蔵書目録

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『琴曲界』 第一号 琴曲研究会 (1913.1)

2020年03月05日 | 音楽学校、音楽教育家

 

 琴曲界 琴曲研究会発行 第壹号 (第壹巻) 大正二年一月一日発行

 賛助員 (いろは順)

 東京音楽学校学習院女子部琴曲教授 今井慶松君
 東京盲学校東京女子音楽院琴曲教授 萩岡松韻君
 宮内省御歌所主事         阪 正臣君
 東京音楽学校幹事文学士      富尾木知佳君
 山田流琴曲教授          高橋栄清君
 日本女子大学教授文学士      武島又次郎君
 東京音楽学校講師         上原六四郎
 山田流琴曲教授          上原真佐喜君
 東京女子美術学校琴曲教授     山木千賀君
 東京盲学校長           町田則文君
 学習院女学部教授文学博士     松本愛重君
 日本女子大学琴曲教授       佐藤左久君
 東京音楽学校長          湯原元一君
 東京女子高等師範学校教授文学博士 関根正直君     

 琴曲研究会設立趣意書

 現時の我が音楽界はさながら洋楽の独舞台とも申すべき有様でありまして惜いかな邦楽は実に衰微の極に達しようとして居ります洋楽の隆盛になりましたのも決して喜ぶべきことゝは申しませんが併し是れが為に折角古来幾多名手の研究を重ね随分久しい歴史を持つて伝はりました邦楽之れを洋楽に較べましても総べての点に於て毫も遜色のあるでなく寔にに能く我が国民性的嗜好に適合した音楽でありますのにそれが全然頽廃に帰せんとするをも顧りみないといふ今日の形勢となりましたのは畢竟我が国人があまりに洋風崇拝の一方に傾き過ぎて遂に本末を誤り肝腎の国粋保存といふ本義までを無視した結果でありまして心ある者の憂惧措く能はざる所でありますそこで是非共茲に邦楽の振興策を講ずる必要があるのでありますそれには先づ兎も角も一般の家庭に容れられて猶多少の命脈を繋いで居る琴曲を主として研究を始めますのが便利でもあり又順序にも適つて居ると考へられます所から此の度学術と技術の両方面に於て現今第一流の聞えある諸先生の賛同を得まして本会の設立を見るに至つた次第であります。

     東京市小石川区竹早町七番地
  大正元年十一月 琴曲研究会   

 琴曲研究会会則 (大正元年十一月廿五日創定)

 第一條 本会は主として我が国古来の琴曲を研究し邦楽の発達普及を図るを目的となす。

 第二條 前條の目的を遂ぐる方法として毎月一回『琴曲界』と題する機関雑誌(一冊定価金貮拾銭郵税金貮銭)を発行する外特に有益と認むる図書を随時に刊行し又時々琴曲演奏会を公開す。

 第三條 道義を重んじ著実に琴曲を研究せんとする者は何人にても本会の会員たることを得。

 (以下省略)

 ◎口絵写真七面 …

   

 ・流風余韻山田翁
 ・東京盲学校長町田則文君
 ・東京盲学校内楽々会秋季演奏会

  口絵第三面の説明

 本誌の口絵第三面に掲げた須磨の嵐合奏の一面は、大正元年十月十七日午後、小石川区雑司ヶ谷町東京盲学校講堂に催された同校内楽々会秋季演奏会に於ける曲目八番中、第五番の実景を、本会が町田校長の許可を得て特に撮影せしめたもので、壇上琴に対へる男子は同校教員萩岡松韻君、婦人は竹下ヨシエ三宅正子及び古澤まさといふ三君で孰れも師範科生である。次に三絃は天野宗吉君、尺八は関口月童君といふ顔揃ひなのである。因に、楽々会の演奏会は必ず春秋二季に催さる々といふことである。

  

 ・今井慶松君〔上左〕、萩田松韻君〔上右〕、櫛田ひろ子君

  

 ・高橋栄清君〔上左〕、上原真佐喜君〔上右〕、木南美千勢君

  

 ・山木千賀君〔上左〕、佐藤左久君〔上右〕、諏訪多喜井君
 ・石井松清君女富子嬢(四歳) (同君助手)、飯田松連君門弟 田淵すみ子君(十九歳)

