蔵書目録

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アンナ・パヴロワ夫人の来朝 (1922.9-10)

2020年07月19日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 舞踏の女王 

   パヴロワ夫人來る 

     白鳥の如 やう な清楚な姿で

 「瀕死の白鳥」の踊手として世界的ダンサーアンナ・パヴロワ夫人はエムプレス・オブ・カナダ號で四日午前五時横濵に着いた、黒い羽二重の薄絹に蠟のやうな滑 なめら かな肌を包んで白鳥のやうに見える清楚な風姿、人を魅するパッチリとした瞳の底には偉大なる藝術の力が潜んでゐる、パ夫人は足の悪い夫のビクター、ダントン氏や樂長のスペリアー氏と連れ立つて新聞社の寫眞班に取り圍まれながら上甲板に出て來る、

 私の得意なものですつテ、そんなものは別にございませぬが

と謙遜しながら

 ドラゴン・フライ、カリフォルニア・トツピー、「瀕死の白鳥」などが大好きです、それは魂の舞踊です、私は今尚ほ毎日練習を續けてゐます、毎朝朝食の前に必ず一時間練習をやることにしてゐます

 と眞面目な藝術談に入らうとしたが記者の問ひに急に笑顔を作つて『靴ですか、私の日常生活に取つて大切 だいぢ な道具ですもの、トランクとバスケットの兩方に 二百足持つて來ましたよ、體量は百十八封土 ポンド であり過ぎる位です』と恥づかしさうに顔を掩 おほ ふ様子は如何にも自然で美しい、九時頃船が漸く岩壁に着くと原信子、片山やす子、西川千代子等に迎へられ熱い接吻 キツス を交はす、出迎の人々からは綺麗な花環 はなわ が贈られる、斯 か くて一行は自動車でグランド・ホテルに入り一先づ休憩して正午近く東上したが滞在は六週間であると(横濱電話)

 パヴロワ夫人から 本社村山社長へ

 アンナ・パヴロワ夫人は横濱入港に際し本社社長村山龍平氏に宛て左の電報を發した

  横濱に着きました、貴下と相見るの機會を鶴首して待つ

 上の文は、当時の新聞の記事切り抜きより。

     

〔上左から1枚目の写真〕

 :大正十一年の『歴史写真』 十月号 第百十一号 歴史写真会 に掲載されたもので、次の説明がある。

 
 世界舞踊の第一人者アンナパヴロワ〔アンナ・パヴロワ Anna Pavlova〕夫人の来朝

 『瀕死の白鳥(ダイイングスワン)』の踊り手として其の名声世界を風靡しつつある露西亜の舞踊天才アンナ・パヴロワ夫人は予 かね てより日本来朝の志があったが、いよゝ其の機運熟し大正十一年九月四日横浜入港のエムプレス・オブ・カナダ号にて其のあでやかにも亦気高い姿を我等の前に現はした。此の日夫人は花のやうに美 うる はしい踊り子の群 むれ に圍繞されて原信子、片山やす子、西川千代子の諸氏に迎へられつゝ岸壁に上陸、自動車にてグランドホテルに入り暫時 しばらく 休憩の後、正午上京、帝国ホテルに投宿した。写真はカナダ号上中央パヴロワ夫人、右は出迎 でむかへ の原信子、左、片山やす子の二氏である。

〔上左から2枚目の写真〕

 :大正十一年の『教育資料 写真通信』 十月号 第百四号 大正通信社 に掲載されたもので、次の説明がある。

  なお、この写真は帝国劇場での弟子達との練習風景(九月五日)のようである。

  帝劇のステージに立つ世界第一のダンサー アンナパプロワ

 丁度我国にも舞踏熱が勃興しつゝある際なれば、その人気の素晴らしいこと、物価引下げが云云されて居る今日、十五円十三円十円と云ふ高い入場料を出しても見のがしてはならぬと大した景気で誠に物価調節に対し皮肉の感がある写真中央がパプロワ夫人

