るるの日記

なんでも書きます

古事記は蘇我氏の家伝であった

2021-11-02 17:14:46 | 日記
■出雲神話には大国主命の偉業が書かれて無い

ウサギを助けた
兄神から繰り返し殺される
スサノオにいじめられる
そんな話のどこが英雄なのか?
大国主命でなくても誰にでもできる
闘うシーンが無い
勇敢な描写が無い
頭脳明晰な対応が無い

大国主命の何が優れているかについて、具体的に何も書かれていない
(日本書紀にはいくつか書かれているが)
古事記は大国主命の具体性のない偉大さを讃えている。抽象的に偉大だとしている
そして、最後に国譲りだ
ムチャな要求に何の抵抗もしない
唯一の交換条件は「立派な隠居所を作れ」であった

なぜ古事記には、何よりもまず
大国主命の国家建設の逸話を掻かないのか?記すことはいくらでもある
いったい出雲神話は何なのか?

出雲神話がスサノオ神話であるというなら、わかる。大国主命はスサノオの引き立て役である、というのならわからなくもない

■古事記を書いて最も利益を得た人、それが作者(真犯人)である。ならば藤原不比等ではない。古事記の出雲神話によって利益を得ることはないからだ。

圧倒的な存在感はスサノオである。主役はスサノオだ。終盤においては、大国主命に試練を与えるばかりで、いじめのようであるが、最終的には逃げ去る大国主命に評価と保証の言葉を発している。結果的にスサノオの支援を受けたことになった
大国主命の建国はスサノオあってこそのものである

そしてスサノオは蘇我氏の氏祖神である。つまり古事記は蘇我氏のために書かれた。原本は蘇我氏みずからが書いた(ただしくは朗唱)。古事記は蘇我氏の「家伝」であったのだ

■大国主命の母は、大国主命を蘇生させている。2どめの蘇生は母自力で行う。これは医療ではなく呪術である。母は息子・大国主命にも呪術を伝授した
大国主命は武術に長けた男ではない。呪術や祭祀を本領とする巫体質だった

だから大国主命は勇敢な逸話はなく、闘わずに勝利できた。古代出雲は武力ではなく、信仰による宗教国家だった

藤原不比等は、その宗教的な記述をすべて削除させた。なぜなら異教であるからだ。大国主命が間が抜けているのは、行動の根拠としての宗教的記述が欠落しているからだ

蘇我氏は日本に仏教を持ち込んだ。それ以前に道教を持ち込んだ。巨大古墳築造技術、天文地理の知識、道教由来の呪術など蘇我氏の関与は広い

封印された諏訪湖

2021-11-02 15:56:50 | 日記
■天照大神は、【葦原の中津国】を譲り受けるために、フツヌシ神とタケミカズチ神を、中津国の王、大国主神のもとに派遣した。大国主神の長男・事代主神はすぐ同意

二男タケミナカタ神は、「力くらべで決めよう」と言ってタケミカズチ神の手をつかんだ。タケミカズチ神の手は氷柱と化し、さらに剣刃に変わる。タケミナカタ神は恐れて手を引っ込めた【天神の剣に負けた】

今度はタケミカズチ神が、タケミナカタ神の手を握り、軽々と投げ払う。タケミナカタ神は逃げ去るが、追い詰められ殺されそうになって言う「殺さないでくれ。ここより他へは行かず、この国は天照大神に献上する」こうしてタケミナカタ神は諏訪に鎮座した

■諏訪大社はタケミナカタ神を祀る。諏訪湖を挟んで北側に秋宮と春宮の下社二社。南側に本宮と前宮の上社二社がある。これらの四社を合わせた総称が諏訪大社だ

四社はそれぞれ東西南北を向いている。その中で本宮は北向きなのは怨霊神の封印であり、四社で諏訪湖を囲むありようは怨霊に対する最大限の封じ込めの呪術である

かつてとてつもない大地震があった。その痕跡がフォッサマグナであり、その真ん中に誕生したのが諏訪湖なのだ。これが封印された諏訪湖の意味である

オオクニヌシノミコトは怨念の集合体【因縁霊】

2021-11-02 15:25:32 | 日記
■古事記の出雲神話の最大の英雄はオオクニヌシだ。オオクニヌシはスサノオの六代孫。

出雲神話は国つ神の物語だが
オオクニヌシのために出雲神話は書かれている

■古事記は出雲についての多くは比喩の形をとる。それは編纂者である藤原不比等がありのままを記すのを許さなかったからだ

古事記の出雲神話の部分は、オオクニヌシ=出雲族を慰霊鎮魂するために、出雲族の事績を神話化するという目的で書かれている。だが、その神霊のカリスマ性までは許容できなかった。もしカリスマ化することになれば、再び大和朝廷の脅威となる

そこで比喩によるリアリティーの喪失がはかられた。まるで子供向けの童話のように

■古事記では、オオクニヌシは天孫ニニギに、みずから開拓してきた国を簡単に譲り渡した。息子二人はちょっと抵抗するが、オオクニヌシは自分のために立派な隠居所を建ててくれることを条件に、譲り渡す決意をした。その隠居所が出雲大社だ

