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戦争と追憶 川上貞奴
彼の露国青年は今何処?
妾 わたし は今回の帝劇の軍事劇で、敵国へ女探となつて入込む女優に扮して居りますが、夫 そ れについて追憶 おもひだ されるのは曾て妾に恋した露国の青年士官です。其の方は当時男爵の一粒種の息子さんでしたが、今日では一廉 ひとかど の将校として
今度の大戦争にも出征され
て居られる事を聞きましたから、其の方の名誉を重んじて、お名前だけは申上げられません。
恰度 ちやうど 日露戦争の前年でしたが、妾が欧洲巡業の際、愈々 いよいよ 露国に這入ると、露国では意外にも学生の歓迎が盛んで、妾の為めに特に学生団の歓迎会が催さんと云ふ騒ぎでした。殊に不思議と思つたのは、宴会場を馬車で出ますと月の光に白い筈の通路が一面に真黒になつて居る事で、よく見ますと黒い外套が敷き詰められてありました。ホテルへ戻つても白い筈の大理石の玄関の階段が真黒に外套で敷き詰められてある事で、妾は夫れが歓迎を受けた学生達の外套であると知ると靴の泥で踏むことが什麼 どう しても出来ませんでしたが、却 かえ つて踏まないのは失礼になると聞いた時には妾は嬉しくつて涙が零 こぼ れました。
其の時、歓迎会や観劇会の主催者となつて盛んに運動して下さつたのが、前に申上げた男爵の息子さんでした。壮 さかん に応援してくれまして愈 いよい よ露国を去る事になつた時に、又妾の為めに盛んに送別会を開いて下さいましたがその席上で、其の方が
帝劇興行「英雄と美人」貞奴の女優デナチロン
バイオリンを弾じて別れの曲
と云ふ悲しい曲を唄って下さいましたが、それが最後で、日露の戦争となり、妾は外国にも居られず日本に戻つて姫路を初興行の振り出しに全国巡業の旅烏となりましたのが三十二歳の時です。
恰度、伊予の松山に興行した時でした。日露役の為めに捕虜となつて露国の軍人が松山に居ると聞きましたので、妾は何の気なしに其の捕虜の見物に行きますと或るバラックの中で頻りにバイオリンを弾じて居ました。耳を澄まして妾は其のバイオリンの音に聴き惚れて居ますと、不思議にもその譜が前年露国巡業の際男爵の息子さんが送別会の時に弾じた『別れの曲』によく似て居ます。妾は何となく当時の事が追憶されてなりませんでしたからもしやと云ふ好奇心も手伝つたので早速捕虜収容所長の高野歩兵大佐に面会して、露国に於ける時の事情を悉 ことごと く打明けて、もしその男爵の息子さんなら是非共面会を許可して下さいと申込むと偶然に
(巴里帝室俳優待合室の場)
男爵の息子さんが青年士官に
なつて而も捕虜の身となつて居たのです。妾はこの奇遇を実に小説以上に不思議と思ひました。
妾が其のバラックを訪れると、あの色白で妾の顔を見るたびに耳の根を赤くして恥しがつた男爵の息子さんが、髯だらけになつて俯伏 うつぶ して居られました。妾は一目見てもう涙が先になり『貴官 あなた 什麼なさいました』と肩を叩いた時、妾を見上げて飛上るほど吃驚して、沁々 しみじみ 妾の雙の腕を堅く掴んだまゝ男泣きに泣きました。
その青年士官の話に依ると妾と別れると直ぐ召集されて出征したそうですが、大の音楽好きの事とてバイオリンだけは片時も手ばなした事はなく、露営の月を眺めても、追憶されるのは妾の袈裟御前に扮した舞台の姿だつたさうで、其のたびに別れ際弾じた悲譜をせめて心やりに心行くばかり弾じては、当時の回想を恣 ほしいまゝ にして、当時の印象を生かしては慰籍して居つたさうで、今も其の悲譜を奏 かな でゝ居た処であつたと聞いては、遉 さす がの妾も心から感謝しました。妾は日本全国に多数の贔屓がるよりもこの一人の敵国の贔屓があつた事を心から嬉しく思つたのです。
