るるの日記

なんでも書きます

古事記・履中天皇・先に天皇を救出した帰化人阿知直が財務の中枢に参加した意義は重大

2021-02-13 12:41:53 | 日記
弟・水歯別命(みずはわけのみこと)、倭(やまと)に上り到りてのりたまはく
「今日はここに留まりて、【祓(はらへ)・禊(みそぎ)】して、明日参出(まいで)て神宮(かみのみや)を拝まむ」とのりたまひき
故、其の地(ところ)を号(なづ)けて【遠飛鳥(とほつあすか)】といふ

故、石上神宮(いそのかみのかみのみや)に参出て、天皇に奏(まを)さしめたまはく
「【政(まつりごと)】既に平(たひら)げおへて参上(まいのぼ)りて侍(さもら)ふ」
とまをさしめたまひき。ここに召し入れて相語らひたまひき

天皇、ここに阿知直(あちのあたひ)を始めて【蔵官(くらのつかさ)】に任(ま)け、また【糧地(たどころ)】をも給ひき

天皇の御歳、【陸拾肆歳】
【壬申】の年の正月三日に崩(かむあが)りましき
御陵は【毛受】にあり

★政(まつりごと)
ここは天皇から命じられた任務
墨江中王(すみのえのなかつみこ)を打つこと

★祓・禊
隼人を斬った罪穢を清める

★遠飛鳥
※奈良県高市郡明日香村
※遠→難波宮から遠い
※元明天皇の平城遷都まで多くの皇居はこの地に営まれ、政治・文化の中心地

★蔵官(くらのつかさ)
宮中の蔵を管理する
帰化人が財政の中枢に参加した意義は重大である

★糧地(たどころち)
田所、私有の領地

★睦拾肆歳(むそぢまりよとせ)
64歳

★壬申(みずのえさる)
432年

★毛受(もず)
大阪府堺市石津ヶ丘町
仁徳天皇陵の西南


■水歯別命(みずはわけのみこと)は大和に着いて「今日はここに泊まって祓・禊をし、明日参上して天皇のいらっしゃっる神宮を拝もう」と言った

それゆえ、この地を名づけて遠飛鳥というのである

そして石上神宮に参上して、天皇に向かい、人を通して「仰せの墨江中王(すみのえのなかつみこ)討伐のことは、すっかり平定し終えて参上いたしました」と奏上した
これを聞いて天皇は水歯別命を中に呼び入れて共に語られたのであった

天皇は先に天皇を救出した阿知直(あちのあたい)を初めて蔵官(くらのつかさ)に任命し、また私有地の領地も与えた



天皇の享年六十四歳
壬申の年の正月三日にお亡くなりになった。御陵は河内の百舌鳥(もず)にある




古事記・履中天皇・水歯別命と隼人、同じ盃で酒を飲む

2021-02-13 11:39:49 | 日記
水歯別命(みずはわけのみこと)、ここに其の隼人にのりたまはく、「今日は大臣と【同じ盃(つき)】の酒を飲まむ」とのりたまひて、共に飲みたまふ時、面(おも)を隠す【大鋺(おほまり)】に其の進むる酒を盛りき

ここに王子(みこ)先に飲みたまひて、隼人後に飲みき。故、其の隼人飲む時、大鋺面を覆ひき

ここに席(むしろ)の下に置きし剣を取り出(いだ)して、其の隼人の頚を斬りたまひて、乃ち明日上りいでましき

故、其の地を号けて【近飛鳥(ちかつあすか)】といふ

★同じ盃
同じ盃で酒を飲むことは仲間になるという意味がある

★大鋺(おほまり)
鋺(まり)→酒な汁物を盛る丸い器、椀。土、木、金製がある

★近飛鳥
河内国安宿郡安宿(あすかべ)
大阪府羽曳野市飛鳥


■水歯別命(みずはわけのみこと)は隼人に向かって「今日は大臣のおまえと同じ盃で酒を飲もう」と言って一緒に飲む時に、顔を隠すほど大きな椀に、その勧める酒を盛ったのだった

