蔵書目録

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『西洋画報』 舞踏号 (1917.1)

2012年08月12日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 表紙には、「西洋画報 舞踏号 大正六年 〔一九一七年〕 一月発行 第参号」などとある。奥付には、「大正六年一月一日発行 編輯兼発行者 鷲尾正五郎 編輯兼発行所 西洋画報社」などとある。25センチ、104頁。
 
 ○挿絵〔下は、その一部〕

       

   ・Anna Pavlova
    露西亜舞踏界の花役者 世界一のバレエー、ダンサー アンナ、パブロバ 〔上左〕
 ・ Ruth St.Denis
    スラリと丈の高い身と蛇のうねるのが如き筋肉の動揺をとを以つて一時舞踏界のセンセーションたりしセントデニス 〔上中〕
  ・ Miss Evan-Burrows Fontaine
    印度踊で近頃有名なる米国の美しい悪戯
    ヱバンバロー、フオンテン
  ・ Gertrude Hoffman
    in choreographic dancing
    測量舞踏と云へば測量するやうな歩方をする舞踏の事で手足の運動に曲線の美と云ふよりも寧ろ正方形の美を発揮しやうと云ふ変わつた舞踏である。
  ・ XENIA MACLEZOWA AND ADOLPH BOLM
    ロシアのバレヱーダンス 〔上右〕

 ○説苑

   ・舞踏哲学 … 社説
   ・希臘の舞踏 社説
   ・近世の舞踏と其名優 本社編纂 〔下は、その一部のいくつか〕

     此時代精神を表す天才として、先づ第一に指を折つて数ふべき人はイサドラ・ダンカンである。ダンカンは昔の希臘の舞踏を復興して之に近世の生命を吹き込んだ女優として、欧米の舞踏界に斬燃頭角を表した天才である。ダンカンと相前後して古格舞踏を復興した今一人の名優はモード・アランである。ダンカンと並んで斯界の双玉の一として、其の名声嘖々たる女優は即ちバレエ-ダンスを復興した露西亜の名優アンナ・パブロバである。アンナ・パブロバを中心として、Palance Theatre及びCovent Garden に於けるバレエダンサアーの一隊は実に露国芸術の誇である。其外、英国に於けるモリスダンスと称せらる地方踊りの復興、米国に於けるタンゴーダンスと称せらる新しい舞踏は、近世舞踏芸術復興の機運に乗じて起つた重なる現象である。而して舞踏の復興は軈 やが てその影響を彫刻、絵画の上にも及ぼし、彫刻絵画の復興は軈てまた舞踏の上に反響して、互に助け相導く事恰も昔の希臘羅馬時代の如くならんとする徴候さへもあるは、誠に斯界のため一般芸術のために賀すべき事である。

     バレエ-ダンサーとしてのパブロバは露西亜の舞踏精神を発揮したどこまでも露西亜式の舞踏家であると同時に、またよく古の希臘舞踏の天真爛漫なる面影と其の優雅なる芸術味とを兼ね備へた舞踏家であつて、殊に短い袴を附けて爪先で歩く事を特色として居る。此の女が舞台へ出て踊り出せば、もう人間ではない。人間の情欲が剥出 むきだ しになつて、羽が生 は へて、大海の暴風に悩まさるゝ鳥の如くに、情意の嵐に翻弄 ほんろう せられながら、颱風一迅 いちじん 、過ぎ去ると共にさしも、放縦を極めた情欲の戯れも軈て倦怠の情に襲れて、天地も為めに滅入るかと思はれるやうな踊を演ずる。

     ニジンスキーは希臘の軽脚の神マーキュリーに擬せらる舞踏家で、小児の如く鳥の如き快脚を有し、兼ねてまた其の静止姿の優雅なる事を以つて称せらる舞踏家である。『薔薇の幻』と題する軽妙な舞踏劇に於て、ニジンスキーは嘗 かつ てカーサビナと云ふ可愛しい少女と踊つた事があるが、其の踊に於て、少女は手に薔薇の一輪を持つて眠る。眠るとすぐ夢に、薔薇の冠を戴き薔薇の衣を着けたる少年が現れて、眠れる少女の周囲 あたり を旋回する。軈て少女は目を離して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒 さま して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒して、地に落ちたる薔薇に接吻すると云ふ光景であるが、此の少年の軽妙なる踊はニジンスキーならでは誠に出来ない業であつた。

   ・最近の社交舞踏 本社編纂
   ・イサドラ・ダンカン … キニー兄妹著「舞踊」より 〔下は、その一部〕

        

