弟・水歯別命(みずはわけのみこと)、倭(やまと)に上り到りてのりたまはく
「今日はここに留まりて、【祓(はらへ)・禊(みそぎ)】して、明日参出(まいで)て神宮(かみのみや)を拝まむ」とのりたまひき
故、其の地(ところ)を号(なづ)けて【遠飛鳥(とほつあすか)】といふ
故、石上神宮(いそのかみのかみのみや)に参出て、天皇に奏(まを)さしめたまはく
「【政(まつりごと)】既に平(たひら)げおへて参上(まいのぼ)りて侍(さもら)ふ」
とまをさしめたまひき。ここに召し入れて相語らひたまひき
天皇、ここに阿知直(あちのあたひ)を始めて【蔵官(くらのつかさ)】に任(ま)け、また【糧地(たどころ)】をも給ひき
天皇の御歳、【陸拾肆歳】
【壬申】の年の正月三日に崩(かむあが)りましき
御陵は【毛受】にあり
★政(まつりごと)
ここは天皇から命じられた任務
墨江中王(すみのえのなかつみこ)を打つこと
★祓・禊
隼人を斬った罪穢を清める
★遠飛鳥
※奈良県高市郡明日香村
※遠→難波宮から遠い
※元明天皇の平城遷都まで多くの皇居はこの地に営まれ、政治・文化の中心地
★蔵官(くらのつかさ)
宮中の蔵を管理する
帰化人が財政の中枢に参加した意義は重大である
★糧地(たどころち)
田所、私有の領地
★睦拾肆歳(むそぢまりよとせ)
64歳
★壬申(みずのえさる)
432年
★毛受(もず)
大阪府堺市石津ヶ丘町
仁徳天皇陵の西南
■水歯別命(みずはわけのみこと)は大和に着いて「今日はここに泊まって祓・禊をし、明日参上して天皇のいらっしゃっる神宮を拝もう」と言った
それゆえ、この地を名づけて遠飛鳥というのである
そして石上神宮に参上して、天皇に向かい、人を通して「仰せの墨江中王(すみのえのなかつみこ)討伐のことは、すっかり平定し終えて参上いたしました」と奏上した
これを聞いて天皇は水歯別命を中に呼び入れて共に語られたのであった
天皇は先に天皇を救出した阿知直(あちのあたい)を初めて蔵官(くらのつかさ)に任命し、また私有地の領地も与えた
天皇の享年六十四歳
壬申の年の正月三日にお亡くなりになった。御陵は河内の百舌鳥(もず)にある