るるの日記

なんでも書きます

古事記・履中天皇・兄弟の誰も信じられない

2021-02-13 08:58:19 | 日記
ここに其の【いろ弟(ど)】・【水歯別命(みずはわけのみこと)】参赴(まるおもむ)き【謁(まを)】さしめたまひき

ここに天皇のらしめたまはく
「吾(あれ)、汝命(いましみこと)のもし墨江中王(すみのえのなかつみこ)と同じ心ならむかと疑へり。故、相言(あひい)はじ」とのらしめたまへば

答へてまをしたまはく
「僕は【穢邪(きたな)き心】無し。また墨江中王と同じからず」とまをしたまひき

またのらしめたまはく
「しからば今還り下りて、墨江中王を殺して上り来ませ。その時に吾必ず相言(あひい)はむ」とのらしめたまひき

★いろ弟(ど)
同母弟

★水歯別命(みずはわけのみこと)
後の反正天皇

★謁(まお)
まみえる、申し上げる

★穢邪(きたな)き心
天皇に対する反逆心

■石上神宮にお入りになった履中天皇のもとへ、同母弟の水歯別命(みずはわけのみこと・後の反正天皇)が参上して、拝謁(はいえつ)したい旨を人を通して申し入れた

しかし天皇はお付きの者を通して
「私はおまえがもしかしたら、墨江中王(すみのえのなかつみこ)と心を合わせているのではないかと疑っている。だから会って語らうことはしない」と言われるので

水歯別命はそれに答えて
「私はお疑いのような反逆の心は持っておりません。また黒江中王と心を同じくしているわけでもございません」と申し上げた

すると天皇は再び人を通して
「それならば今すぐ難波に帰り下り、墨江中王を殺して戻って来なさい。その時には私は必ず会おう」と言われた



古事記・履中天皇・宮中紛争に帰化人が介入し大きな役割をはたす

2021-02-13 08:25:25 | 日記
ここに【倭漢直(やまとのあやのあたひ)の祖、阿知直(あちのあたひ)】盗み出(いだ)して、御馬に乗せていでまさしめき

故、【多遅比野(たぢひの)】に到りてさめまして「ここはいづくぞ」とのりたまひき。ここに阿知直まをさく
「墨江中王、火を大殿につけましき。故、いて倭に逃ぐるなり」とまをしき。ここに天皇うたひたまはく

「多遅比野に
寝むと知りせば
【立薦(たつごも)】も
持ちて来ましもの
寝むと知りせば」

とうたひたまひき
【波邇賦坂(はにふさか)】に到りて、難波宮を望見(みさ)けたまへば、其の火、猶あかくみえたり

ここに天皇またうたひたまはく

「波邇賦坂
我が立ち見れば
【かぎろひろ】
燃ゆる家群(いへむら)
妻が家のあたり」

とうたひたまひき
故、【大坂】の【山口】に到りいでましし時、一(ひとり)の女人(をみな)に遇(あ)ひたまひき。その女人まをさく
「兵(つはもの)を持てる人ども、多(さは)にこの山を塞(せ)きおり。【当岐麻道(たぎまち)】より廻りて越えいでますべし」とまをしき

ここに天皇うたひたまはく

「大坂に
遇ふや嬢子(をとめ)を
道問へば
【直(ただ)には告(の)らず】
当芸麻道(たぎまち)を告る」

とうたひたまひき
故、上りいでまして【石上神宮(いそのかみのかみのみや)】に坐しましき

★倭漢直(やまとのあやのあたひ)の祖、阿知直(あちのあたひ)
※中国系の帰化人の氏族

★多遅比野(たぢひの)
河内国丹比郡の野
大阪府羽曳野市

★立薦(たつごも)
※防壁
※風を防ぐため屏風のように周囲に立てる薦(こも)
※こも→むしろ

★波邇賦坂(はにふざか)
※河内国の埴生坂
※羽曳野市野々上
※竹内街道が通る丘陵地帯

★かぎろひろ
春の陽炎(かげろう)

★大坂
河内から二上山の北を通る穴虫越の坂

★山口
河内側の羽曳野市飛鳥

★当岐麻道(たぎまち)
※羽曳野市の飛鳥から二上山の南の竹内峠を越えて、奈良県北葛城郡当麻町竹内に出る道
※竹内越
※大和へ出るには穴虫越より遠回り

★直(ただ)には告(の)らず
※直→まっすぐに行く道。近道の穴虫越
※のる→重大なことを告げる

★石上神宮(いそのかみのかみのみや)
※天理市布留町にある石上神宮
※物部氏の管掌した武器庫の性格もあったので、ここに行ったのは戦闘準備のためである


■この時、倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖先である阿知直(あちのあたい)が、寝ている天皇をこっそり運び出し、馬に乗せて大和へお連れ申した

