安政4年6月23日、斉昭は幕政参与を辞任したが、そこに持ち上がったのが、
米領事ハリスの江戸城登城事件。斉昭父子が「神祖家康以来の盛徳にかかわる事態」だと抗議
だがハリスは10月21日登城して将軍に謁見。次いでハリスは老中堀田正睦と談判6時間に及んで条約調印の説得に努めた。大名たちの意見も調印やむなしとなる
こうした中、斉昭は独断で建言を提出(11月15日)
※ハリスの要求を許可すれば、国難を引き起こす
※内地での貿易は拒否、自ら浪人や百姓、町人の二、三男を引き連れて米国に渡り出貿易にあたりたい
※百万両の貸与を願い大砲を製造して、御所の警備にあたりたい
云々、、、
何やら支離滅裂である
さらに年末
説得に訪れた川路・永井を前に暴言
「自分の建言が容れられなかった。備中(堀田)、伊賀(松平忠固)は腹を切らせ、ハルリスは首をはねてしかるべし。切ってしまえ」
「今後のことは此方の知らぬことなり。勝手にすべし」
といった塩梅である。立場を逸脱した無謀な振る舞いは、斉昭反対派の警戒心を高めてしまう