宮本武蔵がかいた水墨画『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』です。
印刷されたものをゲットしました。
宮本武蔵晩年の作と言われています。
宮本武蔵が晩年にたどり着いた心境を描いた『枯木鳴鵙図』は、心が惹かれる作品です。
枯れ木の上に鵙(もず)が一羽佇んでいます。
小さい鳥ですが、くちばしと眼光はとても鋭く武芸者宮本武蔵自身を表しているようにも思えます。
よくみると、枯木を鵙に向かって登っていく尺取り虫がいます。
なんでもずに向かって枯れ木を登っていくのか?
もずがいることをしらないのか?
もしくは、知っていて向かっているのか?
とにかく尺取り虫の命は風前の灯です。
尺取り虫の運命やいかに!!!
そんな緊張感がある水墨画です。
もずはじっとして動きませんが、尺取り虫にロックオンしていることは間違いありません。
尺取り虫は枯れ木を登っていますが、やはりもずの存在に気づいてはいないようです。
もずが静なら尺取り虫は動です。
でも、この水墨画をみる者は、静と動が一瞬にして逆転することを想像します。
そしてそれは、生と死。
宮本武蔵が表した剣法の書である『五輪書』には、『勝つためには地の利を生かすべし』とあります。
もずの位置は尺取り虫に対してとても優位です。
そして武蔵は勝つためには機を見て一気に攻めるべし、とも言っています。
もずはまさに今、一気に尺取り虫に襲いかかり、枯れ枝に尺取り虫を突き刺す『はやにえ』をするでしょう。
剣豪武蔵がその生涯を剣の道に捧げ、会得したものがこの水墨画には込められていると思います。
剣豪の書いた書画には、剣豪が培ってきた精神が込められているのです。
私が、幕末の三舟の一人、山岡鉄舟の書を好むのも、彼が無敵の剣豪だったからです。
武蔵の書画には暗闇で鋭く光る日本刀の切っ先が見えますが、山岡鉄舟の書には緩急使って動く剣さばきが見えるのです。
一芸に秀でた者の書画は、奥行きが違います。
一芸とは人生で得るもののことであって、生まれ持った特性のことではありません。
それを磨いてこそ一芸となり得るのです。
私はそれを個性と呼びます。
個性を秀でさせるためには、生まれ持った特性をさらに磨いて研いで、また磨いて研いでを繰り返して行かねばなりません。
宮本武蔵も山岡鉄舟も、持って生まれた特性をそれぞれが生きた時代で、誰よりも一心不乱に磨いてそれを時代を象徴するまでの一級品の個性にしたのです。
書道の道も同じと考えます。
手先が器用で生まれた者が、それを自慢してどうしましょうか?
お手本とそっくりな物を書ける事を自慢してどうしましょうか?
誰かの作品に似たような物を書ける事を自慢してどうしましょうか?
宮本武蔵も山岡鉄舟もそれぞれの流派を確立しました。
それはそれぞれの時代が要求した剣の道です。
今、時代は日本の書道に何を求めているのでしょうか?
今生きている時代から目を背けてはいけないのです。
時代に常に抗う必要はないけれど、迎合する必要もありません。
産業革命以来、物質中心で動いてきた世界の風潮の中で、大戦が何度も起きてきました。
今も世界中あちこちで紛争が絶えません。
そこにある心は、激しい憎悪だけです。
心には喜怒哀楽をしみじみと感じさせてやらねばなりません。
そうしなければ豊かな心にはならないからです。
豊かな心があれば、核兵器を無くし、戦争や紛争のない平和な世界をつくることが、いつかきっとできると信じています。
その流れを止めることなく、次の時代に継続していく必要があるのです。
奥行き感ある美しい書体と書法に接する事で、多くの人に豊かな心が培われていくことでしょう。
今お手本としている高橋鵞翠の書体と書法には、そんな力があるのです。
それを未来永劫伝え続けていくシステムをつくりたい。
それが私の書道における大きな仕事のひとつです。
実現していくには塾生諸君の力が必要です!
高橋鵞翠の書体と書法の美しさに惹かれることのできる塾生諸君の力を貸してください!
ありがたいことに、既にお力を貸してくださっている天位級の方もたくさんいらっしゃいます。
それでももっともっと!!!
欲しがりだなぁ〰(^○^)
いつか我が志をみんなで継いでくだされば、それで私は満足して次の世に行くことができます。
日本未来をよろしくおねがいいたします!
それまでは、まだまだやることがたくさんあるんだよなぁ〰
やっぱり、欲張りなんだなぁ〰(^○^)