<写真:昨年10月19日、明治公園で行われた「反貧困世直しイッキ大集会」で発言する江口さん(右から3人目。その左からマクドナルド「名ばかり店長」裁判原告の高野さん、すかいらーく過労死遺族の前沢さん、作家の雨宮処凛さん)>
<労働組合=東部労組HTS支部をつくって良かったと思うこと>
1人でも多くの添乗員のみなさんへ
シリーズ4回目<労働組合=東部労組HTS支部をつくって良かったと思うこと>の第2弾。HTS支部江口副委員長の寄稿を掲載します。
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東部労組HTS支部に加入して
副委員長 江口美佐恵
添乗員になり26年目を迎え、組合を立ち上げ2年になろうとしています。この2年間は激動の2年間であったなとしみじみ感じています。
私は添乗という仕事が好きで好きでこの仕事を続けてきました。そして長い添乗生活の中で阪急交通社と長く歩んできたこと、その当時の躍進が大きかったこともあり、専属への道を選び、2000年に阪急トラベルサポートに移籍しました。当時、阪急交通社の人気添乗員にもランキングし、自分に大きな自信がついた時でもありました。
HTSに移籍してから今まで以上に忙しく、年間200~250日の添乗をこなし、中2、3日のペースでヨーロッパと日本を往復する毎日でした。それなりに充実感を感じていました。ところが、日に日に状況は悪くなっていきました。
以前より旅行業界の中には私たち添乗員に対し、見下げてかかるところがありましたが、そんな中でも阪急は比較的添乗員を尊重する会社と認識していましたが、移籍後、ほんのわずかな時間でそれらは打ち砕かれていきました。
各社の価格競争にお金のかからない形で対抗していくためには、私たちのような立場は仕事の比重を重くするには最適でした。旅日記の作成、アンケートの集計、空港での集金、そして現地での通訳・ガイドは以前のそれに増して増える一方で、ある日突然、今までは仕事がなかったものが一方的に仕事に組み込まれる状況。抗議をしても「上からの命令だから仕方がない」の繰り返し。どうして私たち添乗員の仕事でないことを当然のようにしなくてはならないのか。何の社会的保障もなく、日雇いのような形態であるならば拒否権はないのかと疑問に思う毎日。しだいに会社に行くのが憂鬱になってきました。
さらに2006年には大きな病気をし、半年近く休まなければならなかった時のみじめな気持ち。会社からはその半年間一度の電話もかかってくることはありませんでした。幸い、前課長の尽力もあり職場復帰は果たせましたが、一方的に日当はカットされてしまいました(このカットされた日当は組合加入後、すぐに元に戻されました)。
この日当カットを元に戻すべく、仕事に懸命になっているころ、友人より組合ができたので加入しないかとの誘いを受けたとき、私はすぐに加入しました。
組合が発足して間もないころ、まだ私は不安をだくさん抱えていました。ことに前年、体調を崩したばかり。会社に嫌われ職を失ったらどうしよう、思わぬところで失敗をし、それがもとで仕事を失ったらどうしよう、そんな思いでいっぱいでした。
その不安いっぱいの気持ちが、ふいに口をついて出てしまいました。「もし私がヘマをしてクビになったらどうしよう」。
言った後で、しまった、きっとみんな同じ不安を抱えているんだからこんな言葉を口にしてはいけなかった、と後悔したのですが、その時、委員長の塩田さんははっきりと言いました。
「大丈夫。その時は僕をはじめ、みんなで江口さんを守るよ。それが組合だから安心して」と・・・。
私が安心して組合活動をスタートさせることができたのは、塩田委員長のこの言葉があったからです。
こんな覚悟をしてくれている委員長に私はついていける、ついていこうと強く決心しました。他のみんなも塩田委員長と同じ覚悟のもと、組合をスタートさせたのでした。その覚悟は今も変わっていません。
初めての団体交渉はとても緊張しましたが、この団交に出席したことにより、今までとは違う自分自身の自覚が芽生えたことも事実です。
そして東京駅、上野駅のアピール行動。こういったことは初めてで、今までは海外で同じようなアピール行動をしている人々を見、自分には関係のないことと思っていましたが、その渦中に自分自身が入ってみると、いろいろなことに気がついたのです。
それは、私たちとは全く関係のない-東部労組は今まで主に中小企業関係の仕事をしている労働者を支援してきています-他支部の人々が朝早くから集まり、私たち添乗員の待遇改善を求め、大きな声を張り上げ人々に訴える姿でした。
正直、自分のことでもないのに、人のために朝早起きをして、交通費すら出ないのに手弁当で一緒にがんばってくれる人々がいる、これは私の心に大きな希望をもたらしました。人々の力は小さいけれど、こうして集まることによって大きな力になる、それを教えられました。
こういった人々とは様々な集会や組合の大会などで再会し、親交を深めています。
東部労組のモットーに「よってたかって闘おう」「一人はみんなのために。みんなは一人のために」という言葉がありますが、その通りだと思えます。
私たちの活動が実を結べば、他支部の活動の助けにもなることを知りました。また私たち添乗員の中より代表9名を選び、会社を相手取って未払い残業代の支払いを求めて提訴しています。
これは最終的には業界の悪しき慣習「みなし労働」を撤廃するために起こしている行動ですが、この裁判で私たちを支援してくださっている優秀な弁護団も力強い味方です。
先日、日比谷野外音楽堂で行われた派遣法の抜本改正を求める集会でも、多くの国会議員の方たちに私たちの労働実態を訴えるチャンスがありました。
こうしたチャンスを得ることができたのも、東部労組の支部として活動をスタートさせたからだと思っています。
これらの人々との出会い、そしてその人たちに守られているという実感が今の私の組合活動を支え、そして今はそれが自信になっていっています。
はじめは誰もが心細いし、はじめは誰しもが何も知らないのです。でも私たち自身のことです。他人ではなく、自分のこととして一歩踏み出すことができたなら、今まで見えていなかったものも見えてくると思います。
一人でも多くの添乗員のみなさんにこのことに気づき、そして少しづつ活動し目覚めていってほしいと強く願ってやみません。
仕事は好きなのに、同期の仲間がほとんどやめています。続けられない仕事に未来はありません。これでは、夢を持って添乗員になった方も、プロとしての力を発揮することもなく、その職業に見切りをつけてしまいます。
この業界に今さらながら怒りを覚えます。
江口様のおっしゃるとおりです。
これからも、お体に気をつけて頑張ってください。
同じ添乗員として、また私たちの先輩として、私たち後輩のためにも、今年もよろしくお願い申し上げます。
私たちも少しでも出来ることからはじめたいと思っています。
日本という国家と日本人そのものが、企業の暴走によって、共に滅びの道を辿るか
再生できるかという瀬戸際までの時間は、時々刻々と迫っている。
しかし、自らの運命は自ら決めようと目覚めた労働者が全国で一斉に声を上げ始めている。自分自身で考え、ひとりひとりが賢くなっている感じがある。いまや労働者が「脅しや買収」「アメやムチ」で支配されて動く時代に訣別を告げる時がきたのではないか。希望を持ちたい。
教師や添乗員も含めて苦しんでいる人が多いどれだけいるのか。「サービスをしてもらって当たり前」、「生徒はお客様」、「お客様は神様」という言葉をたくさん聞いてきました。
特に日本人は何か勘違いしていると思います。