 ◎発刊の辞 … 本会幹事 田中真弓

 私は、自らの浅学菲才をも省みず、敢へて琴曲研究会の幹事として、今回江湖の諸君子に見 まみ ゆる事となりましたにつきまして、茲に御挨拶を兼ねて極めて簡単なる発刊の辞を述べようとする次第であります。
 我が琴曲研究会は、即ち時代の要求に促されて起つたものでありまして其の目的は、予ねて会則を以て公表しました通り、主として我が国古来の琴曲を研究し、邦楽の発達普及を図らうといふのでありますが、之れは、従来に絶えて無い頗る困難な事業でありまして、迚 とて も吾々微力の企て及ぶ所ではありませんが、幸に賛助員各位を始め、名誉会員外諸先生の深甚なる御賛成と多大なる御同情とを 辱 かたじけな うしまして、兎も角も茲に機関誌第一号を創刊するに至りましたのは、最も光栄とする所であります。何分、創業に際し、殊に年末多忙の時に会しましたので、総てが心に任せませぬ所から、内容の整はないのみでなく、甚だしく発行予期に遅れまして、何共恐懼に堪へませぬが、次号よりは、毎月一日を定期として確実に発行し、著々として完備の域に進むべく努力します。

 ◎琴曲研究会の創立をほぎまゐらせて(真筆短冊) … 実践女学校長 下田歌子

 ◎琴曲界発刊に題す … 東京盲学校長 町田則文

 這般琴曲研究会を設立せられ、機関雑誌として、『琴曲界』を発行せらる、余は頗る其旨趣を賛成するものなり。吾が邦各種の音楽時の古今により消長したけれども、恃 ひと り琴曲は、長く吾が国上下の家庭に行はれて替らざるのみならず、寧ろ現時に至りては、上は皇族方の御家庭を初めとせられ、華族以下社会一般の家庭に至るまで、漸次拡張隆昌の機運に向ひたりと云ふ可きか。現に帝国の中心たる東京市内にありては、該音楽教授を以て業務を開くもの数十を以て計 かぞ ふ可く、一所多きは百数十名の子弟を有し、少なきも三四十人の子弟を有せざるものはなしと云へり。他種の音楽にありて斯の如きの盛挙を看ることは幾 ほと んど稀れなり。以て知る可し如何に琴曲の吾が邦上下の家庭に愛玩せられあるかを。
 (以下省略)

 ◎琴曲と家庭     … 東京音楽学校長 湯原元一

 ◎(真筆短冊)   … 東京高等女学校長 棚橋絢子

 ◎雑誌琴曲界の発刊を祝す … 東京音楽学校幹事 富尾木知佳

 ◎歳暮の曲(新作琴歌) … 日本女子大学校教授 武島羽衣

 ◎佐保姫(新作琴歌) … 宮内省御歌所録事 加藤義清

 ◎琴曲さくら本譜略譜並に説明 … 落合澤子

    

