るるの日記

なんでも書きます

蓮如の思想戦略・仏恩報謝の念仏という鎮静剤の調合

2021-04-21 15:02:53 | 日記
蓮如の布教用の手紙【御文】。それは【歎異抄】を貫く論理とは異質の旋律を奏でている。蓮如にあらわれる思想の核心は、不千斎ハビヤンが指摘されているものである

蓮如によって強調された【仏恩報謝の念仏】というのがそれだ。ハビヤン流にいえば、「仏から賜った過分の恩」「一方通行的な人間相互債務論」ということになる

■繰り返し言う
親鸞が提起した【悪の困難な問題】を正面からたじろがず見つめていたのは、蓮如であった

というのも、蓮如は一向一揆を通して【悪の不可避性】という危機的な局面に立たされていたからだ。その狂気をはらむ一揆を沈静させるため、蓮如は恩と感謝にもとずく道徳感情を注入した。【仏恩報謝の念仏】である

仏の恩に感謝し報いる、過分の恩の考えがそこに顕れている。それがやがて家の宗教を支えるモラルを形成していく。後に秀吉や家康が本願寺を保護する政策に転じたのも、これがあるためであった

親鸞の悪人正機説に危機的問題意識持った蓮如

2021-04-21 14:44:03 | 日記
■本願寺第八代・蓮如は浄土真宗を大組織に仕上げるうえで、大きな役割を演じた人間である

■蓮如は親鸞の【悪人成仏】の考えに危機的な問題意識を持った。正確に言えば【歎異抄】にいう【悪人正機】の説に対し、本能的に軌道修正の必要を直感したのが蓮如であった
蓮如は単純な悪人往生論の信奉者ではなかった

■蓮如は【一向一揆】という空前絶後の民衆運動に火をつけた張本人だった。その運動エネルギーは信長、秀吉、家康の軍団をしばしば窮地に追い込むほどの力を持つに至った

とりわけ信長は困難な石山合戦を戦うなかで、蓮如・本願寺の底力に恐怖し、蓮如の独自の救済論にたじろいでいた。蓮如は信長にとって打ち砕いておかなけねばならぬ天敵であった

■蓮如の救済論には、試練をかいくぐって生き延びるだけの強靭な信仰の核があらかじめ仕込まれていた

本願寺は石山合戦において信長に大敗北を認めて開場した。が、それにも関わらず全国規模で末寺、門徒を束ねる組織は微動だにせず、大教団を形成した

そのことを可能にする思想的酵母が、蓮如の【御文】と呼ばれる布教用の手紙の中に植え込まれていたことに注意しなければならない



宗教は破っても、恩を否定したら崩壊する

2021-04-21 14:16:04 | 日記
■ハビヤンの【内なる基準】には超越的なものへの志向が欠けている。神秘的体験への無感動という合理的姿勢が貫かれている。その【科学的思考】に基づいて、かれは神・儒・仏・キリストなど諸宗教の宇宙・創造論的な言説を破していった

【内なる基準】には【恩の授受による人間相互債務論】というのがあった。債権なき一方通行的な債務論であるが、この恩の軌道にのる者は社会的に是認され、それに外れる者は世間から復讐の報いを受け没落していく
高慢なバテレンが、仏教僧侶がハビヤン文書により断罪された

■ハビヤンは脱神道、脱仏教、脱儒教、脱キリシタンという道を求めつづけた男だった
ハビヤンがやろうとしていたことを政治の現場で実行してみせたのが織田信長だった。比叡山焼き討ち、高野聖千人の斬首、一向一揆の残滅作戦は、日本教の旗を押し立てた。我が国最後の宗教戦争だった

しかし、そもそも織田信長は日本教徒だったのか?むしろその増上慢は清盛と同様、日本教徒によって村八分に見舞われるべき逸脱行動だったのではなかろうか。そうであれば不千斎ハビヤンにとって信長は天敵だったことになる

織田信長はその【破・宗教】の徹底性において、まぎれもなく【日本教徒】であった。けれどもその過激な行動において【恩】を否定した。信長は反日本教徒への道を一人つき進もうとしていた

