るるの日記

なんでも書きます

最終回・蓮如と信長の生涯に【報恩報謝】の大切さと、【傲慢】の罪を見た

2021-04-23 16:21:41 | 日記
■蓮如は天皇という峠を越えるために豹変する。仏法の領域に閉じこもり、生き仏への道を進む。国家と離れた世界で本願寺法主の権威を樹立するためだ。国家の外部における擬似天皇として生きるために

天皇の権威は政治側に属するか、それとも宗教側に属するか、蓮如には判然としていなかった。なぜならそれは蓮如の二重基準の枠を踏み越えた存在だったからである

だから、蓮如は生き仏になることで、その圧倒的な権威に対抗しようとした。蓮如は天皇のように、法主の地位を確立したかった

■信長は自己神化へ進む。その欲望で安土城を作り、その近くに總見寺を移築する。その信長も天皇は権威の高峰だった。鎌倉将軍も、室町将軍もついに手をつけることができなかったものを、信長もまた手をかけて抹殺することはかなわなかった。利用することはできても、その地位に代わることはできなかった

■蓮如と信長の宗教革命は、15世紀の応仁の乱と、16世紀の戦国争乱がそれを可能にした
にも関わらず、13世紀の鎌倉仏教が宗教改革を実現したという常識が、これまでまかり通ってきた【法然、親鸞、道元、日蓮、の宗教運動】

蓮如は、国家を手放すことで、生き仏になることを模索し、ついに民衆宗教の基盤を築くことに成功した

信長は宗教を排除した国家の内部で、自らを生き神に祀りあげる野心をあらわした。が、信長はついに生きて神にならず、死んで神に祀られることもなかった。傲慢の罪ゆえに日本教徒の根本倫理を突き崩す罪を犯したからである




仏のものは仏へ、国家のものは国家へ、仏法をば内心に深く蓄えよ

2021-04-23 15:36:51 | 日記
■織田信長のやった仕事は宗教革命である。たんなる宗教の破壊者でも、宗教の残虐な否定派でもなく、信長は宗教を政治から引き離そうとしたのだ。宗教にからみつく妖怪の網の目から政治のシステムを救出しようとしたのだ

信長は比叡山の宗教権威を引きずり降ろした。だが比叡山という霊場そのものの存在を否定していない。同じように一向一揆による政教一致のスローガンを粉砕はした。だが本願寺の存続まで拒絶していない

信長が生涯かけてやり抜こうとしたのは、政教分離という宗教革命だった。そこを信長のあまりにも過激な行動で雲らされている

■政教分離。信長の強固な意志をすでに見越していたように蓮如は、王法と仏法の分離をあらわす文を書いた。信長に先駆すること一世紀も早い時期にである
「王法をば額にあてよ、仏法をば内心に深く蓄えよ」ということだ

蓮如はこの二重基準を一向一揆の渦中に考えだした。「伝導と仏法領地拡大」という煩悩にまみれた中で、骨身に徹して知らされた。一揆における狂気の発動と自滅への危機を回避するための二重基準を

二重基準を観念で終わらせぬため、【仏恩報謝】という思想を盛る。「阿弥陀如来の恩と阿弥陀如来への感謝」という思想を注入した
【死こそ救い】から
【仏恩こそ救い】へ転換した
それを転機に本願寺教団は次第に立ち直っていった

■その蓮如路線を破ったのが、蓮如の死後各地に頻発する一向一揆であり、そのエネルギーが頂点に達したのが石山合戦であった

石山本願寺法主・顕如は、信長軍に降る。顕如が信長による宗教革命の意味をどれだけ理解していたのかわからない

本願寺はそれ以後、蓮如の二重基準に復帰して延命をはかることになる。仏恩報謝の念仏を腹中にのんで、浄土を地上から彼岸の虚空へ移す。仏法領地を西方十万億土の彼方へ解き放った
【仏のものは仏へ、王(国家)のものは王(国家)へ・仏法をば内心に深く蓄えよ】


怨恨・怨霊・加持祈祷は、肉体ではなく精神にとどめを刺す

2021-04-23 14:42:09 | 日記
■暴力に対して、非暴力をもって対抗しようと、怨霊といったものをふりまわして、相手の肉体ではなく、精神をおびやかす

そしてその怨霊を招くのも、退散させるのも、すべて加持祈祷の力だとすれば、その専門家である慈円は、身に武器をおびないで、武家たちの心肝を震えあがらすことができるわけ、である

■【加持祈祷】と【怨霊】は、非暴力的な調伏を可能にする構成要素である。坊主の【怨恨】が2つの構成要素と結び付き、めざす敵が特定されたとき、調伏の気圧は沸騰点に達する

怨霊は、相手の肉体を倒すためのものではなく、相手の精神にとどめを刺す無形の武器
加持祈祷は、相手の精神に狙いを定め、息を止めて矢を発する気合いのようなものだ

信長暗殺は、比叡山と高野聖の連合怨恨が、怨霊という武器を加持祈祷という気合いで使役し、明智光秀を動かしたのか、、


人間の怨恨を熟知した比叡山密教僧・慈円

2021-04-23 14:14:07 | 日記
■慈円は人間の怨念を熟知している加持祈祷僧で、武家の暴力に対し、呪いの装置で対抗する坊主たちの統領であった

■慈円は天台宗比叡山に伝わる密教秘法の忠実な継承者だった。加持祈祷によって天皇の護持僧になり、国家鎮護、怨敵調伏に超能力をふるっている
幕府を調伏する秘法を使い、非暴力による倒幕計画をたてていたり、また、逆賊の武将や軍兵の亡魂に働きかけ、その成仏をうながす祈祷にも参じている

■身に武器を帯びず、一人の軍兵も使わず、暴力集団の心肝を震えあがらせる密教の術に習熟していた
そもそも天台比叡山の存在理由は、そのような技術を欠いてはありえなかった

慈円は道理と不道理の両刀使い。呪い殺しの術と、慰撫鎮魂の法を心得ていたし、言霊の威力に信をおく歌人だった

日本史上最大の僧侶虐殺者に対する、坊主の憎悪による復讐

2021-04-23 13:39:44 | 日記
比叡山や高野山の勢力は絶大
信長まで800年の伝統を誇る
大地主、僧兵軍事力、バックに皇室
怪物組織である

その比叡山を信長は1571年焼き討ちし、坊主3千人を殺した。1581年には高野聖を片っぱしから捕らえて千人殺した。織田信長は日本史上最大の僧侶虐殺者と即答できる

そんなわけで
信長暗殺の黒幕として、比叡山と高野聖の生き残りの連合戦線をあげたい。特に比叡山の組織網は畿内全体に及び、坊主、茶人、連歌師などを通じて、光秀と信長双方の側近に接近し、情報をさぐり、間接的に光秀を動かし本能寺へ導いたのではないか。坊主の怨念ほど恐ろしいものはない