るるの日記

なんでも書きます

「よし!」と納得する心を創りたいから信仰します

2021-04-29 12:42:43 | 日記
この世で生きて、この世に汚されない、苦しまない生き方をしたいが、私のような凡夫は、さ迷う

満たされない
怒り、悲しみ
怠惰
焦り不安
といった煩悩だらけ
それに負けつづけて自己嫌悪

すべては燃えている
見るものは燃えている
見る心は燃えている
貪欲という炎
怒りという炎
妄想という炎
をあげて燃えている
心は苦悩
衰え
喪失
憂い
悲しみ
痛み
煩悶
という炎をあげて
燃えている
もがき苦しんでいる

生きることのつらさは
新しい心を持たない限り癒されない
だからこそ心に確かな拠り所を持つ
それは苦悩を越えた納得の境地

仏陀が教えるのは「現実を変える」ことではない。「闘う」ことでもない。現実が続く日々、その中に「納得できる生き方をする」こと【最高の納得にたどり着く】こと

外の現実に生きていても
心は、真心は、外の現実に支配されない。納得した生き方は聖域。私たちはいつもそこにいて救われているのかもしれない
自分が「よし!」と思えればそれで上がり

その「よし!」という心は、信仰で創るしかない。。と今感じています




自分の外に反応せずに、フローやゾーンに生きる

2021-04-29 12:14:08 | 日記
自分にとって役立ち、体1つでできる自分の物事に集中しよう。そこに自分以外は関係ない。外の世界を忘れ自分の物事に集中し、そのプロセスに納得できれば、外の世界がどうであれ幸せなの

目を閉じ心の内側を見つめる。それが自分のとりくまねばならない物事。本当の作業に向かう出発点

私は外の世界を気にしすぎ。外の世界に心奪われそわそわ落ちつかない
でもね、心とは何かに触れれば必ず反応するもの。反応して雑念が溜まるもの。心はそうゆうものだから

心にモヤモヤと雑念粒子が漂っていてもいい。そんな心を見つめると心が浄化されるように落ちつく

そして、目を開いて目の前の作業に一心に取り組む。作業に専念。無心にやる
やるうちに心はどんどん透明になり、集中による充実感、喜びが得られ、あとには納得という実感が残る
自分が自分に納得できれば、もう、誰の評価も必要としないし、外がどうであれ反応しなくなる

自分以外の物事のために
自分のなす物事を捨てない
自分の物事を熟知して
自分のなすべきことに専念せよ
そこには自分がいない。行為のみが存在するだけ。。それが快な状態なのです





普段はおだやか。実家では嫌なくらい性格悪い阿修羅となる

2021-04-29 11:49:51 | 日記
肉親は結生(強度の反応)した心を長引かせる一番の原因となる。お互い関わりのパターンが確立し、毎度おなじみの親子で向き合う。出てくる反応も同じである

ネガティブで不快な反応を刺激してくる肉親関係は厄介である。肉親という関係が苦しみの輪廻の原因となる

普段は穏やかでいられるのに、実家に帰ると自分でも嫌になるくらい性格が悪くなる

過去の記憶にも、現在の相手にも反応しなくなることができるのか?一緒に暮らしながら、距離をおかずに。。
だからこそ、私には信仰が必要なのである。わらおもつかむ思いになっている。変わりたい救われたい

妄想は反応の記憶、妄想・反応はリセットできる

2021-04-29 11:38:54 | 日記
■承認欲はあるものだ
そこからなぜ他人の目を気にしてしまうのか?

★認められたいと、自分の価値にこだわる思いに、「人からどう思われているか」妄想するから

妄想はたやすく作りだせる。脳は見聞きした全ての情報を(本人の気づかないことさえ)反応の記憶としてとりこむからだ

■無明の状態で心は反応する
刺激に触れたとき心は反応する
反応で感情・欲求・妄想が生まれその思いに執着することで、記憶に残り1つの心の状態ができる
その心の状態が、新たな反応を作る
それらの反応の結果、さまざまな苦悩は生まれる
1つの反応の背後には経緯があり、別の反応が隠れている。過去の怒りとか。。

過去の別の反応にきづいたら「これは記憶、幻にすぎない」と、ハッキリと口に出すことで、理解しその反応から抜け出す
出てくるたびに気づく、口に出し理解し、手放す

体の感覚は記憶や感情とまったく別の心。感覚に意識を向けると反応をリセットできる

厳しい修行をする人の動機は「気持ちいいから」

2021-04-29 11:11:33 | 日記
心を滅した涅槃の境地にたどりつこうとすれば、快も不快も一切の反応をしてはいけない、、となる。そこにチャレンジする人々の動機は、やはり、当然チャレンジすること自体に【快がある】からでしょう
快も不快も一切の反応をしないことで、すごい快があるのでしょうね

欲求の満足が幸せにつながるのは快が感じられる場合ですが、欲が膨らみすぎて、焦り、不安、結果がでない、認められない、、と不快になったら仕切り直しましょう

欲を、生きるエネルギーに変えて、快を感じて生きる方は合理的。欲に振り回され不快を感じる生き方は不合理。だが人間どちらへでも変化する。今、快か不快か?