■天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という元の名を捨てて、草薙剣(くさなぎのつるぎ)という新しい名にしたのはなぜか?
天叢雲剣は伊勢神宮にて、斎宮・ヤマトヒメからヤマトタケルに授けられた。【天皇の許可があれば、神器を継承できる】。ヤマトタケルはこれを携帯し東征に向かうが、結果的に天叢雲剣は熱田宮に収まる
熱田社に祀る際に、尾張氏が【草薙剣】という呼び名に変えたことになっている。
■尾張氏
尾張氏は、古代から全国に勢力を広げてきた【海人族】の中心的氏族で、壬申の乱では【鉄剣・刀】を大量に調達して、天武天皇の実現に寄与した
剣こそは尾張氏の存在証明であるのだ
■尾張氏は、ヤマトタケルの死後
天叢雲剣を朝廷に返上しなかった。そして草薙剣という新たな呼称をつけて、みずから祀った。それがヤマトタケルの遺言であったという理由で、、はたしてそんな勝手が許されるのか?
尾張氏が朝廷の許可を得て行ったという記録はどこにもない
これほどの重大事についての公式記録がない、、こと自体が不自然なのである
♦️答えは一つ
朝廷の許可は不要
朝廷が非難する必要もない
なぜなら、熱田に祀る草薙剣は、天叢雲剣ではないからだ
■ヤマトタケルは大活躍をしたが、その働きに神剣は何の働きもしていない。なぜなら草薙剣とは「草を薙ぎ払う」ことにしか使われていないからだ。これが草薙剣の能力であり、草薙剣は鎌刀である
玉も鏡も剣も、独自名がついている。理由があって名はついている。名には最大の情報が集約されている。
■名に相応しい刀剣が存在する
これを【素環頭大刀】という
鉄製・内反りの素環頭大刀は各地から出土している。内反り素環頭大刀は中国で製造されたものが、弥生時代に日本にもたらされ、やがて日本でも造られるようになったが、古墳時代から国産刀は直刀になっていき、内反り素環頭大刀は造られなくなった
■神器は国産でなければならない
草薙剣も国産でなければ神器の資格はない。ところが、、
熱田に伝わる実見記録によると、熱田の剣は、渡来の銅剣〈両刃〉である。これを草薙剣としている
■天叢雲剣は出雲由来で、スサノオがヤマタノオロチの体内から発見したものだ。スサノオがヤマタノオロチの尾を切ったら、刀の刃が欠けた。これはスサノオの剣よりも、草薙剣の方が硬度が高いということだ。
天叢雲剣は鉄刀であり、出雲の玉鋼(たまはがね)を鍛造したもの。繰り返し折りたたみ、打ち延ばしていく日本刀独特の鍛造による千枚鋼という構造の刀剣こそは、天叢雲剣である
スサノオは鉄刀ならではの
【叢雲】の刃紋を見いだし「つむはの太刀あり」と述べている
「稲穂を刈り取るための大きな刃物」という意味
鎌に似た、内反り鉄刀
素環頭大刀のことだ。スサノオは珍しいものだと思い、アマテラスに献上する。「草なぎの大刀」と名づけて
発見の段階から、草薙剣は、草薙剣と呼ばれていたのである。名づけ親はスサノオである
■熱田の剣は、草薙剣ではない。尾張氏がもともと保有していた伝来の剣で、熱田社はそれを祀る尾張氏の氏神社であった。渡来氏族・尾張氏の祖先が大陸江南から持って来た証なのである