夫れから妾は高野大佐に尚一層お頼みしますと、大佐も情にもろいお方だけに直ちに承知されましたので、外の捕虜将校と共に
(梅幸のジエロムボナパルトと貞奴のデナチロン)
道後温泉の鮒屋 ふなや に案内して
土地の芸者を総揚げして盛に異郷に捕はれの身となつた人々の寂しさを心の限り慰めてやりました。この噂が松山中に拡がつたお蔭で興行は大当りで、其の青年士官は遂々 とうとう 高野大佐を説いて、毎夜のやうに見物に来てくれ、造花で作つた軍艦型の贈物をよこすなど妾に大変な肩入でした。其の士官は捕虜の身でしたが故郷の両親が大層心配されて月々莫大な金を送つてよこすさうで、夫れから妾が次興行が土佐と定 き まり高知へ着いて、割当てられた旅館にいづれも疲れを休めて、愈よ町廻りも終り今晩から開演と云ふ日の正午過ぎでした、突然旅館の門前が騒がしくなつて、ドヤドヤと人波が寄せて居るので妾は吃驚して何事が始つたかと思ひながら二階の窓から見ると
(伯林宮殿の場)
露国士官が憲兵に護送されて
来た処なので、其の中に男爵の息子さんが居りましたので妾はハッと思つて二度吃驚しました。青年士官は不相変 あひかはらず バイオリンを抱へたまゝニコゝしながら妾の座敷に這入つて来ました。段々憲兵さんから話を聞くともう一度でいゝからマダム貞奴の芝居を見に高知へ行かしてくれ、行かせなければ縊死して了 しま ふと云つて什麼しても承知しないので遉がの高野大佐ももて余し、夫れではもう一度だけだと云ふので憲兵附添ひで遥々 はるばゝ 観劇に来たのだそうです。
妾は其晩芝居が終つてからも自分の旅館に泊めて、翌朝も船まで送つてやりますともう逢はれないのかとオイゝ声を起てゝ泣きました。其後戦争は了 をは つて、青年士官は帰国も許されましたが神戸から出発と云ふ際に恰度妾が神戸の大黒座に興行中の時でしたので楽屋へ訪ねて来られて、愈よ帰国するから最後のお別れに来たと云ふてチヨコレツト入 いり の美麗な菓子折を贈つてくれました。後で開けて見るとチヨコレツトの下に純金製の菱形の二寸角程あるメタルは入つて居 い て、傍に手紙がありました。その手紙に依ると妾に川上音二郎と云ふ立派な定まつた良人がある事を知らずに心から二年越し恋して居たが良人があると知つては一層煩悩に堪へられないから断然帰国をするが、曾て私のやうな男があつた事も貴女の頭脳から忘れないやうにして貰ひたい……と云ふ意味の手紙なので、妾は初めて其の露国の青年士官に恋されたことが解りました(完)
上の一文〔写真3枚は文中にあるもの〕は、大正三年 〔一九一四年〕 十月一日発行の 『ニコゝ』 拾月号 第四十五号 〔発行所 東京新橋 ニコニコ倶楽部〕に掲載されたものである。
同号には「思ひ出多き故郷 文学博士 福来友吉」などの一文もある。裏表紙は、三菱呉服店の広告「三越の新館成る」である。
なお、下は本書中にあるもの。
ニコニコ座右銘
一 今日一日三つの恩を忘れず不足の思ひを為さぬ事
二 今日一日腹を立てぬ事
三 今日一日嘘を云はず、無理を為さぬ事
四 今日一日人の悪を云はず己れの善を云はざる事
五 今日一日の存命を喜び稼業を大切に勤むべき事
右は今日一日の慎 つゝしみ にて候 さふらふ
ニコゝ主義者は毎朝必ず三回之を唱へて愉快にその日を暮すこと