悠翠徒然

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またもや渋谷駅で迷う、、、

2017-04-14 13:07:06 | Weblog
半蔵門線に乗り換えて表参道に行きたかったのですが、今いるホームが半蔵門線のホームなはずなのですがはっきりしない(笑)

色々と観察してようやく半蔵門線のホームであることがわかったのですが(多分紫色に頼りすぎ)、今度はどちらの電車に乗れば良いのかわからない、、、

聞いたことのないような駅名ばかりで、、、

ようやく次が表参道駅であるということに気がついて、間違えることなく半蔵門線の表参道駅にたどり着きました(笑)

今日行ってきたのはこれ



根津美術館に行く途中におしゃれなビルがありました。

プラダのビルでした。

縁は全くないけれど、流石一流ブランドです。

私には無理(笑)

敷居が高いと言うレベルではなくて、完全に別世界です!

フェラーリに乗ったトンがった感じな人だけしか、入店できなさそうでした。

根津美術館が見えてきました。



指も写っちゃった(笑)

お馴染みの通路が、とてもよい感じです。



通路の先に駐車場があるのですが、そこにこんな石碑が建っていました。



その大きさも迫力ありますが、とても威光ある書体でした。

館内は欧米の外国人観光客が多く、尾形光琳の人気は世界レベルであることを再認識しました。

私が見たかったのはこれ!



燕子花図です。

展覧会ではメインのものが奥の方に鎮座していることが多いのですが、今回は結構手前に展示されていてなんとなくその時点で感動(笑)

上の屏風が右側、下の屏風が左側に配置されていました。

屏風一双(屏風の数え方は難しい)を見ることのできるところに、ベンチがあったのでそこに座ってしばらく燕子花を眺めていました。

30分ぐらい佇んでいるうちに、色々と見えてきました。

もちろん勝手に(笑)

そして目頭が熱くなってしまいました。

これが国宝の持つ力なんですね、、、、。

左右で燕子花の色が少し違います。

一気に書き上げたように思えて、実は右側の屏風を完成させた後、対にしてほしいと追加注文があったのではないかと思うのです。

それは右側の屏風には、面白い仕掛けがあるのに、左側の屏風にはそれがない。

どんな仕掛けかというと、右側の屏風には四つの『間』がある。
和室ですからその『間』の前に四つ座布団を置いておけば、客人はその前に座る。

そうすると、黒澤明監督作品『天国と地獄』の最後のシーンで、犯人が捕まる前に花の咲く間から顔を出したようになるのです。

花の種類は違うけれど、頭の上に燕子花の花が咲いている、、、、

主人から見たらとても面白い(笑)

そこへ追加注文!

構図を考えるにしても時間がないなぁ〜

じゃ重ね合わせちゃおう!

ってな感じで、構図を決めたのではないでしょうか。

燕子花に使った顔料はとても貴重だそうで、その色の違いこそ、同時に書き上げなかった証拠ではないかと素人美術探偵は考えるのであります(笑)

もっとも、保管状態がそれぞれ違っていれば、燕子花の色は変わるのかもしれませんけどね〜

良いもの見せていただきました!

感動のあまり、museumshopで色々と買い込んでしまいました〜

そのあとは根津美術館の庭園を散策



燕子花はまだ咲いていませんでしたが、鹿おどしの音を久々に聞くことができました。

都立大学駅のホームのベンチで、電車を10本ほど見送りました。

今日はとってもよい天気!

気持ち良し!であります。




















紙に負荷をかけないで書く

2017-04-14 08:22:48 | Weblog
ということは、筆にも負荷をかけないで書くという事になります。

思いついたのが良寛さんの書。



これは有名な『天上大風』

タコにつけて空高くあげたいから書いてくれと子供達にせがまれて書いたという話が伝わっている書です。

大きさは45✖︎30㌢ほどのものです。

これがタコに貼られて空に舞い上がった書なのか、この話しを聞いた大人が良寛さんに子供を使ってねだらせて書いてもらって箪笥にしまって置いたものなのかはわかりません。

タコにつける願文に落款書きませんよね。

多分一度持ち帰った『天上大風』を見た親が、名前書いてもらってこいと再度子供達を良寛さんの元に行かせて書いてもらったのではないでしょうか。

もちろん良寛さんはそのことも承知の上で書いたのだと思います。

だってバランス悪すぎでしょ(笑)

