るるの日記

なんでも書きます

蓮如・仏法を表には隠すべし

2021-04-21 18:34:52 | 日記
■【王法為本】
それが蓮如が出した結論だ
「何事もまず【王法=政治権力】の顔をたててやれ」ということだ
政治暴力とまともに相撲をとっても勝目はないと蓮如は思った。それは断念などではない

その表明が文明7年5月7日の御文に整然とした形であらわれる。吉崎撤退の機が熟したことを述べ、十項目の掟を書き連ねる

肝心の最初の五項目

★諸神諸仏菩薩等をかろしむべかざる
★外には王法をもっぱらにし、内心は仏法を本とす
★国にありては守護地頭方において、さらに如在あるべからざる
★当流の安心のおもむきをくわしく存知せしめて、すみやかに今度の法土往生を治定すべき
★信心決定のうえには、つねに仏恩報謝のために念仏すべき

■ここにいたるまで、阿弥陀如来だけを救いの頼りにせよ、というのが一揆する門徒たちの唯一のスローガンだった。それに対して【諸の神や仏や菩薩を軽んずるな】という

■【阿弥陀如来絶対主義を表に出すな】ということである。それに続けて【外には王法、内心には仏法】がくる。外部には王法を揚げ、内部には密かに仏法をたくわえよと、二重基準に基づく王法為本の宣言だ

さらに、この御文の後段において噛み砕き、次のようにいう

■【王法を先とし、仏法をおもてにはかくすべし。また世間の仁義をむねとし、諸宗をかろしむことなかれ
ここで、仁義が浮上している

王法を先とし、仁義を旨とすることで、仏法をかくせと言っている

蓮如は、相互殺害に陥りかねない一揆の衝動に、王法為本という名のタガをはめ、仁義為先という名の歯止めをかけた

■それは一時的な恭順の装い、などではなく
これは、、新しい神学の創出に近い
なぜなら、この時機前後に書かれた御文の中には、屈辱感はまったくなく、自分の行為の正当性を確信しつつ、あの歎異抄の論理「悪人正機」を正面から見据えていた

■悪人こそ救われるという歎異抄の命題と正面から対決する
悪こそ正義、という歎異抄の原理主義の難問の前で、【仏法を隠せ】という言葉が出てきたのだ。その行為を宗教犯罪というのなら、それをも身に引き受けようと覚悟を固めている。その後の蓮如の人生の軌跡が、そのことをあますことなく示しているのである

■蓮如はそれ以後、一揆の渦中から身をしりぞき、その後衛につく。国家戦略を180度転換させたからだ。一揆エネルギーの鎮静化という事業がそれである。そして、その気運がようやく蓮如を中央に招き寄せる

蓮如戦略変更・吉崎から撤退

2021-04-21 17:40:42 | 日記
■地方では、応仁の乱の地方版が繰り広げられていた。中央の代理戦争である。

★加賀
土豪の冨樫兄弟が東軍(冨樫政親)と西軍(冨樫幸千代)に分かれ抗争

★越前
朝倉(東軍)と甲斐(西軍)が対立

★蓮如の吉崎
加賀と越前の国境にあたる
蓮如は足利将軍=細川方(東軍)に肩入れしていた

■だが、北陸には高田門徒が根をはり、それが(西軍)冨樫幸千代と結託し、蓮如の本願寺門徒を攻めてきた

高田門徒と本願寺との【親鸞の正統争い】という近親憎悪の火種もかきたて、武士団をまきこんで先鋭化していく。こうして本願寺門徒・冨樫政親・朝倉孝景の東軍連合ができあがる
1478年、政親・本願寺門徒の側が勝利した。が、翌年になって政親が本願寺門徒弾圧に出てきた

■本願寺は蓮如の信任厚い高弟・下間安芸蓮崇を迎える。かれは油断ならぬ戦国の野心家でもあり、武士や土豪を操り、門徒を蜂起に誘い、加賀に本願寺の覇権を作り上げようとした