    彼女が舞踊に興味を持ち始めたそもゝの頃には、何よりも先づ古代希臘 ギリシヤ の陶器類、タメグラ、其他の物に見える舞踊の姿を此の上無く愛した。芸術の一作品は往々にして数多 あまた の人に数多の感想を浮べさせるものであるが、ダンカンが之等の古代希臘の像に見たものは、自然を何等の飾り気なく、率直に、又、完全に現した姿あのである。勿論他にも種々学ぶ所はあったが、中にも最も自然の尊ぶべき厳粛、絶望の趣を難有いものと思った。それで、ダンカンの小論文「舞踊」の中にも見られる如くに、厳粛と云ふ事が此の俗世界の道徳上の制限とどんな交渉を生ずるであらうか、などゝの疑念は全然頭にない。もう厳粛と云ふ事は自然である、それ故に正しい、と断然 はっきり きめてゐるのである。従って、所作事ー俗に行はれる厳粛を欠いた所作事は悪であると判ずるのである。古代希臘人は跣足 はだし で踊った。即、ダンカンの跣足で舞台に立つ。
 たゞ誤解してはならぬ。ダンカンの意見は自然な動作を模倣しようとしたり、所謂写実派の論法に従はんとするのでは無いのである。自然の動作では無い。自然の性質、其性質を自然な運動によって演じ現はさんとするのである、模倣では無い。彼の所謂「自然な運動」と云ふのは特殊な教練を経ずに、普通尋常の身体でならば行ひうる運動を指すのである。と云っても、何等練習もせぬ運動を善いと云ふ意味では決して無い。腕を挙げるのは自然の運動であるから勿論採るべき事であると同時に、ダンカン派の人々も、その腕を如何に優美に挙げるかに就いては一般の所作事師に劣らず充分の時間と考慮とを払ふのではある、が、その掌をどちらへ向けねば法式に適せぬとか、どう云ふ足つきをせねば一つぱしの踊り子とは云へぬとか云ふ風の特別の練習や法則を嫌ふのがダンカンの見解である。
 此の自然の性質と云ふ事をダンカンがどう解釈してゐるかを見るには、ダンカン自身の言葉を借りるのが最もよい。「私共の目に見える花の中にも舞踊の夢が宿ってゐるのであります。それを白い花に落ちかゝる光り、とでも申しませうか。光と純白との微妙な舞踊、強い、純な舞踊、人はこれこそ光りに到達して其処に純白を見出した魂の動く姿である。このやうに塊の如く事の嬉しさ、とも申すでせう。かうした微妙な天地間のあらゆる自然の運動、吾々の心の中にも流れてゐる運動が、舞踊者によって、舞踊者の肉体によって一般人に伝へ送られるのです。光りの運動が純白の思想と相融合するのを感じます。かやうな舞踊こそは一種の御祈祷に等しいもの。一つゝの運動が長いゝ波動となって、天にまでも達し、やがては宇宙の永久の節奏の一部ともなる祈祷であります。」

   ・アンナ・パブロナ  … (主として)ルネブルフの「露国舞踊」より 〔下は、その一部〕

      

    華噸府に於て半日 $300.0 を得たるパブロバの踊り 〔上左〕
    パブロバ 〔上右〕

    彼女の方法と音楽の作曲者の方法とは密接な類似がある。例へば「ル・サイン」の作曲者サント・サエンと、その曲に応じて工夫した彼女の踊りを踊るパブロバとは、両人ともにかの白鳥の円転な、波形の優雅さをモティフに取ってゐる。此の根本調を丹精し、飾り、敷衍して、丁度作曲者の思はくと全く同一格な複雑な、しかも根底に於ては飽くまで単純な点を現す舞踏をパブロヴは完全に創出してゐるのである。
 かくの如き演技に於てはパブロヴは実にその芸の絶好を示す。彼女は最近流行になった音楽に伴って、その音楽の内容を演出するのは頗る嫌ってゐる。即ち最近の曲は舞踏の為めの曲では無いからである。舞踏の為めに作られぬ曲に、何で舞踊者が好んで立たうぞ。普通の舞踊者ならば却って如何な曲にも振りを附けよう、立っても舞はう、其等の舞踊手はつまり単に美しく動き、優雅な身の構えをし、間拍子面白く音律に合はせて行く連中に過ぎないのである。が、パブロバは意味の無い舞踊は全然しない。彼女の一歩と雖も何等かの意味がある。だが単に技術を完全に会得してゐると云ふだけでも彼女の芸は驚嘆すべきであるのに、又、よしごく旧式平凡な舞踊をする時にさへも彼女の一挙一動は目を悦ばすに足るに、まして、パブロバは目にのみ訟 うった へるに満足せずして、その知識にまでも徹入せねば止まぬ真の芸術家の頭脳と力とがある。    
  
   ・ダンシング・ホール … サミュヱル・ホプキンズ・アダムス
   ・ブォーティシスト派の画

 ○小説

   ・独深 … トーマス・エイチ・ウゼル
   ・How She Learned Him To Write(彼女は如何して彼に書くことを教えたか) … クバノア・モリス
   ・長編小説 白幽霊 … アーサー・ソンマーロチツエ

 ちなみに、この『西洋画報』舞踏号は、『現代筆禍文献大年表』の「大正六年 (雑誌) 一月」に、次の記載があり、発禁となっている。

    西洋画報 第三号 (舞踏号)(同〔風〕) グバノア、モリス 「彼女は如何にして彼に書く事を教はたか」

 なお、『西洋画報』 第六号 (四月号) には、同じ作者の「短編小説 原始に帰る女」が掲載されている。



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