るるの日記

なんでも書きます

法然と、その弟子親鸞 1 自力(修行)では限界があるのね

2021-04-18 16:47:22 | 日記
法然は1133年生まれ・浄土宗開祖
親鸞は1173年生まれ・浄土真宗開祖
年齢差40歳

■法然
★1141年9歳・比叡山に
★1175年43歳・善導の観無量寿経を唱えていると回心体験(何らかの信仰体験)をする。その体験により

「専修念仏を奉じる立場に進んで、新たな宗派、浄土宗を開こう」
と決意

★比叡山を下り岡崎の丘に降り立ち、そこで念仏を唱えて、一眠りすると法然夢を見る【紫雲たなびき、下半身金色に輝く善導が現れ対面をはたした。二祖対面】
法然、ますます浄土宗開宗の意思を固めた

★岡崎の地に草庵を設けた
西山広谷の地に草庵設けた
東山・吉水草庵に移り念仏の教えをひろめた
【浄土宗立教・開宗、親鸞入門】

■親鸞
★1181年9歳・京都青蓮院に入り後の天台座主・慈円のもと得度
★29歳・比叡山に登り20年修行したが限界感じ1201年、比叡山と決別
★後世の祈念の為聖徳太子が建立した六角堂へ百日参籠
95日目、4月5日暁の夢に聖徳太子(救世菩薩化身)が現れる

【修行者が前世の因縁によって女性と一緒になるならば、私が女性となりましょう。そして清らかな生涯を全うし命が終わる時は導いて極楽に生まれさせよう・女犯偈

【これは我が誓願なり、この誓願の旨趣を宣説して、一切群生に聞かしむべし】

の告を得る

■この夢告に従い夜明け、法然のいる吉水草庵を訪ねる。岡崎の地に僧庵を結び百日に渡り法然の元へ通い聴聞
入門許可され綽空の名を与えられた





わかりにくい💧■浄土真宗=本願寺=真宗=一向宗=親鸞■浄土宗=法然■真宗■

2021-04-18 10:59:04 | 日記
■江戸幕府は真宗教団(浄土真宗)を指す名称として、浄土真宗と称することは望まずに「一向宗」と名乗りつづけた。その理由は

★浄土宗寺院の、幕府への貢献は格別であるとして、浄土宗の主張を受け入れ、真宗教団の宗派名を正式に一向宗とすることを決定

★江戸幕府が信仰していた、浄土宗・増上寺が「法然直系こそが真の浄土宗。異端である一向宗が【真】の字を用いることは禁じるべき」と激怒💢
現在、浄土宗とは別の宗派であると主張する親鸞の門徒・真宗教団が浄土真宗を採用するのは不当である

その根拠
●親鸞「高僧和賛」
【智慧光の力より、法然あらわれて、浄土真宗開きつつ選択本願述べたまう】
師・法然は真の浄土宗の指導者。その教えを浄土真宗と評した

親鸞は自らを法然の継承者として
「真実の教・浄土真宗」と述べた

■しかし蓮如は
「他宗派の者が勘違いして一向宗と呼ぶのは仕方がない。我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」と述べ、違反者は破門にした

■明治政府は、浄土宗の手前、浄土真宗を認めることはできず、略称の真宗を認めた

■太平洋戦争後、宗教統制が解かれ、西本願寺を長とする浄土真宗本願寺は浄土真宗本願寺派と正式に名のる
以外の9つの真宗系宗派は現在も真宗〇〇派を用いる


薬子の変・道鏡・兄妹の恋愛に比べたら、眞子さま・小室圭の変は、たいしたことない

2021-04-18 10:03:05 | 日記
私は歴史が好きで、皇室の歴史をたどったりする。現在眞子さまと小室圭さんの結婚問題が取りざたされていますが、過去の男女関係の問題に比べるとたいしたことないような気がする

★実の兄妹の恋愛関係(母が違えば結婚できるが、母が同じ)

★薬子の変・母が娘の夫(天皇)と不倫する

★道鏡事件・女帝の恋人(ただの側近?)である僧侶・道鏡が天皇の座をねらう

歴代の男女関係に比べると
眞子さまと小室圭さんの変は
たいしたことなくない?



ひたすら、一筋、一つに専念することと洗脳

2021-04-18 09:40:19 | 日記
戦国時代は僧兵や、信徒が兵として戦に参戦し人の命を奪った時代。仏教の教えには殺生を禁止する教えがあるにも関わらず、戦に参戦して人の命を奪う。。この矛盾によるジレンマを越えた精神状態にさせ、人の命を奪うことができる何かが仏教の教えにはあるのだろうか

■一向一揆は浄土真宗の兵による権力に対する抵抗運動

★「一向」とはひたすら、一筋、一つに専念すること
★何に専念するかというと「当流の安心は阿弥陀如来の本願にすがり、一心に極楽往生を信ずること」
★仏説無量寿経に「一向専念無量寿仏」

♦️浄土真宗は宗派の1つ
釈迦は仏教を、人々が理解しやすいように、それぞれの人の機根に応じていろんな喩えをもって仏の教えを説いて人々を覚りに導いたらしい

浄土真宗の教えの基本は
「阿弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信じることで安心となる」であるから、生き死にに対する価値観とは別の次元に精神状態はあるのではないだろうか?自分が死んでも、自分が誰かを殺害しても、苦はない。なぜなら阿弥陀如来の本願にすがり極楽往生を信じている一心しかないからだ、、ある意味とても幸せな満たされた生き方なのかもしれないね

一向一揆は、それはリーダーによる洗脳だろうけど。。あの時代は洗脳されきった方が楽な生き方なのかもしれない。あっ!現在も?