■頃合いを見て、蓮如は撤退を決意する。武闘派の蓮崇を破門し、吉崎を捨て、逃げ帰った。蓮如にとっては予定の行動だ。上昇気流にのるクライマックス。戦略の変更による事態の打開である

蓮如・吉崎御坊・前半生

2021-04-21 17:01:50 | 日記
蓮如の変身が形をなしてくる。転機は北陸の最前線基地・吉崎において訪れた。この地に噴出する激戦の中で、蓮如はもう一人の蓮如を自己の内に発見する。吉崎を分水嶺にして、蓮如の人生は前後に分かれる

前半生、蓮如は一向一揆と添い寝をしていた。走り廻り、逃げ廻り、攻めるべきものを攻めたてた
この時、門徒を導く救済の論理が【悪人往生】だった
蓮如は悪人を限定せず、すべての悪人を抱えこんでいこうとした

すべての人間の救済を、【革命の論理】につなげようとすれば、それしかない。蓮如は【悪人正機】旗印を額にあてて、吉崎へと前進したのだ。1471年、蓮如57歳

その吉崎で何が起こったか?


国家略奪を狙った蓮如と空海・蓮如の場合・下剋上時代の民衆への布教

2021-04-21 16:02:12 | 日記
蓮如が対面していたのは、生まれ落ちた時から民衆であった。蓮如は国家の外部に活動の拠点を築きはじめる。本願寺は当時、親鸞とその名に由来する系図だけに守られている貧乏教団だった

応仁の乱の時代、蓮如はその外部にひろがる喧騒の空間をひたすら歩き廻り、逃げ廻る

歩き廻ったのは、親鸞の浄土往生を民衆にひろめるためだ。それが浄土往生を一向(一筋)に頼む門徒、一向宗門徒を生みだしていく
逃げ廻ったのは、民衆の蜂起が噴出し争闘があいつぐようになったからだ

民衆は下剋上の怪気流にのみこまれ、一揆のエネルギーに次々に火がついていく。蓮如は、一揆のかたわらを、疾風のようにくぐり抜け、浄土往生の教線をのばしていった。相手は現世利益と来世往生をわしづかみにしようとする

畿内から北陸
北陸から畿内へ
さらに近江、摂津、大和、和泉、山城へ、反転して東海地方へと教線をのばしていく。蓮如が目をつけた地はすべて、生産力豊かで、交易・流通の拠点だった

だが、布教戦線が水平にひろがり、なだらかな面を形成したとき、蓮如は革命の最前線から身を翻した。もう1つの革命を引き起こそうとしていたからだ

国家略奪を狙った蓮如と空海・まず空海の場合から

2021-04-21 15:32:56 | 日記
日本には、国家を略奪しようとした宗教家が二人はいた。権力の中枢にしのび寄り、己が手で直接統治の盤に触れようとした人間だ
空海と蓮如である

■空海が国家に対してやったことは、嵯峨天皇に近づいてその玉体の健康診断と治療にあたった【看病僧】、天皇の主治医である

■やがて宮廷に真言院という真言密教の道場をつくる。加持祈祷によって玉体の永続性を保持する場である

真言院は平安京の大内裏の中心部(公的空間)に建てられたし、毎年新嘗祭を行う中和院に近接していた

新嘗祭は天皇霊の更新を期待する神道的な稲魂の祭りであるが、真言院における玉体加持祈祷は、天皇の身体を期待する密教的儀礼だった。こうして神道と密教は矛盾なく結びついた

■空海は天皇の身体を支配し操縦することを通して、国家の中枢に精神的なくさびを打ちこもうとした。その思想的戦略が空海の作品【秘蔵宝やく】に展開されている

■空海は律令体制の内部に、密教という霊知・神秘を注入し、国家政策に影響を与えようとした

■空海は中国への留学時代に、密教に感染した国家の異様な活力を目にしていた。国家と宗教が融合を遂げている実例を見ている。国家略奪の構想はそこから発出してきたのである