るるの日記

なんでも書きます

昭和天皇・そしてまた四方拝へ

2021-04-02 16:34:01 | 日記
宮中では、大晦日には1年の穢れを祓う儀式が執り行われる

■午後2時 節折(よおり
内廷庁舎表拝謁ノ間で行われ、天皇の心体のお祓いをする行事

昔の宮中の普段着にあたる小直衣(このうし)を身につけた天皇が出御し、御服地に息を3度吹き掛け、次に御麻(みぬさ・榊)で自らの体を清める

さらに細長い竹で侍従が天皇の体の各部位を測り、それに合わせて竹を折り、御壺に天皇が息を3度吹き込む

以上を2回繰り返す。30分程で終了する

■午後3時 大祓
宮中三殿の神嘉殿前庭で、皇族をはじめ国民の心身をお祓いする行事。皇族代表や宮内省職員などが列席

掌典が大祓の詞を読み上げ、次に大麻(榊に麻と稲穂を結びつけたもの)で皇族代表を祓い、次に参列者一同を祓う

大晦日から1月3日にかけて、侍医による朝、夜の診察は中止される。宮中祭祀に備えて身を清めている天皇の身体に触れることは医者といえどもできないからだ。明日早暁の四方拝に備えて天皇皇后は早めに御寝室に入る

午前0時になると賢所では
火打ち石で清らかな火が灯され、新年を迎える儀式が始まる。夜が明ければ天皇の「人間宣言」を掲載した新聞が、空襲の傷が癒えない街に配られてゆくだろう。GHQは事実上禁止していた日章旗を元旦、3日、5日、に限り掲揚しても差し支えない旨の通知を出していたので、全国各地で久々に日章旗が翻ることだろう

来る年がどのようなものになるか、誰もわからない。今年以上に厳しい日々が待っているかもしれない。しかし今はあれこれと悩むのをやめて、瞳を閉じよう。天皇はしばしの間夢路を辿る


昭和天皇・明治天皇が神に誓った【五箇条の御誓文】について

2021-04-02 15:56:32 | 日記
昭和52年8月23日那須御用邸での記者会見

「新日本建設に関する詔書」冒頭に明治天皇の【五箇条の御誓文】全文を掲げられているのは天皇の希望であったのか、との質問に対する天皇の答え

「それが実はあの時の詔書の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった

それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配があったから

民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして【五箇条の御誓文】を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではない、ということを示す必要が大いにあったと思います

日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああゆう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです」

GHQの描いたシナリオに一見寄り添ったかに見えた天皇は、詔書冒頭に明治憲法の基礎となった【五箇条の御誓文】を掲げることで、これから始まる新日本建設の礎石に、明治以来の日本独自の民主主義。明治天皇が神に誓った民主主義を据えたのだ

GHQ側は天皇の真意に全く気づいていない。それどころか天皇の対応に充分に満足していた。実は天皇は【五箇条の御誓文】は日本人なら誰でも知っていたので全文を紹介するつもりはなかった。全文掲載したのもGHQの勧めがあったからだ

相手と対立するのではなく、策を弄するのでもなく、譲るところは大胆に譲りつつ、肝心要の事柄は絶対守り抜く。天皇家の血にひそむ強靭な生命力の一端を見る

昭和天皇・天皇は神ではなく、神の末裔である

2021-04-02 15:23:45 | 日記
12月31日午後3時50分、天皇は明日発せられる【新日本建設に関する詔書】に署名。天皇の神格を否定する一文があることから【人間宣言】と呼ばれている

欧米社会では、特攻や玉砕を辞さない日本人の行動は不気味であり、その親玉が天皇だと考えていたが、GHQは天皇制を温存する方針を固めていたので、天皇に対する厳しい国際世論を穏和し、欧米社会からも共感を得られる天皇像を打ち出す必要に迫られていた
「新日本建設に関する詔書」はこのような経緯から生まれた

※詔書は天皇の発案による形式
※GHQ内のCIEが草案を用意
※宮内省とGHQが文言を調整
という過程でできあがった

【側近日記より】
「『天皇を現御神(あきつみかみ・現世に現れた神)とすることを、架空なる事』に改めようと思う。陛下もこの点は御賛成である。神の末裔にあらずと云う事には御反対である」

【昭和天皇独白録より】
天皇は「現神の問題であるが、私を神だというから、『私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そうゆう事を言われては迷惑だ』と云った事がある」と述べている

天皇は自身のことを、「神ではないが神の子孫ではある」と考えていたと読み取れる。ダーウィンの像を自室に飾りながら、三種の神器と国体護持とは一体のものと信じる天皇は、科学者であると同時に神の末裔であることに何の矛盾も感じていなかった

詔書は昭和21年1月1日新聞各紙にて大々的に掲載された



昭和天皇・天皇の責任の取り方

2021-04-02 09:08:05 | 日記
12月10日午後5時12分
御文庫御書斎
木戸は16日に巣鴨拘置所に出頭する

天皇の最も信頼する側近であった木戸の法廷での証言は国際的にも関心が高い。その内容によっては天皇の立場のみならず、皇室の存続をも左右することになる。天皇は木戸と会って今後のことを直々に託したいと考えて本日の御召が実現した

開口一番天皇は、「今回は誠に気の毒だがどうか体に気をつけてほしい。私の心境を充分に説明してもらいたい」と切り出す。木戸は「誓って聖旨にそい奉ります」と答えた

引き続き二人は山積みする難問について話し合う。そのなかに、【天皇の退位問題】があった

天皇は終戦直後から退位の意思を漏らしていた。天皇は臣下を戦争責任者として連合国側に引き渡すのは耐え難いとして「自分が一人引き受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」と苦しい胸の内を訴えていた

この日も同じ話が蒸し返された。これが天皇とお目にかかる最後の機会になるかもしれないと考えた木戸は、天皇退位に関する持論を力説した

【「陛下の退位は、今やる時じゃない。いつかというと、日本が平和国家として世界の一員として復帰する時で、講和条約ができた時がその時期です。陛下が自分で責任を取るとおっしゃるなら、その時期まで日本をそこへ持ってくる大責任をお持ちなんだから、そう願いたい」】と

16日午後1時
木戸邸前から皇族用車が走り出す。車中には木戸と二人の息子たちが乗り込み、車窓からの景色を眺めている。出発の直前に、近衛文麿が出頭を拒み服毒自殺したとのニュースが届いた。木戸は幼友達の死に衝撃を受けたが、今は悲しみに浸っている時ではない。木戸は天皇と自分の無罪を勝ち取る決意を固めていた