るるの日記

なんでも書きます

秋篠宮眞子さまと小室圭さん

2021-04-07 17:45:41 | 日記
水戸藩・尊王攘夷に関する本を読んでいるうちに、今上天皇や、現在の皇室、昭和、平成の皇室に関する出来事が脳裏をよぎる。不思議と天皇はじめとする皇室の出来事は深く記憶しているなぁ

昭和63年昭和天皇の病状を細かくニュース速報で知らせていたことを一番に思い出した。天皇陛下自身の病気なのに、プライバシーはないのね。それを訴える人権もないんですね

現在の皇室で気になるのは、やはり秋篠宮眞子さまと小室圭さんとの結婚問題である。小室圭さんに対しては、彼の生き方が腑に落ちない。結婚するならバイトでもいいから働けよ!と凡人の私は思う。だがきっと綿密な計画をたてていて3年間大学で勉強し今年弁護士試験合格し弁護士になった方が、留学せずに働いて3年を過ごすより将来的にはプラスなのかもしれない

昨年末ころ秋篠宮眞子さまの文書で、結婚は二人の心を守りながら生きていくために必要だとゆう発言があった。ドキッとした。反対したらどうするのと。

そしてお父様秋篠宮さまの誕生日会見では、眞子さまの結婚を認めたが、国民が喜んでくれている状態でなければ納采の儀は行わない

そして天皇陛下の記者会見でも、国民が喜んでくれている状態が条件だと

秋篠宮眞子さま、本気に結婚したいのなら納采の儀なんてすっとばして一時金放棄して、小室圭さんと幸せになってください。。って思う

会沢2つの国体論・天皇は天照大神の日嗣、将軍は東照宮の神系、水戸はその血脈

2021-04-07 15:54:34 | 日記
■会沢国家論
国体は万古不易
政体は時勢の変

■会沢国体論で歴史的問題が生じるのは武家政権の登場である。【新論】の国体論では日本の尊王精神をたどっていく。神州では武士の世になっても皇位を奪う者はおらず天胤の尊きことは自若たるものだった

天下に弊がないという時代はない。特に鎌倉・室町以降は朝命に逆らい忠孝の道も廃れていた
そこに豊臣秀吉、徳川家康と英傑が並び立った

東照宮以来今や二百年。幕藩体制のもとに天下の治平が連綿してきた。そしてほかならぬこの徳川の世が、日本の国体を顕現する道であった(このように徳川の政体に不易の国体を重ね合わせようとする)

徳川家の流れを汲む水戸藩もまた、今まで尊王の意を尽くしてきた
【天祖は洋々として上にあり、皇孫はその志を継承し、人民を愛育し、大将軍は帝室を翼戴して、以て国家を鎮護し、邦君はその領内を統治し、民を安ずる、今邦君が幕府の法を奉じるは天朝を戴きて、天祖を報ずる所以なり

■天祖から今日の人民に至るまで、国体の精神が東照宮を介して滑らかにつなげられている。しかし尊王論と徳川幕藩体制とを安易に整合したままでいいのか?

■このように政体に関する時勢の変をたどる会沢の論理の根底には、実は【異質な二筋の国体論】がつなぎ合わされている

★天祖ー天皇ー臣民
という共同体論
「億兆心を一つにして」と前述したのがこれである

★東照宮ー水戸藩主ー臣民
という幕藩体制の歴史を政体としてではなく、国体論として把握するのである

日本の国体は2つある❓️
両方が忠孝の精神により繋げられている

■斉昭が藩政の方針と領民の風俗・道徳の厳正について説いた布告にこうある
【今の天皇は、天祖の日嗣に渡らされ、今の将軍家は、東照宮の神系にあらせられ、我等(斉昭)は威公(家康11子にして水戸初代)の血脈を伝え、臣下は先祖の家系を継ぎ来たり、この所能相わきまえ、天祖・東照宮の御恩に報いんとならば、先君先祖の恩を報いんと心がけ候ほか、これあるまじく候】

★天照大神と天孫の合一が神州の国体
★東照宮と神孫たる徳川家と水戸家が臣民の報いるべき国体

■幕府という政体が井伊直弼に牛耳られていた時に、井伊を倒すことは東照宮の国体を汚すことではないが、激派ですら内戦に至ってもさいごまでこの論法に縛られていた

勅書処理は幕府に従えと激派を攻め立てた会沢もまた、国体としての幕府(井伊でなく宗家)への忠が真の尊王への道だという論法を使った

会沢が早くから公武合体を唱えたのも、時局からではなくその二重の国体論から発したものだろう。会沢論理は2つを1つにして国体論を鮮明にしていくことになろう。「公武合体、国内治平と、水戸への勅書でも要請していたではないか」と




水戸藩過激派にとっての国体は、師会沢の国体とは違っていた。師に責任はないのか?

