のひとり旅でも奥只見シルバーライン、あんな道路をカミさん同伴で運転なんて危険すぎ

そこで紅葉見物は大手旅行会社に負んぶに抱っことアイナッタ訳です

 

毎日天気予報をながめていましたが当日は☔マークの60~70%

お天気はすっかり諦めせめて土砂降りでなければ・・・・・「まっいっか~」

 

午前7時に天理ビル前、8時15分町田駅、群馬県の空は太陽がギラギラ少し希望、でも越後に入ったら・・・・・

最初は大源太湖(大源太山は知っていたけれど湖は知らなんだ)

大源太湖周辺の紅葉デ~ス

大源太キャニオンと右端の山が大源太

 

ダム湖

これが大源太山

ダムの対岸付近の紅葉

 

そして奥只見に向かって出発、途中からとうとう

恐怖の奥只見シルバーラインを通って銀山平乗船場に到着したのは14時ちょっと過ぎ

出航は15時雨の中を約1時間待ち6月に来たときは晴天すご~く暑かったのに・・・・

待ち時間は売店に避難

船着き場の対岸

乗船中(この船外輪船ファンタジア号)

 

鋼造3階/149t/定員300名(座席210)

船内から

 

奥只見乗船場に着いたのは16時少し前、雨と風のなか駐車場まで坂道を下ってバスに

 ダム広場からダム本体

 

奥只見駐車場を16時30分発この日の宿泊地岩原へ

流石にプロドライバー恐怖の奥只見シルバーラインも全然余裕

同じ人間なのに不思議って言うか何て言うか?

これからも旅の難度によってプロドライバーに頼りながらもう少しだけ老境を楽しむことにしましょうかネ~。

 

 

 

 

 

 

 

 


故郷と寄港その①

2014-09-24 22:21:43 | 旅行

今年は母が亡くなって51年父が亡くなって9年特に何か節目と言うことはないが歳の所為なのか虫の知らせなのかお彼岸に墓参りがしたい気分になりました。

 

そこで20日土曜日にモコ君と故郷群馬へ出かけました、行き付けのガソリンスタンドへ行ったらリッター155円先日の福島県と比べても格段に安い。

そこで満タンにして高速道路も使わずテレテレ・・・・・・・結局18時過ぎに実家へ到着、途中で2回食事をしたためか?7時間ちょっとかかってしまいました。

まっ先日の福島行きの9時間50分には到底及ばないが老い先短いのだから少しは時間を大切にすべきなのだろうかor贅沢は敵なのか?

 

 

それとはまったく関係なく本日は以前にも話題に取り上げた『ノラ猫から飼い猫に昇格両耳を癌に侵され切除された不細工な猫相のコロ』のその後について

まずは現在の姿

右前足を少し浮かせたこの猫の得意のポーズですって何の意味か分かりません?

 

ちょっと艶めかしいポーズ

 

この猫にしては精一杯良い顔かしら?

 

不細工さは変わっていないその上少し目ヤニが付いていて相変わらず両耳がないので何か猫らしくないただの丸いもの(ボールか?)って感じ(何か間が抜けて見える)。

そこで丸でも玉でもボールはないにしてもコロでもいいのだが何かひとひねりした名前はないものかと思案(ヒマだから)。

まず思い浮かんだのが耳がないので『耳なし芳一』

でも芳一は男だったがこのネコはメスそこで一字変えて『耳なし芳子(よしこ)』『耳なし芳江(よしえ)』では少し長いのとちょっと身体の欠点を強調し過ぎで差別的なので。

後ろの2字を生かして『よしこちゃん』『よしえちゃん』では?

しかし姉様は人間みたいだとか従妹にいるだとか難癖をつけて応じない

猫だからネコらしい名前も良いが人間みたいな名前だっていいだろうが?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結局飼い主の力に屈し小生が帰省した時は『よしこちゃん』と呼ぶことに(小学校時代に好きだった同級生を忍んで)勝手に決め名前を呼びながら撫ぜてやったら気持ちよさそうにすり寄って満足そう(解ってるんだからこの名前でいいでしょ~)

 

このよしこちゃん飼い猫に昇格とは言っても朝飯を食べると外出夕方になると帰って来て夕食を食べ寝るって生活、世話にはなっているがノラ生活の譲れない部分を頑固に守ってる、人間に例えると65歳くらいの頑固なババ~ネコ。

よしこちゃんは大昔子猫を連れ我が姉様のところに餌をもらいに来たそうで出入許可の条件?に『姉様に捕まり強引に避妊手術をされ(その後生き残ったオス・メス2匹の子猫も姉様の毒牙にかかり避妊手術をされお腹が空くと餌をせびり親子でいまだにノンビリ?生活しています)。

しかし子猫の方はいまだに餌はやるが外での生活(ノラのまま)⇒冬は物置に段ボール箱を持ち込み古い座布団を敷き寝床を与えています。

 

そんな訳で実家は恐ろしいことに73歳の人間と65歳位のネコとその子2匹(多分60歳代)の老々屋敷です。

 

追伸この家は現在前記のネコの他今年5月頃から一匹新参者が居候しています(どうも以前は飼い猫であったらしく他人が側によってもぜんぜん平気逃げるでもなく終日庭や車の下などでゴロゴロ人の顔を見れば餌をせびって鳴くだけ、当初皮膚病に罹っていたようで汚かったそうで捨てられたらしいとか?)

今は皮膚病は治りつつありそうですがこれも何と言うか不細工な顔「賢そうとか・目がパッチリとか・綺麗とか・可愛らしいとか」お世辞の言いようがないネコ皮膚病で毛が汚らしく抜けていたのですから捨てる気になった飼い主の気持ちわかるような気もします(でも許せない飼い主ですねホント)。

 多分ネコ好きの姉様の甘さをついてここまで連れて来ておいていったのではなかろうかって本人も気づいているみたい、でも面倒みている底なしのお人よしの我が姉。

ま~今のところオレオレ詐欺には有っていないが知り合いに金を貸して返してくれないってもう1年近くモメテイル最近では催促だけは続けるように応援しているボク。

ネコとの平穏無事の生活ではボケの心配があるが借金の催促も適度の刺激になっていいのかもって思っていますがどんなものでしょうかネ。

 

マッ生きているってことはいろいろ有って楽しくもあり苦しくもありって所でしょうかね~~~~。

夜も更けてまいりました台風が変じた風と雨が騒がしくなってきましたきょうはここまでに・・・・・・・・・