■【王法為本】
それが蓮如が出した結論だ
「何事もまず【王法=政治権力】の顔をたててやれ」ということだ
政治暴力とまともに相撲をとっても勝目はないと蓮如は思った。それは断念などではない
その表明が文明7年5月7日の御文に整然とした形であらわれる。吉崎撤退の機が熟したことを述べ、十項目の掟を書き連ねる
肝心の最初の五項目
★諸神諸仏菩薩等をかろしむべかざる
★外には王法をもっぱらにし、内心は仏法を本とす
★国にありては守護地頭方において、さらに如在あるべからざる
★当流の安心のおもむきをくわしく存知せしめて、すみやかに今度の法土往生を治定すべき
★信心決定のうえには、つねに仏恩報謝のために念仏すべき
■ここにいたるまで、阿弥陀如来だけを救いの頼りにせよ、というのが一揆する門徒たちの唯一のスローガンだった。それに対して【諸の神や仏や菩薩を軽んずるな】という
■【阿弥陀如来絶対主義を表に出すな】ということである。それに続けて【外には王法、内心には仏法】がくる。外部には王法を揚げ、内部には密かに仏法をたくわえよと、二重基準に基づく王法為本の宣言だ
さらに、この御文の後段において噛み砕き、次のようにいう
■【王法を先とし、仏法をおもてにはかくすべし。また世間の仁義をむねとし、諸宗をかろしむことなかれ】
ここで、仁義が浮上している
王法を先とし、仁義を旨とすることで、仏法をかくせと言っている
蓮如は、相互殺害に陥りかねない一揆の衝動に、王法為本という名のタガをはめ、仁義為先という名の歯止めをかけた
■それは一時的な恭順の装い、などではなく
これは、、新しい神学の創出に近い
なぜなら、この時機前後に書かれた御文の中には、屈辱感はまったくなく、自分の行為の正当性を確信しつつ、あの歎異抄の論理「悪人正機」を正面から見据えていた
■悪人こそ救われるという歎異抄の命題と正面から対決する
悪こそ正義、という歎異抄の原理主義の難問の前で、【仏法を隠せ】という言葉が出てきたのだ。その行為を宗教犯罪というのなら、それをも身に引き受けようと覚悟を固めている。その後の蓮如の人生の軌跡が、そのことをあますことなく示しているのである
■蓮如はそれ以後、一揆の渦中から身をしりぞき、その後衛につく。国家戦略を180度転換させたからだ。一揆エネルギーの鎮静化という事業がそれである。そして、その気運がようやく蓮如を中央に招き寄せる