■蓮如は延徳元年、五男の実如にあとを譲って隠居するが、
その7年後には、現在の大阪城の地に大坂御坊を建てている。後の石山本願寺である
■81歳、5番目の夫人から11番目の男子が生まれ
翌年82歳には12番目の男子
その翌年 83歳のときは14女
死の前年84歳には13番目の男子誕生
老いてますます盛んな怪物ぶりである
■ネットワーク
★蓮如最初の妻、2番目の妻は姉妹で、その父は将軍家の寵臣で伊勢兵士
★4番目の妻の弟は
中納言・姉小路黄門基綱
基綱は歌人・飛鳥井雅親と友人
★長男の妻が飛鳥井雅親の娘
★七女は公家・神祇伯資に嫁ぎ、雅業王を生む
★六男の妻は、公家・滋野井教国の娘
★四女は将軍義政の妾
■1499年
★3月9日
蓮如は病室の床の間に、親鸞像を描いた軸をかけさせ、頭を北に、顔を西に向けて横たわる
仏陀入滅のときのポーズだ
同日、蓮如は四十一カ条の遺言を言い残している
後継者・実如(42)
蓮綱(50)
蓮誓(45)
蓮淳(36)
蓮悟(32)
の五子と
本願寺坊官筆頭・下間蓮応
が加わって、最後の掟に背かないことを誓った
★17日
看取られる者も
見送る者も
共に念仏、そして和讃
★19日
薬がしりぞけられ
念仏
★22日
蓮如の表情が御開山聖人(親鸞)のそれに似てきたと、見送るものたちが語る
★23日
脈が消え、また甦る
★25日
眠りにつくように臨終
85歳
幸運な死、という他ない
苦しむことなく、ボケの人格喪失に陥ることもない、穏やかな往生だった。生き仏が本当の仏へと、ゆっくりなめらかに。。
■蓮如は自分の遺体の処置について大事なことを言い残していた
蓮如の遺体は五色に輝く衣と袈裟をまとい、木念珠を巻いた腕を脇息にかけ、立ちのぼる香の中で、朱塗りの椅子に座したのである。生き仏の完成した姿が出現した
蓮如は死後の自己を演出した
その蓮如の戦略が、1世紀を経て石山本願寺の顕如の生命の中に息を吹きかえした。諸万人に礼拝されり生き仏がそこに見事な形で復活しているからである