■親鸞における【罪と罰】は親鸞思想に繋留されていたテーマだが、そのテーマが根元から無視されてきた
鎌倉時代を宗教改革の時代と捉え法然、親鸞、道元、日蓮の宗教運動が宗教改革を告げるのろしであったとする定説。その定説がわれわれの血流に先入し、歴史を眺める目、宗教を見る目を狂わせてしまっている。だから彼らの思想の根元を見誤る
■親鸞、道元、日蓮の考えが、個の立場による宗教運動であったという見方が
親鸞の念仏
道元の座禅
日蓮の題目
と、個人によって担われた信仰であったという定説ができあがった
「鎌倉時代の宗教家に非ざれば、宗教家に非ず」という常識を教えられ、叩きこまれた
■彼らは【民衆のための宗教の開祖】と称された。しかし彼らのものの考え方や信仰のあり方は、最終的に民衆に受け入れられることはなかった。その思想の持つ意味、その信仰にこめられた普遍的な力は理解されず、鎌倉時代のものとして、後に継承されることがなかった
■後に大教団として発展したがそれは、けっして開祖たちの思想そのものを機動力にして発展したものではない❗️❗️彼らの信仰の灯を唯一の導きとして拡大していてったのではない❗️❗️先祖供養を中心とする土着の民衆宗教がそれを支えたのである
葬式仏教の形成が仏教の大衆化を可能にしたのであーる
そして、こんにちにおいても葬式仏教は衰えない
親鸞、道元、日蓮の思想のバックボーンはすでに消滅してしまった
😭