2021-04-07 14:21:24 | 日記
人民の元気こそが、国体観念を浮上させ、国体を機能させる。このことが国体論の意義なのだ

★政体批判の武器としての国体論が幕末の志士たちを奮い立たせる。ただ天皇が尊いということではない
★武士から人民まで国体精神を持って一人一人天皇に直結しうる
★叛乱に決起することをもって天皇に直参できる
★億兆心を一つにして国難にあたるように万人を煽動する
★国体論が攘夷を煽動する。尊王は攘夷と一体の観念になる
★危機にあるのは国体であり、国体とは心を一つにした億兆の精神なのだ

■水戸の過激派の特徴は、最後まで観念のみならず戦術にいたるまで、終始攘夷に金縛りになっていたことだ。国の統治策を離れて、攘夷観念は過激派の行動に張り付いて剥がれない

時代が公武合体の時節に傾くとともに、攘夷とは、すなわち尊王、それも過激派には朝廷への工作に短絡される。何かというとすぐ、わずかのつてを頼って朝廷への嘆願斡旋に走る

憑物のようなこの行動は【国体への観念】抜きには理解し難い
※国体が危ない
※国体の精神こそ尊王なのだから
※尊王はすなわち攘夷だ

尊王攘夷の思想のジレンマが
ここでも自己を主張している

■かつて会沢は攘夷を煽動し
今や攘夷の憑物を落とそうとした
会沢思想の根幹は国体論にあり、「新論」から40年がたった今、過激派の攘夷が国体を危機に追い込んでいる

いまや会沢にとって国体とは、幕藩体制あるいは公武合体政府を統一強化することにあった



尊王攘夷思想とは、人民に潜在下している国体、すなわち天人合体の理念を喚起する

2021-04-07 13:35:21 | 日記
国体論は皇統を押し立てるもの
では、天皇と民の関係はどうなるのか?

■古来大嘗祭には中臣・斎部をはじめとした百官が列席し、天皇に対しての【忠】の関係を結ぶ
またその臣自身が【孝】をもって先祖を祀り、代々家を世襲してきた
【天祖すでに忠孝を以て万世に垂れたまうた】のだから、これは天孫、さらに天祖と、臣との合一を意味した
【臣の天孫を見るも、またなお天祖を見るがごとし】
臣下のみならず神州の民とはまさしく大嘗祭の百官が象徴した

■天祖と天孫、天皇と臣下との関係において神州の政治は、祭政一致・政教一致である。民は神州の政治の基である。祭政一致の政治において、民は天祖を敬い天胤を奉ずることを知る。天子のみならず、人も天と感応し合っている。これをもって民は志を一つにして天人合体する。これこそが帝王が恃みとするところなのだ

■帝王が恃むべきは支配権力でなく、何よりも億兆の民の忠誠心。逆に言えば民が従うのは政体(統治権力)ばかりでなく、その国体精神

■だからこそ【人は天地の心、心専らなれば、すなわち気壮んなり。ゆえに億兆心を一にすれば、すなわち天地の心専らにして、その気以て壮んなり。これ天人の合という】
こうして国家は天地と合体する。天下国家である

■皇統連綿の尊王思想はベクトルを逆転させて、民億兆の元気から尊王の志を高めることがアピールされる

国難に立ち向かう尊王攘夷は、すでに人民に潜在化しているはずの国体、すなわち【天人合体】の理念を喚起することなのだ

「お国のためにの意味」が解りました・共同体国家・人格と意志ある国家に、国家構成員である人民は利害を超越し、一体化した

2021-04-07 12:44:45 | 日記
会沢正志斎の国体論は、明治維新政権から昭和の軍国主義に至るまで受け継がれることになる

では、国体論とは強権的な政治体制から目をそらすための精神主義だったのかといえば、それは違う

政体とは独立に国体が強調されるとき、そのもとにあるのは
【独特の共同体国家論】である
国家は統治の体系でなく、国家自体が一個の人格として振る舞わねばならない

国家を構成する人民は個別利害を超越し、こぞって国に一体化しなければならず、国家は人民個々を差別なく駆り立てる意志でなければならない
これが天下国家にほかならない
そして国体論は時に政治権力の根底を脅かす力になることがある
これも昭和の超国家主義である