 ◎琴曲松上の鶴 琴三絃本譜並に説明 … 同人

 ◎(真筆短冊) … 跡見女学校長 跡見花渓
 
 ◎音楽の人に及ぼす感化 … 第一高等学校教授 今井斐己

 ◎ 宮内省御歌所主事 … 阪正臣

 ◎(真筆色紙) … 三輪田高等女学校長 三輪田眞佐子

 ◎琴に就いて … 日本女子大学校琴曲教授 佐藤左久

 ◎私の教授法 … 琴曲教授 佐藤美代勢

 ◎琴歌講義 … 武島羽衣  〔下は、その最初の部分〕

 日本で琴といふのはもと廣い名まへで、謂はゞ弾物 ひきもの の總名であった。ことんとかかかたんとか弾いて音 ね を出す楽器は皆琴と呼ぶ事が出来たのである。されば、六絃の倭琴 やまとごと や、七絃の琴 きん や、十三絃の筝 そう の琴即ち筑紫琴やはいづれも琴 こと と名づけられてあった。それが室町時代に至りて獨り筝の琴のみ次第に流行の範圍が廣くなり、殊に徳川時代に及び上下普ねく子女によりてもてあそばるゝやうになりてからは筝の琴とか筑紫琴とか言はずとも、唯 ただ 琴とのみいひて直ちに筝の琴や筑紫琴を意味するやうになってしまった。今日の琴といひ琴歌といふのも其意味で使用せられてあるのである。さて是 この 琴には古くは定 さだま った歌が作られてゐなかったのを延寶天和 てんな の頃に八橋檢校といふ名人が出でて、表組 おもてぐみ 裏組中組奥組などの十三曲の組歌といふものを作り出して始めて曲と歌とを製定した。それから八橋檢校の門人や又次々の檢校が出でて、數多 あまた の新組を作りて遂に今日の琴歌 ことうた が出來あがったのである。
 琴は曲と歌と二つ揃うて眞實 ほんと の面白みはあるものであるが、しかしどうしても、曲が主になって歌は附けたりになるものであるから、曲の爲に歌が妨げられて、意味の聯絡しない、通りのわるいふしぶしが澤山ある。されば今日琴曲をもてあそぶ數多の子女には歌の義理の何なるかも知らず、無意味に歌ひてをる場あひが必ず多からむと推量する。さりながら前にも言うた如く、琴曲の眞實の面白みは曲と歌と相揃った所に於て始めて生ずるのである。曲もわかり歌もわかって本當の琴の妙味は感ぜられるのである。されば歌を無意味に歌ひながら曲を弾くのは正しい琴の學びかたではないと思ふ。是點 このてん に感じて試みたのが本號から掲載する是 この 琴歌講義である。尤もこれまでとても、琴歌の講義をなしたものは少くない。元祿八年に出た琴曲抄を始めとして、安永八年山田松黑が著したる筝曲大意抄、天明三年百井定雄のものしたる調筝自在抄、文化九年高井伴寛の著したる撫筝雅譜大成抄などが、板 ばん に成ってゐる物では人のよく知ってゐる書である。是外寫本で傳はってゐるものには天明五年に成りたる立木信憲の筝曲考、又村田了阿の著にかゝる吾嬬 あづま 筝譜考證が最も詳しく注釋してゐる。而して明治になりてからも、二三の解釋書が出てゐるが或者 あるもの は餘りにざっと説き、或者は却りて繁に過ぎ、どうも中等教育を受けた子女に程よくわかるやうに説き明かしてゐるものが見えぬやうであるから是講義には成るべく中間の道を採って行ったつもりである。詳しい、考證に渡るやうな解きかたをせぬのは是目的の結果であるから豫 あらか じめ心得ておかれむ事を希望する。

      

 櫻。 さくら。 やよひの空は見渡すかぎり霞か雲か。 匂ひぞ出づる。 いざや。 いざや。 見に行かむ。

  是歌は組歌の中 うち のものでは無い。琴を初めて習ふ者が手ほどきに教へらるゝ曲の一つの歌である。これは鎌倉時代の歌人で僧慈圓といふ人の歌に、
   春のやよひの曙に、四方 よも の山べを見渡せば、花ざかりかも白雲の、かゝらぬ山こそ無かりけれ。
  といふ今様(七五といふ句を四つ幷べたる歌の形)と、本居宣長の
   しき島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山櫻花。
  といふ歌を取合せて作ったものである。
  (語釋)やよひは彌生 いやおひ といふ意で、草の若芽などが彌彌 いよいよ 生 お ひ出づる頃といふ意味。舊暦の三月頃を言ふ言葉である。 見渡すかぎりは目に見ゆるだけ、目で見る全體といふ意。 匂ひぞ出づる。 日の光りなどが花びらにさしてほんのり赤く色に出 いづ るといふ事。これは前の本居宣長の歌の「にほひ出でたる」といふのを用ゐたのである。
  (大意)櫻よさくらよ。満開になった三月頃の空を見ると、目に見ゆる全體が雲ではないか霞ではないかと思はるゝばかりにほんのり赤い色ににほってゐる。さあさあすぐにあの櫻を見物しに行かうといふので、春さきの樂しい景を叙 の べた歌である。

 ◎山田検校翁略伝 … 田中真弓

 ◎十三絃 … 岐水迂人 

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