当時から良寛さんの書は有名で皆が欲しがったそうです。
また良寛さんはそれに快く応えて、いつでも書いていたそうです。

この『天上大風』はそんな、子供達に急にせがませれて書いた感じがありますよね。

書き始めに落款を書くスペースのことは考えていません。

それでも机に向かって何を書こうか考えながら墨をする、、、。
そして子供達でもわかる漢字四文字を選んだと思います。

なぜか画数の少ない文字の時に筆に墨をつけすぎて、一画目の頭が滲んでいる。

四文字目の『風』は画数が多いので、ここで滲ませてはいけないと考えて、硯の端の乾いて濃くなっている墨を筆で混ぜて書いたのでないでしょうか。

ワイワイと喜んで持ち帰った子供達がまたワイワイとやって来た。

『それじゃダメだったかの?』

『名前書いてください、良寛さん』

『そうか、そうか。どれかしてごらん』

焚き火をしていた良寛さん、懐から筆の入った携帯式の竹の筒を取り出すと、傍の石に腰掛け膝の上に『天上大風』を載せて名前を書きはじめる。

膝の上だったので『良』が左に寄りすぎてしまい『寛』と『書』で修正したものの、大きく曲がってしまいます。

『ちょっと曲がってしまったのう〜』

勝手な妄想ですが、こんな感じだったのでは無いでしょうか。

え?なぜ懐に筆を持っていたかですって?

そりゃいつでも書をねだられますからね(笑)

ねだられたら書く、書いたものが満足いかなくても、ねだった人は喜んでくれる。
喜んでくれるのなら、それでいい。
私の満足はその笑顔にあるのだから。

素敵なお爺さんですね〜

ま、これも勝手な想像ですけどね(笑)

というわけで、臨書したわけではなく、紙と筆にに負担をかけずに書いて見ました。



紙はテッシュペーパーです。

早く筆を動かさないと滲んでしまいますし、転折やハネで無理すると穴が空いてしまいます。

良寛さんの追体験をするには絶好のアイテムです(笑)

日常使っている物を使うことも、良寛さんの生活に密着した書に近づける道なのかもしれません。

しかし動機が不純(笑)

良寛さんは、子供達がタコを空高く飛ばした時の笑顔を想像して書いたのに、私はたまたま暇だったので良寛さんの追体験ができるかもしれないと思って側のティッシュを引き抜いただけなのですから。

でも、書いて見たらちょっと面白い(笑)

少しハマりそうです。





岡倉天心に出会う

2017-04-13 08:37:52 | Weblog
芸大の前身である『東京美術学校』を作ったのが岡倉天心でした。

この写真が有名ですね



芸大の中にある少し林のような茂みのような(笑)ところがあって、そこに東屋のような建物があったのです。



近寄ってみると誰かが偉そうに座っている(笑)





岡倉天心です。

偉そうじゃなく、偉いのであります。

横に回ってみると、背中の後ろの壁に何か書いてある。





『asia is one』

西洋列強に侵略植民地化されていた当時のアジア各国。
日本も西洋文化に押され、東洋文化がないがしろにされていた当時の風潮を、まさに一家言した言葉なのかもしれませんね。

芸大からの帰り道、美味しそうなおせんべい屋さんを見つけました。



『ミックス』と『訳あり』を買いました。

『訳あり』はいわゆる失敗のかき集め。

ミックスは和翠塾にお土産で渡しましたが、食べた『訳あり』は中々美味しかったです。

『訳あり』のネーミングには多少疑念も感じますが、店主の生真面目さも伝わってきます。

商売は真面目が一番大切であります。

老舗らしき和菓子屋もありましたが定休日。

残念、、、

外に並んで待っている渋い佇まいのカフェもありましたが時間なく、それらは共に次回きた時のお楽しみにとっておきました。










『出来る事』と『出来ない事』

2017-04-13 08:04:36 | Weblog
『出来る事』と『出来ない事』を客観的に判断できなければ、チャンスを逃すか相手に迷惑をかけるかのどちらかになります。

若い頃はチャンスを逃す事が嫌で、相手に迷惑をかけることも多かったのですが、そこは相手も大人(笑)、失敗のリスクを考慮してチャンスをくれていたのです。

過去の失敗がトラウマになっていたり、過去の成功体験が埃をかぶったまま神棚に飾ってあったりすると、一人前の年齢なのにそれらが邪魔をして『出来る事』と『出来ない事』を客観的に判断する事が出来なくなってしまいます。

結果、チャンスを逃すか相手に周りに迷惑をかける事になります。

面白そうな事を提案された時、私は『出来ない』とも『出来る』とも実は言いたくない(笑)

心の中では
『やってみたい!』『やらせてくれ〜!』
と叫んでいます(笑)

若い頃とそんなに変わっていない危うさに、自分自身時々ドキドキすることはありますが、どうにも変える事が出来ない、、、、。

もちろん物理的な条件や、能力的な問題は最低限考慮しますが、『発展させればできるんじゃない?』と考えてしまうのです。

自転車を作っていれば、原付自転車はできるはず。
原付自転車を作っていれば、オートバイは作れるはず。
オートバイが作れるなら自動車も作れるはず。
自動車が作れるなら、レーシングカーも作れるはず。
レーシングカーが作れるなら、レースで世界一になれるはず!
そしてHONDAの創設者本田宗一郎はそれを成し遂げた。

もちろんそこには苦労もありますが、それは他人から見た感想であって、本人は充実していたはず(笑)

そこに羨ましさは感じません。

ジェラシーを感じます(笑)

HONDAは本田宗一郎の夢であった、HONDAジェットを開発しました。

私に本田宗一郎が目指した『HONDAジェット』はあるのか?

