ここに【倭漢直(やまとのあやのあたひ)の祖、阿知直(あちのあたひ)】盗み出(いだ)して、御馬に乗せていでまさしめき
故、【多遅比野(たぢひの)】に到りてさめまして「ここはいづくぞ」とのりたまひき。ここに阿知直まをさく
「墨江中王、火を大殿につけましき。故、いて倭に逃ぐるなり」とまをしき。ここに天皇うたひたまはく
「多遅比野に
寝むと知りせば
【立薦(たつごも)】も
持ちて来ましもの
寝むと知りせば」
とうたひたまひき
【波邇賦坂(はにふさか)】に到りて、難波宮を望見(みさ)けたまへば、其の火、猶あかくみえたり
ここに天皇またうたひたまはく
「波邇賦坂
我が立ち見れば
【かぎろひろ】
燃ゆる家群(いへむら)
妻が家のあたり」
とうたひたまひき
故、【大坂】の【山口】に到りいでましし時、一(ひとり)の女人(をみな)に遇(あ)ひたまひき。その女人まをさく
「兵(つはもの)を持てる人ども、多(さは)にこの山を塞(せ)きおり。【当岐麻道(たぎまち)】より廻りて越えいでますべし」とまをしき
ここに天皇うたひたまはく
「大坂に
遇ふや嬢子(をとめ)を
道問へば
【直(ただ)には告(の)らず】
当芸麻道(たぎまち)を告る」
とうたひたまひき
故、上りいでまして【石上神宮(いそのかみのかみのみや)】に坐しましき
★倭漢直(やまとのあやのあたひ)の祖、阿知直(あちのあたひ)
※中国系の帰化人の氏族
★多遅比野(たぢひの)
河内国丹比郡の野
大阪府羽曳野市
★立薦(たつごも)
※防壁
※風を防ぐため屏風のように周囲に立てる薦(こも)
※こも→むしろ
★波邇賦坂(はにふざか)
※河内国の埴生坂
※羽曳野市野々上
※竹内街道が通る丘陵地帯
★かぎろひろ
春の陽炎(かげろう)
★大坂
河内から二上山の北を通る穴虫越の坂
★山口
河内側の羽曳野市飛鳥
★当岐麻道(たぎまち)
※羽曳野市の飛鳥から二上山の南の竹内峠を越えて、奈良県北葛城郡当麻町竹内に出る道
※竹内越
※大和へ出るには穴虫越より遠回り
★直(ただ)には告(の)らず
※直→まっすぐに行く道。近道の穴虫越
※のる→重大なことを告げる
★石上神宮(いそのかみのかみのみや)
※天理市布留町にある石上神宮
※物部氏の管掌した武器庫の性格もあったので、ここに行ったのは戦闘準備のためである
■この時、倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖先である阿知直(あちのあたい)が、寝ている天皇をこっそり運び出し、馬に乗せて大和へお連れ申した
河内の丹比野(たじひの)に到着し、天皇は目覚めて「ここはどこだ」と尋ねた
阿知直が「弟君の墨江中王が火を御殿につけました。それで我が君をお連れして大和へ逃げるところです」と申し上げた
これを聞いて天皇は歌った
「かねてより丹比野で寝ることがわかっていたのなら、風よけのたもを持ってきたろうに、もし寝ることがわかっていたのなら」
埴生坂について難波宮を遠望されると御殿を燃やす火が依然として赤く見えた。天皇は再び歌った
「埴生坂に私が立って眺めると、燃えるたくさんの家が見えるが、あそこが愛しい妻の家だろうか」
そこから大坂の山の入口までいらっしゃった時、一人の女に出会った。その女は「武器を手にした人たちが大勢この山を塞いでいます。当麻道(たぎまじ)を迂回して越えた方がいいですよ」と告げた
これを聞いて天皇は歌った
「女坂で出会った乙女に道を尋ねると、大和へまっすぐに行く道を告げないで、遠回りの当麻道を教えてくれたよ」
こうして大和に上っていらっしゃって、石上神宮におはいりになった