るるの日記

なんでも書きます

私は、神仏を求め、すがり、信じたいのです

2021-04-22 18:31:58 | 日記
時間は、テーマ(目的)を神から与えられてるのか?

それともすべては因果応報という合理的働きによる原因結果の流れでしかないのか?

今は新型コロナ変異株に怯える時代。。

昔からある(新型コロナ変異株などの)疫病は、神から与えられた試練なのか?それとも単なる因果応報なのか?

私は神から与えられた試練がいい。そう思うことで、あらゆる力が甦るから
因果応報だったらガッカリ⤵️救われない😖


蓮如の戦略・蓮如死後の生き仏信仰の伝承

2021-04-22 16:41:30 | 日記
■蓮如は延徳元年、五男の実如にあとを譲って隠居するが、その7年後には、現在の大阪城の地に大坂御坊を建てている。後の石山本願寺である

■81歳、5番目の夫人から11番目の男子が生まれ
翌年82歳には12番目の男子
その翌年 83歳のときは14女
死の前年84歳には13番目の男子誕生
老いてますます盛んな怪物ぶりである

■ネットワーク
★蓮如最初の妻、2番目の妻は姉妹で、その父は将軍家の寵臣で伊勢兵士

★4番目の妻の弟は
中納言・姉小路黄門基綱
基綱は歌人・飛鳥井雅親と友人

★長男の妻が飛鳥井雅親の娘

★七女は公家・神祇伯資に嫁ぎ、雅業王を生む

★六男の妻は、公家・滋野井教国の娘

★四女は将軍義政の妾

■1499年
★3月9日
蓮如は病室の床の間に、親鸞像を描いた軸をかけさせ、頭を北に、顔を西に向けて横たわる
仏陀入滅のときのポーズだ

同日、蓮如は四十一カ条の遺言を言い残している
後継者・実如(42)
蓮綱(50)
蓮誓(45)
蓮淳(36)
蓮悟(32)
の五子と
本願寺坊官筆頭・下間蓮応
が加わって、最後の掟に背かないことを誓った

★17日
看取られる者も
見送る者も
共に念仏、そして和讃

★19日
薬がしりぞけられ
念仏

★22日
蓮如の表情が御開山聖人(親鸞)のそれに似てきたと、見送るものたちが語る

★23日
脈が消え、また甦る

★25日
眠りにつくように臨終
85歳

幸運な死、という他ない
苦しむことなく、ボケの人格喪失に陥ることもない、穏やかな往生だった。生き仏が本当の仏へと、ゆっくりなめらかに。。

■蓮如は自分の遺体の処置について大事なことを言い残していた

蓮如の遺体は五色に輝く衣と袈裟をまとい、木念珠を巻いた腕を脇息にかけ、立ちのぼる香の中で、朱塗りの椅子に座したのである。生き仏の完成した姿が出現した
蓮如は死後の自己を演出した

その蓮如の戦略が、1世紀を経て石山本願寺の顕如の生命の中に息を吹きかえした。諸万人に礼拝されり生き仏がそこに見事な形で復活しているからである






生き仏・生き神の野望を持った二人・顕如と信長

2021-04-22 15:31:35 | 日記
■一向一揆という運動体にひそむ活力の源泉は、当時の本願寺の総帥・顕如そのものの身体に由来するのでは?という視点がある

まるで生きる阿弥陀如来であるかのように、顕如を礼拝する門徒たちの絶対髄順の姿勢の中に、本願寺教団が持つ恐るべき活力の秘密があるのではないか?

■同じ時期にもう一人【生き神のような男】がいた。織田信長である。家臣たちに礼拝されている信長の異様な姿。その光景は門徒たちに礼拝されている顕如の姿に重なる

安土城の近く「円い山の上」に建てられたのが總見寺だった。その寺の中に「【万人から礼拝されたい】信長の毒々しい野望的意志」が封じ込まれていた。信長は顕如のように礼拝されたかったのである

■神になろうとする信長の異様さは、本願寺に阿弥陀如来のごとく鎮座する顕如の異様さとは、ほとんど相似している

織田信長は指揮命令が下手・蓮如は指揮命令が上手

2021-04-22 08:28:41 | 日記
■織田信長と最もよく戦ったのは、一向一揆軍である。確かにそこには【仏敵打倒】という偉大な力強さがあった。しかしそこには日本創造の理想がない

一向一揆軍にも現実的な目標はあった。自分の生れた場所の確保、生活の場の確保、先祖崇拝である。悪くはないが、力の方向性は過去に向いている。そこに信長軍に敗れる原因が潜んでいる

■信長軍の目標は、生れた場所からの移動、過去の破壊と新たな建設である。この力の方向性は未来を指向する
しかし信長は、自身の頭の中では新日本の設計図を育んでいたが、言葉で表現することはなかった

【仏敵打倒】に対抗する宣伝文句を信長は発明することはできなかった。部下も戦争の目的が体制の変革でなく、領土拡大にあると思われていただろう

宗教に淡白な日本人の根底には、死こそ救いという過激な観念も存在する?

2021-04-22 07:58:38 | 日記
■宗教に淡白といわれる日本人の性向は、ここ300年のことに過ぎない
それまでの日本の信心は極めて強壮で、一向一揆の宗旨は戦国乱世にきわだつ【恐ろしき宗教権力】を作り上げていた

■一揆勢ののぼりに
「進めば往生極楽、退けば無間地獄」のスローガンが太く黒々と大書されていた。まさに蓮如の【死こそ救い】の観念の帰結

現代風に言うならば、テロによる自死を、殉教として恐れないイスラム原理者義と通ずるものだと言うことができるかもしれない

■織田信長の目標は、この【宗教教権力】を叩きつぶし、【俗権】の領分をひろげること。政教分離の強行策だ
それ以後300年、日本人の宗教に対する態度が淡白になった