あるなら、それを実現するための道をしっかりと歩んでいるのか?

そんな自問をする朝も、たまにはあるのであります。

本田宗一郎は偉い!

悔しいなぁ〜

















高橋泥舟

2017-04-13 00:43:52 | Weblog
芸大の周りは観光客ご多い。

なぜだかわからないけれど、リュックを背負った若い外国人が沢山歩いていました。

車を止めたコインパーキングから芸大に向かう途中で、お寺を見かけました。



石碑の文字に吸い寄せられて近づくと、右側に説明文があり、その寺に高橋泥舟の墓があると彼の業績と共に書いてあるのです。



高橋泥舟と言えば、幕末の三舟の一人。

他は勝海舟と山岡鉄舟の二人。

三人は江戸を戦火から救ったのです。

高橋泥舟は槍の達人、山岡鉄舟は剣の達人、そして勝海舟はしゃべりの達人(笑)

境内に入り高橋泥舟のお墓を探しました。

入り口からまっすぐ行ったところに巨木があり、その横に高橋泥舟のお墓はありました。



手を合わせて拝んでいると、入口の方から写真を撮る外国人の姿が見えました。

お墓に手を合わせる日本人が珍しかったようです。

撮るなら撮るで言ってよね〜(笑)








ペギー葉山の訃報を知って

2017-04-13 00:37:49 | Weblog
歌がとても上手いイメージがあります。

ちゃんとしていた印象も強いです。

ご冥福を祈ります。

今日の遊歩道

2017-04-12 22:40:11 | Weblog
暖かな一日でしたね〜



まだまだ遊歩道の桜は楽しめました。

ありがたい事ですね!






扁額を納めてきました

2017-04-12 15:20:46 | Weblog


綺麗に包んで持って行きました。

気に入っていただけたようで、一安心。

きっと、新しい茶室の歴史を見守ってくれる事でしょう。

お土産いただいちゃいました!



まだ開けていませんが、今日明日中に食べないと。

和翠塾に持って行って食べようかな。


納めた足で、新宿にある書道用具屋さんに行きました。

おめあては、『半紙用の仮巻き』です。

昨日電話した時に聞いた、仮巻きに作品をはる『たこあし』なる方法が結局わからず、今日聞いてきました。

なーんだという感じ(笑)

でも文書にするのは難しい。

昨日の方も言葉にするのは難しかったのだとおまいます。

そこから足を伸ばして、芸大へ。

学芸大学じゃありませんよ、芸術大学です(笑)

雪村展を芸大の美術館で開催しているので観に行ったのです。





入口を入ると、そこそこ大きな雪村が出迎えてくれました!

戦国時代のエネルギーが雪村に影響したのか、それとも元々持っているエネルギーがそうさせたのかはわかりませんが、心を打つ線が何本もわたしを惹きつけてくれました。

とても大きな収穫がありました!

雪村は長生きしたそうです。

そして晩年まで画力は衰えなかったそうです。

頭が下がりますね。

続く


竹原ピストル

2017-04-12 08:07:46 | Weblog
最近話題のフォークシンガーです。

全国津々浦々でライブをして鍛え上げられた喉から絞り出す歌声にのせた歌詞は、説得力がありますね。

わたしのタイプです。

でも、錆びついた弦は替えた方がいいんじゃないの?(笑)


本日はこれを観に行く予定

2017-04-12 06:27:32 | Weblog


戦国時代に活動した雪村は、後に尾形光琳に尊敬される絵師でしたが、雪村自身は雪舟を尊敬していたとされます。

しかし、画風は雪舟の影響を受けず、オリジナリティあるものになっているそうです。

五十代半ばごろ放浪の旅に出たとされています。

戦国時代と言う殺伐とした時代の中で、禅宗の僧でもあった雪村が描き出そうとしたものはなんだったのでしょうか。

それを観てこようと思います。

平和な時代に活躍した尾形光琳が雪村を尊敬したところが何処にあったのか、そこにも触れることができたらとても楽しくなると思います。