悠翠徒然

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Mr.Beanがメグレ警視を演じている

2017-04-21 23:28:56 | Weblog
「MR.Beanを演じたのはローワン・アトキンソン。
日本で言えば、イッセー尾形かな。

イッセー尾形が古畑任三郎を演じているようなかんじでしょうか?

演技が達者なだけに、やりすぎなければどんな役でもできるのでしょうね。

結構はまりそうです。

アメ車は日本で売れるのか?

2017-04-21 09:08:09 | Weblog
トランプがどう言おうと、アメ車は日本でドイツ車の様には売れないだろう。

よく言えばおおらかな国民性、悪く言えばざっくりとした国民性が求めるアメ車は、アメリカ大陸でのみその真価を遺憾なく発揮する様に作られているからだ。

それを、よく言えば繊細な国民性、悪く言えばせせこましい国民性をもった日本人が、田畑のあぜ道が少し広くなった程度の裏道で乗り回すことかできるわけがない。

ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンだって、売れ筋は、小さくて小回りの効く安いモデルだ。

アメ車は基本でかいのしか作らず、それを押し付けてくる。

右ハンドルもようやく作り始めた様だが、その途端になぜかフォードは日本から撤退してしまった。

中国の広い大地には、大きくて押し出しの強いアメ車が喜ばれるだろう。

しかし、中国は大気汚染の問題を工場より先に自動車の排ガスに求めたようで、今後数年先にはプラグインハイブリッドや電気自動車の販売を一定量課すことになっているらしい。

新天地を求めて中国大陸に渡ったアメ車は、又してもピンチだ。

もう、アメ車はアメリカ大陸でしか生き残れない絶滅危惧種なのだ。

新型キャデラックもできはよいと聞いているが、日本で売れるアメ車はテスラぐらいだろう。

そのテスラも、でかい、、、、。

ドライバーの高齢化が進む中、求められる車は、安全で、運転がしやすく、燃費の良い便利な車なのだ。

アメリカ自動車産業は日本のことをわかっちゃいないのだ。

いや、わかっちゃいるけど、始められないんだな、株主のことを考えると。






『九成宮醴泉銘』をよく鑑賞していくと

2017-04-21 08:41:10 | Weblog
得意な文字と、そうではなさそうな文字があります。

欧陽詢ファンに怒られそうですが(笑)、なんだか妙なところがあります。

長い年月の間風雨にさらされ、欠けたところを後年修正した部分は言うまでもありませんが、やたらリアルな筆さばきか見える文字と、全くそれが想像できない文字があるのです。

さらに、なんだか気が抜けた書体もあって(笑)、それが欧陽詢のものであるならば、とても人間くさくて親近感が湧いてきます。

欧陽詢がこの『九成宮醴泉銘』を書いた年は、七十代後半だったと言われています。

根気が続くわけがないですよね〜

書き慣れていない文字ならば、そのバランスを考えては書き、書いては考えたりしていれば、一日一文字書ければ十分です。

私は『九成宮醴泉銘』に惹かれます。

そこに楷書の普遍の美を見るからです。

そしてそこに、創作の多くのヒントが残されているのです。

書いてくれたことを感謝します。

そして碑石を残してくれたことに感謝ですね。

ありがとう!

欧陽詢!










欧陽詢リスペクトシリーズ(笑)

2017-04-21 07:44:59 | Weblog


クラシック音楽コンクールの審査では、取り上げた作曲家に対するリスペクト度合いが大きな基準になっているといいます。

本人の演奏録音が残っている作家も、近代であれば存在しますが、ほとんどは譜面だけです。

つまり耳コピはできないわけです。

譜面から作家の演奏家に対する要求を、全て読み取る作業は至難の技でしょう。

書道の古典臨書においても、同じような事が言えます。

まず、当たり前のことですが、書いている時の姿勢、執筆法、運筆法などは、動画があるわけではありません。

文章が残っている場合もありますが、どうもよく分からない文言もあったりするようで、多くの人が多くの時間をかけて解き明かしてきたようです。

現代人である我々はそのエッセンスをいただいて、現代の演奏家と同様、時間を無駄にすることなく書に向き合えると云うわけです。

それが無駄かどうかは分かりませんが、、、。

臨書には、
⚫︎形臨
⚫︎意臨
⚫︎背臨
の三段階の進化過程があり、その先に創作があると言われています。

クラシック音楽コンクールでは、意臨のレベルが求められるのではないでしょうか。

今回書いたのは、欧陽詢が七十歳を大きく超えた時に書かれたとされる『九成宮醴泉銘』

楷書の完成形とされ、後に多くの者が楷書の手本とした碑石の拓本の中から、お気に入りの一文字を選んで、リスペクトしながら背臨したものです。

欧陽詢とその書を敬いながらも、私なら『こう書きたいです』『どうですか?』と、欧陽詢に尋ねる気持ちで書いてみたわけです。

これは面白い中心の取り方を意識して、バランスよく書いてみました。



欧陽詢の楷書の特徴をざっくり言えば、右肩上がりと、風通しの良さ、そして特徴的なポイントを一つ作るところではないでしょうか。



右肩にあげることで文字に生命力を与え、その角度を統一することで、一定の規則性を文字に与えて暴走をさせないコントロールを目指していると言えます。

中には角度の違うものもありますが



一画目二画目三画目の横画は角度が違っていますが(二画目と三画目の緊張感あふれる空間がポイントです)、その延長線を伸ばすと一点で結ばれます。

しかしこの手法は、旁に横画がない場合でしか使えない様に思えます。

これを『觀』のどこかで使ったとしたら。上手くバランス取れる自信ありません。

やれるとしたら『見』の中の横画の下の方を少し角度違えてアクセントつけるぐらいでしょうね。

『觀』は角度もさることながら、風通しの良さを意識して書きました。

スッカスカではないけれど、空気がどこかで淀まない様にしたのです。

『九成宮醴泉銘』は楷書の基礎ですが、ごまかしがきかないのでとても難しいお手本です。

『九成宮に始まり、九成宮に終わる』

と言えるのかも知れませんね。