河内の丹比野(たじひの)に到着し、天皇は目覚めて「ここはどこだ」と尋ねた

阿知直が「弟君の墨江中王が火を御殿につけました。それで我が君をお連れして大和へ逃げるところです」と申し上げた

これを聞いて天皇は歌った
「かねてより丹比野で寝ることがわかっていたのなら、風よけのたもを持ってきたろうに、もし寝ることがわかっていたのなら」

埴生坂について難波宮を遠望されると御殿を燃やす火が依然として赤く見えた。天皇は再び歌った

「埴生坂に私が立って眺めると、燃えるたくさんの家が見えるが、あそこが愛しい妻の家だろうか」

そこから大坂の山の入口までいらっしゃった時、一人の女に出会った。その女は「武器を手にした人たちが大勢この山を塞いでいます。当麻道(たぎまじ)を迂回して越えた方がいいですよ」と告げた
これを聞いて天皇は歌った

「女坂で出会った乙女に道を尋ねると、大和へまっすぐに行く道を告げないで、遠回りの当麻道を教えてくれたよ

こうして大和に上っていらっしゃって、石上神宮におはいりになった









古事記・履中天皇・同母弟の墨江中王の反乱

2021-02-13 07:05:34 | 日記
【本】、難波宮に坐しましし時、【大嘗(おほにへ)】に坐して【豊明(とよのあかり)】したまひし時、大御酒(おほみき)に【うらげて】大御寝(おほみね)したまひき

ここに其の弟(いろど)・【墨江中王(すみのえのなかつみこ)】、天皇を取りまつらむと欲りて、火を大殿につけき

★本
以前、昔

★大嘗(おほにへ)
即位の年に行われる新嘗祭
この場合まだ即位前の話しなので、例年の新嘗祭だろう

★豊明(とよのあかり)
酒宴

★うらげて
心がうきうき

★墨江中王(すみのえのなかつみこ)
※墨江→摂津国(大阪市住吉区)の地名
※天皇の妃になる黒姫を犯し、罪せされることを恐れたための事件

■以前、履中天皇がまだ難波宮にいたころ、新嘗の祭をなさって酒宴の催された時、天皇は酒に酔いいい気持ちになって寝てしまった

すると、その弟の墨江中王(すみのえのなかつみこ)は天皇を殺そうと思って、火を天皇のいる御殿につけた

古事記・履中天皇・皇后と御子

2021-02-13 06:38:13 | 日記
伊耶本和気王(いざねほわけのみこ・履中天皇)、【伊波礼(いはれ)の若桜宮】に坐しまして、天下(あめのした)治めたまひき

この天皇、【葛城之曾都比古(かづらきのそつひこ)】の子・【葦田宿禰(あしだのすくね)】の女(むすめ)
名は黒比売命(くろひめみこと)に娶らせて生みませる子

【市辺之忍歯王】
(いちのへのおしはのみこ)
御馬王
(みまのみこ)
青海郎女
(あをみのいつらひめ)
またの名は
飯豊郎女
(いひとよのいつらめ)

★伊波礼(いはれ)の若桜宮
奈良県桜井市池之内
この地は大和朝廷と関係深い

★葛城之曾都比古
(かつらぎのそつひこ)
仁徳天皇の皇后の父

★葦田宿禰(あしだのすくね)
大和国葛下郡片岡葦田(北葛城郡王子町)による名

★市辺之忍歯王
(いちのへのおしはのみこ)
※市辺→大和国山辺郡の地(天理市布留町付近)
※忍歯(おしは)→押歯(八重歯)であった
※大泊瀬皇子(雄略天皇)に殺される



古事記・第十七代履中天皇

2021-02-13 05:56:24 | 日記
♦️仁徳天皇以後の古事記、日本書紀の帝紀的記事は史実として信憑性が高いといわれる

仁徳天皇の皇后・石之日売は葛城之曾部毘古の娘であるが、この間に生まれた履中天皇は葛城之曾部毘古の孫娘・黒比売を皇后としている

四、五世紀ころの皇室の外戚として葛城氏が重きをなしていたことがうかがわれる