■信長が暗殺で死ななければならなかったのは、日本教徒の教義である【破・宗教】に踏み止まらず、さらに【恩の否定】へと突き進んでしまったからではないだろうか。信長は日本教徒を装いつつ、日本教徒を裏切ったのである

不千斎ハビヤン版・平家物語・そこには諸行無常の風など吹いていない

2021-04-21 13:35:24 | 日記
■ハビヤン不千斎の「内なる基準」は、ハビヤンが編集した【ハビヤン抄・平家物語】に明示され、かれの思想家としての正体が隠されている。日本教の本質が凝集し、日本教徒の論理が露顕している

■ハビヤンの平家物語は、冒頭の極めつけの数行をバッサリ切り捨てる

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」

この数行に結晶している、「平家物語」の主題を抹殺してしまう

■その瞬間からハビヤンの「平家物語」はまったく別の旋律を奏ではじめる

【驕りを極め、人を人とも思わぬ者はやがて滅びる。世の中が「諸行無常」だからなのではない。「盛者必衰」という運命の風が吹くからではない。そのような言説はたんなる思考の放棄にすぎない

人を人とも思わぬ罪を犯した者が滅びるのは、はっきりした滅亡の原因があるからだ

清盛こそ、驕りを極め、それがもとで滅んでいった典型的な人間である。なぜなら後白河院からの過分の恩を受けて太政大臣にまで成り上がったにもかかわらず、その可分の恩を忘れ、院に反逆する悪行を犯したからである

この世は過分の恩と、それに報いる返済の行為によって秩序が保たれている。過分の恩に対する返済の行為が伴わないとき、人間の基本的な関係は崩れ、社会の秩序が破れる】

■この世は、恩を基準にした合理的な賃貸関係の世界。人間誰しも【恩という債務】を負っている。それを【人間相互債務論】という

人は誰しも【恩を受けた】と債務を感じなければならないが、【恩を施した】と権利を要求してはならない
ハビヤン版平家物語に展開される恩論の基本構造は、一方通行的な人間相互債務論にある。債権の意識を排除して無限の債務を背負い続ける人間のあり方である

■清盛は、後白河院こそ平家に恩があるといい、債権のみを主張した。出世させてもらった過分の恩を忘れ、鬼になりはてたところに、清盛の滅亡の原因が潜んでいる
「人を人とも思わぬ罪」によって滅んだのだ

■恩が真に生きている世界というのは、債権なき一方通行的な契約に行き着く。その合理的な貸借関係を平家物語の中に投影したのが【ハビヤン版・平家物語】である

そこには未開で非科学的な積極性が欠如している。信仰といった概念がそこからは見いだしがたい

人間相互債務論
それがハビヤンの批判精神に潜む「内なる基準」である。その科学的な合理性を基準にして、かれはあらゆる宗教と、この世のすべての矛盾を破した

過分の恩に基づく人間関係を絶対の基準にして、日本人の倫理的行動の特質を浮き彫りにしたのである

棄教する思想的確信犯

2021-04-21 12:36:48 | 日記
■不千斎ハビヤンの生涯は入信と棄教という2つの鮮やかな分水嶺によって区切られている。ハビヤンは外部的な圧力によってでなく、自己の内心の論理にもとずいて棄教したのである

かれは、日本人キリシタン最高の知識人であり、教授、著作家、名士であった。普通ならその組織の中に安住し、キリシタンとして充実した人生を送ることができたはず

強烈なキリシタン迫害も、まだ足下にさえ迫っていない頃だった
どうして棄教し転向する必要があったのか?ハビヤンはむしろ得意の絶頂にあったはずだ

■「破文」の論理
破文とは、論敵を破壊することだ

キリスト教入信後に書かれた【妙貞問答】の目的は、仏教と儒教と神道を論破することにあった

それぞれにおける天地創造論と宇宙論をとりあげ、その荒唐無稽性を暴露し排撃している。そのかぎりにおいてハビヤンはまぎれもなく「科学的な人間」であった

キリスト教を棄てても、「破文」の論理は変わらなかった。まったく
同じ論理に基づいて今度はキリスト教の創造論と宇宙論が槍玉に上げられる。破キリスト教にすり替わっただけだ

ハビヤンは、信仰対象が替わっても、かれの論理は一貫していた。かれは独自の内的基準に基づいて論破していったのだ