■出雲神話には大国主命の偉業が書かれて無い
ウサギを助けた
兄神から繰り返し殺される
スサノオにいじめられる
そんな話のどこが英雄なのか?
大国主命でなくても誰にでもできる
闘うシーンが無い
勇敢な描写が無い
頭脳明晰な対応が無い
大国主命の何が優れているかについて、具体的に何も書かれていない
(日本書紀にはいくつか書かれているが)
古事記は大国主命の具体性のない偉大さを讃えている。抽象的に偉大だとしている
そして、最後に国譲りだ
ムチャな要求に何の抵抗もしない
唯一の交換条件は「立派な隠居所を作れ」であった
なぜ古事記には、何よりもまず
大国主命の国家建設の逸話を掻かないのか?記すことはいくらでもある
いったい出雲神話は何なのか?
出雲神話がスサノオ神話であるというなら、わかる。大国主命はスサノオの引き立て役である、というのならわからなくもない
■古事記を書いて最も利益を得た人、それが作者(真犯人)である。ならば藤原不比等ではない。古事記の出雲神話によって利益を得ることはないからだ。
圧倒的な存在感はスサノオである。主役はスサノオだ。終盤においては、大国主命に試練を与えるばかりで、いじめのようであるが、最終的には逃げ去る大国主命に評価と保証の言葉を発している。結果的にスサノオの支援を受けたことになった
大国主命の建国はスサノオあってこそのものである
そしてスサノオは蘇我氏の氏祖神である。つまり古事記は蘇我氏のために書かれた。原本は蘇我氏みずからが書いた(ただしくは朗唱)。古事記は蘇我氏の「家伝」であったのだ
■大国主命の母は、大国主命を蘇生させている。2どめの蘇生は母自力で行う。これは医療ではなく呪術である。母は息子・大国主命にも呪術を伝授した
大国主命は武術に長けた男ではない。呪術や祭祀を本領とする巫体質だった
だから大国主命は勇敢な逸話はなく、闘わずに勝利できた。古代出雲は武力ではなく、信仰による宗教国家だった
藤原不比等は、その宗教的な記述をすべて削除させた。なぜなら異教であるからだ。大国主命が間が抜けているのは、行動の根拠としての宗教的記述が欠落しているからだ
蘇我氏は日本に仏教を持ち込んだ。それ以前に道教を持ち込んだ。巨大古墳築造技術、天文地理の知識、道教由来の呪術など蘇我氏の関与は広い