オオクニヌシは隠居して
幽世(あの世)の主宰神となり
現世(この世)とは関わりない神となった。これは死を意味する

■現実の大和朝廷は国を譲られたが、オオクニヌシでなく国つ神から譲られたと言い、出雲の国造は国譲りを認めていない

オオクニヌシは国つ神の象徴
オオクニヌシは多くの別名を持つ
オオクニヌシは実体が定まらない
オオクニヌシは特定の固有性がない

大和地方(元々の出雲)を支配していたスサノオの末裔たちを征伐し、その末裔たちを合わせて出雲大社に祀りあげることによって、大和政権は成立した。オオクニヌシとは、スサノオの末裔たちの集合体の神名である

多くの血が流され
大和朝廷に対する怨みも残った
出雲大社はその鎮魂の社
オオクニヌシ〈出雲族、スサノオの末裔〉たちは鎮魂されなければいけないような死に方であった

大和によって出雲族が征服された事実を国譲りという美談に変換したのが古事記の出雲神話である


蘇我氏と素戔嗚(スサノオ)がつながった‼️

2021-11-02 14:34:33 | 日記
■蘇我氏の出自〈氏族名から〉
「蘇我」は訓読みすれば
「よみがえるわれ」である
蘇我氏一族はかつて栄え、蘇我稲目の頃ようやく昔日の栄誉を取り戻した。それで「蘇我(よみがえるわれ)」と名のった

【訓読みとは、漢字に本来ない読み方で、ヤマト言葉を当てはめたものである。音読みに限って当時の中国人と口頭で通じた】

■蘇我氏の出自〈神社から〉
神社には、氏族・血族ごとに「氏神」という特定の神社がある。その祭神は氏族の祖先神である。その神はかつて人として実在した。日本神話に登場するアマテラス、ツクヨミ、スサノオもかつて人として実在した。それより後の神々もすべて実在した
【氏神神社の名称、祭神、由緒、、これらを調べることで、その神社を氏神としている氏族一族が何者であるかを究明できる】

■蘇我氏の氏神
★宗我神社(神奈川県小田原市曽我谷津)
祭神・宗我都比古の命
宗我都比女の命
応神天皇
桓武天皇
小澤大明神
須佐之男命
熊野速玉神
仁徳天皇

鎮座して千年経つが、それでも乙巳の変から三百年以上後であるので、蘇我氏の由来は知ることができない。こちらは分霊で本社はもう一つの方だ。地名として曽我が残っているが、地名由来で結論は出せない

★宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこ神社・奈良県橿原市曾我町)
祭神・宗我都比古神
宗我都比め神

蘇我氏の出自は、大阪河内
本姓は石川
推古天皇の代に蘇我馬子が社殿をつくったとあり、何処から大阪河内へ来たのか明らかにしなければならない。石川はその後に派生した名である
この神社は蘇我馬子が氏神を祀り、氏神神社となったが、元々の氏神を隠すために利用される結果となった

宗我坐宗我都比古神社の祭神である男女神は、蘇我氏の氏祖ではなく、その地に古くから祀られていた陰陽の地主神であり、蘇我馬子は地盤固めのために、その地主神をとりこんだ

★蘇我という文字が使われている神社は三社あるが、いずれも蘇我氏が台頭して以後の祭神であり、蘇我氏はそれ以前は別の名乗りであった証拠である。古くからの氏族は必ずいずれかの神社に関係しているからだ。蘇我の名乗りは後発のものであることは明らかである

■「そが」の音に見合う文字は
蘇我、曾我、宗我、素鵞、須賀
蘇我、曾我、宗我からは出自が判明しなかった
残るは【素鵞】、【須賀】である
「そが」の元は「すが」と読んだ

素戔嗚命(すさのおのみこと)は
素を「す」と読んでいるからだ

すなわち
「スサノオ」は「すが」であり、すがは「そが」である
蘇我という氏族名はスサノオの直系でなければ、名乗るのがはばかれるような名であった

あすかは「あ、すが」である
飛鳥の地こそ、まさに蘇我氏の本貫地だ。
素鵞社は蘇我氏のルーツを明らかにする。
そして出雲が蘇我氏の故地である。

つながった!



蘇我氏の血筋は【皇統】だから日本書紀から削除した

2021-11-02 13:18:54 | 日記
日本書紀の改竄は、蘇我氏を貶めるのが目的であるが、蘇我氏の血筋にはふれることはできなかった。下層の出であったり、渡来系であったのなら、それを書かないはずがない。伝聞であってもこれ見よがしに書くだろう。藤原不比等の力をもってしても貶めることのできない系譜・血筋とは、、それは【皇統】である。
貶めることができないのであれば削除してしまうのが唯一とりえる方策である。こうして、蘇我氏の出自は日本書紀から消えた