〔上左から3枚目の写真〕

 :同じ号に掲載されたもので、下の説明文がある。

 世界的の名ダンサーパヴロワ夫人を中心に 鶴見花月園で歓迎会

 闇の国ロシアからは偉大な芸術が生まれる最近我国に来朝したアンナ、パヴロワ夫人はロシアが生むだ世界的の舞踊家である。九月九日午後二時から鶴見花月園のホールで此のロシア舞踏家の為に盛大な歓迎会が催された。蒼い瞳と柳の枝の如ききやしやな身体の持主パヴロワ夫人は踊らなかたが、それでも弟子の女優数名は日本の夫人令嬢等と恰ら蝶の如く身もかろく踊り狂ひ踊り抜いた。観客の中から降る如く感嘆の声が放たれた。写真は花月園にてパヴロワ夫人(中央洋装)

なお、同じ十月号の「大正写真日誌」には、次の記載がある。

 「九月四日 アンナパヴロワ来朝 舞踏の大家アンナパヴロワ夫人帝劇に出演の為来朝右より原信子パ夫人及片山安子氏」とその小さな写真、「九月十二日 菊氏のパ夫人招待 俳優尾上菊五郎氏は帝劇出演中のパヴロワ夫人を芝の同氏宅に招待し茶の湯を催した

      

〔上左から1枚目の写真〕

 :大正十一年の『教育資料 写真通信』 十一月号 第百五号 大正通信社 に掲載されたもので、下の説明がある。

 世界的の舞踊名手によって演ぜられた道成寺

     パヴロワ夫人門下の日本舞踊研究

 九月四日横浜着来し十日から帝劇に出演して「瀕死の白鳥」や「ドラゴン、フライ」等に満場の観客を魅了しつゝある世界的舞踊の名手アンナ、パヴロワ夫人一行は来着早々茶の湯他日本趣味に憧憬種々探索して居たが、夫人門下の花形四名は今度松本幸四郎の指導で日本舞踊「道成寺」研究を始めた。写真は其れ尚笠を蒙 かぶ れる日本舞踊の天才スチワード

 The Dojoji Dance.

 The Japanese Dancing performed by Foreign Dancers.

〔上左から2枚目の写真〕

 :同じ十月号の「大正写真日誌」にあり、次の説明がある。

 九月廿九日 パ夫人歓迎舞踊
 日本女流舞踊の第一人者藤間静江氏(右)主催の藤蔭会はパ夫人(中央)歓迎舞踊会開催

〔上左から3枚目の写真〕

 :同じ十月号の「大正写真日誌」にあり、次の説明がある。

 十月六日 パ夫人大阪入り
 東都舞踊会に多大な刺戟を與へたパ夫人大阪に着名物の文楽招待され人形芝居見物

〔上左から4枚目の写真〕

 :当時の新聞の記事切り抜きのもので、次の説明がある。

 パヴロワ夫人ーと握手する道成寺姿の藤間靜枝

 

パブロワ夫人の日本舞踊

   御師匠さんは花圃女史

 過日來京都南座に出演していたパヴロワ夫人が京都の都ホテルに滞在中同ホテルの一室で頻りに日本舞踊の練習を受けてゐた、教ふる人は三宅博士夫人花圃 くわほ 女史の令妹池村あか子女史で同女史は東京からズツとパ夫人に附添うてゐるパ夫人は既に「三ツ面子守」を習ひ覺えて其の衣裳を三越に注文し夫 それ も既に出來上り、尚ほ鬘 かつら をも注文し、本衣裳附で鬘を用ひ笹に結んだ三つ面の小道具と愛らしい市松の京人形とを抱いて振好く舞ひ喜んでゐる、池村女史は語る

 『私は舞踊の師匠をしてゐるといふ譯ではありません、又何流とか何風とか云ふ舞踊振ではなく眞に私の獨習であります。元來私は舞踊が好きです、獨り舞踊ばかりではありません、この種のものは何でも好きなのです、だから振付もする節付もする、又自分で唄も作ります、パ夫人には帝劇に出演の時から賴まれて先づ日本舞踊の説明から始めました、而して一つ二つ教へ始めましたがアノ方の得意のダンスは迚も日本人の眞似し得られぬ程の輕妙さで流石に世界一と稱へられて居られますが日本の舞踊に就ては迚も左様は行きません教へるのからして中々大變です、併し「三つ面子守」だけは一寸型がついた樣で更に「後舞」といふのを教へる事になりました、衣裳は京都の井上大丸に注文し鬘は南座の鬘師に注文しました尚ほ一つ二つ日本に滞在中教へる事になつて居ます』

=寫眞説明=兎に角及第したパ夫人の「三つ面子守」

 上の写真と説明は、当時の新聞の記事切り抜きのものである。



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