蔵書目録

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「三越音楽隊の解散に就て」 妹尾幸陽 (1925.5)

2024年07月15日 | 音楽学校、音楽教育家

    三越音樂隊の解散に就て
 
三越音樂隊は明治四十二年二月、株式會社三越呉服店の日比翁助氏に依て創立せられた。最初の名を三越少年音樂隊と云ひ、海軍軍樂隊出身の久松鑛太郎氏之が樂長となつて全くの初歩からの練習に取掛つたのであつた。日比谷公園音樂堂での初演奏は、明治四十四年十月十七日の事であつて、以來、海軍陸軍の軍樂隊と交互して、日比谷音樂堂でわが東京市民の耳を樂しめたことは非常なものである。大正三年の大正大博覽會が上野に開かるゝや、同音樂隊は主として第一會場に陣取つて偉大な活動を爲したが恐らく、三越音樂隊の最も得意な時代であつたのであらう。尚同隊の名譽として記すべきは明治四十五年五月、千駄ヶ谷なる大山元帥邸にて 今上天皇陛下が東宮殿下でおはした頃、同邸へ行啓遊ばされた折、御前演奏の光榮を擔ひ特に宮中から金一封を賜はり、後、興津なる井上元帥別莊にても再度同樣の光榮を荷ふたのであつた。
それから大正十一年上野に開かれた平和博覽會にも非常な活動を爲した事は、まだ市民の耳目に新なる事であらう。而して、何の理由かは知らざれども、大正十四年四月末日限りで、十七星霜の歷史を持つた此の樂隊は、東京の名物の一つから其の名稱を削つてしまつたと云ふ事は、色々な意味に於て惜しむべきものである。本日は特に、同隊が最も得意として最初より演奏し來つた、なづかしむべき二曲を演奏して市民好樂家への永久の告別をするのである。世を擧げて文化文化と絕唱する世の中に、今更感慨無量なりと云はねばならぬ。
    大正十四年五月廿六日                妹尾幸陽謹識

〔蔵書目録注〕
 
 上文は、「大正十四年五月廿六日(火曜)午後七時開會 於丸の内報知講堂 主催洋樂研精會 音樂と映畫大會番組  此會を以つて 三越音樂隊告別演奏會とす」のプログラムにあるもの。 
 なお、文中の「なづかしむべき二曲を演奏」については、同プログラムの冒頭に次の記載がある。
  
   三越音樂隊告別演奏 (管絃樂・樂長久松鑛太郎指揮)
    一、行進曲「樂しき戰友」  ‥‥‥タイケ作曲
    二、喜歌劇「天國と地獄」抜粋‥‥‥オッフェンバッハ作曲
  ▢此處に送別の爲め陸軍戸山學校軍樂隊に依りて『オールド・ラング・サイン』が演奏せらるる。
   以て告別演奏を終了す。



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