空海さんの子孫を名乗る男性が本日四月一日早朝、高野山に現れたそうです。
その証拠にと言って、懐から筆と紙を取り出すと、スラスラと『風信帖』を寸分の狂いもなく、皆の前で書いたと言うのです。
それをみた僧侶のほとんどは一瞬にして信じ込んでしまったそうなのですが、ただ一人全く動じない若い僧がいました。
その若い僧は、懐から別な筆を差し出しながらこう言ったそうです。
『この筆で書いてみてください』
『こんな毛先が荒れた筆では書けない』
『私はどんな筆でも書けますよ』
と言って、その若い僧は男の手から筆を取ると、スラスラと『風信帖』を書いたそうです。
空海の子孫を名乗った男は恐れおののく表情で、山を逃げる様におりていったそうです。
若い僧の名前は『まお』
『まお』?
空海さんの幼名は『眞魚』と書いて『まお』と言ったのです。
そのことに気づいた皆は『まお』を高野山の隅々まで探したそうなのですが、どこにも居ない、、、。
帰り道を行く参拝客に尋ね当たっていると、老夫婦からある証言を得ることができました。
奥の院、弘法大師御廟に続く御廟橋を、つえをついているのに音もなく、空中を少し浮いている様な感じで奥に向かって渡って行った修行僧を見かけたと言うのです。
そのお姿は温かな光に包まれ、みているだけでとても幸せなありがたい気持ちになったのだとか、、、、
その話を後から聞いた座主はこう呟いたそうです。
嗚呼、まさしく奥の院で座禅をなさっている弘法大師が、若い頃のご自身の姿になられて、時々我々と共に修行を楽しんでおられたのかもしれない、、、、
ありがたいことだ、、、、
信じるか信じないかは、あなた次第のお話しです。
その証拠にと言って、懐から筆と紙を取り出すと、スラスラと『風信帖』を寸分の狂いもなく、皆の前で書いたと言うのです。
それをみた僧侶のほとんどは一瞬にして信じ込んでしまったそうなのですが、ただ一人全く動じない若い僧がいました。
その若い僧は、懐から別な筆を差し出しながらこう言ったそうです。
『この筆で書いてみてください』
『こんな毛先が荒れた筆では書けない』
『私はどんな筆でも書けますよ』
と言って、その若い僧は男の手から筆を取ると、スラスラと『風信帖』を書いたそうです。
空海の子孫を名乗った男は恐れおののく表情で、山を逃げる様におりていったそうです。
若い僧の名前は『まお』
『まお』?
空海さんの幼名は『眞魚』と書いて『まお』と言ったのです。
そのことに気づいた皆は『まお』を高野山の隅々まで探したそうなのですが、どこにも居ない、、、。
帰り道を行く参拝客に尋ね当たっていると、老夫婦からある証言を得ることができました。
奥の院、弘法大師御廟に続く御廟橋を、つえをついているのに音もなく、空中を少し浮いている様な感じで奥に向かって渡って行った修行僧を見かけたと言うのです。
そのお姿は温かな光に包まれ、みているだけでとても幸せなありがたい気持ちになったのだとか、、、、
その話を後から聞いた座主はこう呟いたそうです。
嗚呼、まさしく奥の院で座禅をなさっている弘法大師が、若い頃のご自身の姿になられて、時々我々と共に修行を楽しんでおられたのかもしれない、、、、
ありがたいことだ、、、、
信じるか信じないかは、あなた次第のお話しです。