潜在的にあるだろう事を認識して書きました。
『書』は少し格好つけて、『如』は少し良寛さんをイメージして、『水』は生き物の様に書いてみました。
『書』をカッコつけて筆勢つけて書いたのは、ここにキャッチポイントにしたからです。
鑑賞人の目をひくには、キャッチポイントが必要です。
渇筆と滲みは安易ですが、キャッチポイントとしては分かりやすいのです。
しかしそれはあざとさと表裏一体、、、。
批判を受けやすいポイントではありますが、鑑賞者を意識した作品の場合、私の年齢ではまだまだ『枯れ』は出せないのです。
無いものを出そうとするぐらいあざとい事も無いわけで、、、
ここは、あえての、なのであります。
それでも、結構抑えましたよ(^○^)
『書』では、奥の山に雨が降り、渓流を勢いよく流れていく様を表しました。
『如』はスピードダウンして、『如』だけで水が形や勢いを変え、たおやかに流れるように書きました。
渓流から少し幅のある川に流れた水は、形も勢いも変えて中流域にやってきたのです。
『水』ではさらに筆勢を殺し、滲む様に、大地に染み込む様に書きました。
流れてきた水が人間の作った田畑や、乾燥した大地を潤し、根源的な恵みをもらたしてくれる様をイメージしました。
書も水の様に、自在に形や勢いを変えられる様にしておきたいものです。
型はあっても、その型から出ることも厭わず、常にチャレンジ精神を生かせる、フラットな心と書法が大切です。
それは生き方でも同じ。
固定概念をポリシーと混同し、決め打ちしてしまう安易な方法で、自らを呪縛してはいけませんよね。
自由自在に生きる。
人生はそうありたいものですね。
『自由自在』
そんな参考書が、昔あったなぁ〰
遠い目をしてみる、、、、(^○^)