蔵書目録

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「國性爺合戰」に就いて (道頓堀 浪花座) (1918.1)

2024年01月27日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

        
 近松巣林子作 「國性爺合戰」に就て 大當り二百年の記念 
  
 近松門左衛門翁が畢生の大傑作「國性爺合戰 こくせんやかつせん 」が書卸 かきおろ されて今の浪花座なる筑後の芝居へ初めて上演せられたは正徳五年十一月朔日 ついたち であつた、古今未曾有の大當りを取つて三年越しに十七ヶ月間打續け衣裳を新調すること三度にまで及んだのである。
 此素晴らしき勢 いきほひ は忽ち歌舞伎界に及び、翌享保元年秋京都の都萬大夫座にて柴崎林左衛門(甘輝 かんき )山本かもん(錦祥女)榊山小四郎(和唐内)芳澤あやめ(母磯埜)等らが之れを演じ、其翌享保二年三月十五日初日で大阪道頓堀嵐大三郎座で中川佐十郎(甘輝)佐野川花妻(錦祥女)竹島幸左衛門(和唐内)嵐三十郎(老一官)萩野八重桐(母磯埜)等が上場した此時は櫻山四郎三郎、姉川新四郎等が他二座で開演し三座大競爭となつた。同年の五月には國性爺熱が江戸の三座に迄及ぼされ中村座では二代目市川團十郎、市村座では大谷廣次、森田座では初代松本幸四郎が此狂言を出して大競爭を遣 や つたさうして各座共に大成功を収めたといふ。
 斯 か く京、大阪、江戸と一時に競演せられたといふ事は我が演劇史上無比の偉觀で、如何に此狂言が觀迎せられたか想像するに餘りがある、それで此狂言が筑後の芝居で三年越しの大當りを取つてから恰度 てうど 二百年になる、それを記念すべく今日當浪花座に上演せられるは深かき由來と面白き因緣とを持つものと言はねばならぬ。



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