縄文期、原始の巫術信仰は「魏志倭人伝」の鬼道につながる。古墳文化の埴輪には巫女像が出土され、神話にはいたるところに巫女の族長や巫呪の記載が多い
民間巫祝出現は大化の改新直前の皇極紀にみえる。壬申の乱にも土着巫祝の活躍がある。奈良朝の仏教国教時代の「行基」らの活動は続日本紀によれば僧形の巫祝の如くと記されている
中央集権的神祇・祭祇体制の強化は、祭政と巫祝とを分離した。だが奈良律令期では中央政府は北九州の巫女集団に翻弄された(宇佐八幡大神社女・太宰の主神)
司祭は中央政府が行うが巫道は常に在野勢力側にあった