勅書返納の幕府の最後通牒を受けて、慶篤は水戸の斉昭に急使を飛ばした。勅書返納の勅命がある以上、返納は前提である。だが朝廷と幕府のどちらに返納すべきか指示がない。安政6年年末議論は沸騰した。家老らが夜を徹して議論した、、が、決まらない
20日、元家老の大場、岡田、武田を含めて、番頭、弘道館教員までを集めて衆議を尽くして決定しようとした。これは3~4日続き、この間は少年の書生どもも数十人参集して要人たちに意見を吹っ掛けて回った。まさに危機に臨んで言論沸騰というところだろう
結論が出た。幕府ではなく、【朝廷直納】が多数意見だった
激派はこれに同意のはずはない。だが激派リーダーは謹慎させられ議論には参加できない。それに彼らは藩を見限って井伊大老暗殺計画に専念するようになっていた