天文7年前田利家・尾張愛智郡荒子で生まれる。父利春第四子
慶長4年逝去62歳
荒子の前を流れる川を前田川と云う
利家公先祖は近江国を領した人。西坂本在城、菅の里と申しける。三年在城の内一子もうける。七歳より帝へ召され、菅丞相と申し奉り宇多天皇に愛せらる。菅丞相は大納言まで経て右大臣まであがりたまう
時平、菅丞相をねたみ終いに菅丞相を筑前太宰府へ左遷。筑紫安楽寺にて終に空しく終わらせられる
雷なって都をさわがれたまい
天台座主これを加持被成
北野の右近の馬場に御廟所建て
南無天満大自在天神となり
都は鎮まる
筑紫にて御出世の御子、其の中より尾張に一人お越しになり、代々前田の庄に住み、自然と前田氏に成る
菅丞相の御子16人とも18人とも。
奥州に、北国に、能州、加州におわしますよし聞こえたり