まず皇子が最初に飲んで、隼人はその後に飲んだ。隼人が飲む時に、大きな椀が隼人の顔を覆ってしまった

すかさず水歯別命は敷物の下に隠しておいた剣を取り出して、隼人の首を斬ってしまい、そしてその翌日、大和へ上った

それゆえ、その地を名づけて近飛鳥というのである




古事記・履中天皇・大臣の位を授かり歓喜する隼人・曾婆理

2021-02-13 11:06:58 | 日記
水歯別命(みずはわけのみこと)これをもちて、曾婆訶理(そばかり)にのりたまはく「今日(けふ)はここに留(とど)まりて、まず大臣の位を給ひて、明日上りいでまさむ」とのりたまひて、その山口に留まりて、即ち仮宮を造り、にはかに豊楽(とよのあかり)したまひて、乃ち其の隼人に大臣の位を賜ひ、百官(もものつかさ)をして拝(をろが)ましめたまふに、隼人歓喜(よろこ)びて志遂げぬとおもひき

■こうして水歯別命(みずはわけのみこと)は、曾婆訶理(そばかり)に
「今日はここに泊まって、まずはおまえに大臣の位を授け、そのうえで明日大和へ上って行こう」

と言って、その山の入口にとどまって、すぐ仮宮を造り、急に酒宴を催されて、そしてその隼人に大臣の位を授け、多くの官吏に命じて隼人に対して大臣としての拝礼をさせると、隼人は歓喜して、自分の願いが叶ったと思い込んだ

古事記・履中天皇の弟、水歯別命の信義とは

2021-02-13 09:59:28 | 日記
曾婆訶理(そばかり)、己が王の厠(かわや)に入るをひそかに伺ひて、矛をもちて刺して殺しまつりき

故、曾婆訶理を率(い)て倭(やまと)に上りいでます時、大坂の山口に到りておもほさく

「曾婆訶理、吾がためには大きな功(いさお)有れども、【既に】己が君を殺せしは、これ【義(ことわり)】ならず。しかれども其の功にむくいぬは、【信(まこと)】無しといひつべし。既に其の信を行はば、【還りて其の情(こころ)こそ、かしこけれ】。故其の功に報ゆとも、其の【正身(ただみ)】を滅してむ」とをもほしき

★既に
とうとう、まぎれもなく

★義(ことわり)
ものの道理、人の道

★信(まこと)
誠意、信義

★還りて其の情(こころ)こそかしこけれ
※曾婆訶理科を大臣にすれば、隼人のことだから、どんな害を及ぼすかわからない、と恐れた

★正身(ただみ)
本人自身


■曾婆訶理(そばかり)は自分の仕える墨江中王(すみのえのなかつみこ)が厠(かわや)に入るのを、こっそり伺って、矛で刺し殺した

こうして水歯別命(みずはわけのみこと)は曾婆訶理を連れて大和へ上って来たが、途中、河内の大坂の山の入口に着いて考えた

「曾婆訶理は私のためには大きな手柄だったけれども、まぎれもなく自分の主君を殺したのは、人の道に背くことだ

けれども、その手柄に報いないのは、信義に反することになる。かといって約束どおりに信義を実行すれば、彼がどんなことをしでかすか、かえってその心が恐ろしい

だからその手柄に報いることは報いても、彼自身は亡き者にしてしまおう」と考えた


古事記・履中天皇・本当に恐ろしいのは、弟・水歯別命だった

2021-02-13 09:22:04 | 日記
弟水歯別命(みづはわけのみこと)
難波に還り下りて、墨江中王(すみのえのなかつみこ)に近く習(つか)へまつる【隼人(はやと)】
名は曾婆加理(そばかり)を欺きてのりたまはく

「もし汝(かれ)吾(あ)が言に従はば、吾天皇となり、汝を大臣(おほきみ)になして、天下(あめのした)治めむはいかに」とのりたまひき

曾婆訶理、「命のまにまに」と答へまをしき。ここに其の隼人に多禄(あまたもの)たまひて、のりたまはく
「しからば汝が王を殺せ」とのりたまひき

★隼人
南九州に住んだ部族

■水歯別命(みづはわけのみこと)はすぐに難波に引き返し、墨江中王(すみのえのなかつみこ)の近くに仕えている隼人(はやと)で名は曾婆訶理(そばかり)という者を騙して
「もしおまえが私の言うとおりにすれば、私は天皇となり、おまえを大臣(おおきみ)の地位につけて天下を治めようと思うが、どうだ」
と言った

曾婆訶理は「お言葉のとおりにいたします」と答えた

そこで水歯別命はその隼人に数多くの品物を与えて「それならおまえの主人の王を殺せ」と言った