るるの日記

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ベルサイユのバラ🌹「アデュウ(さらば)」ルイ・オーギュスト・カペー処刑

2021-11-27 17:20:02 | 日記
1793年1月20日
裁判中家族から引き離されていた国王は、死刑の前日ようやく愛する家族との別れを許されることになった
処刑は翌日10時から行われる

愛のない政略結婚ではあった。しかし妻と呼び夫と呼び、20数年間をともに生きた男性の深い愛情と誠実なやさしさは真実のものであった。激しい恋愛感情ではないにせよ、私はあの人を愛していたのだと、これもまた1つの愛であったのだと、長い夜にアントワネットは思いつづけていた

1月21日
「私の国民たちよ、私は罪なくして死んでゆく。しかし私を殺そうとする者たちを私は許そう。私の血が祖国フランスの幸福のいしずえにならんことを!
アデュウ、、(さらば)」

ルイ・オーギュスト・カペー(38)
王者にふさわしい立派な最期であった

ベルサイユのバラ🌹「フランスが栄えるためにルイは死ななければならない」361票対360票で、国王ルイ16世の処刑は決定した

2021-11-27 17:02:26 | 日記
1792年9月21日議会は解散
新しい憲法制定の目的を持って国民公会の幕は開かれた。この国民公会に第1位で選ばれたのがジャコバン派の指導者ロベスピエールだった。

そしてロベスピエールのかたわらに妖しいまでに冷たい美しさをそなえた最年少の議員レオン・フロレル・サン・ジュストが影のように寄り添うことになる

9月21日のこの日、フランスは正式に共和国となることを宣言し、国王ルイ16世に対し王政の廃止と退位を通告した
やがて国民公会では、ルイ16世の処刑について激烈な討議が介しされた

「国王の処刑なんてとんでもない!たとえ共和制になっても国王の神聖と、不可侵性には変わりはない!そんな恐ろしいことが許せるか!」

サン・ジュスト議員
「ルイはかつて国王であったけれど、共和制が確立された今、国王の不可侵性はすでに消滅している

国民のものである主権を一人占めし、国王として君臨することそのものが罪なのだ

祖国が栄えるために、ルイは死ななければならない」

歴史に残る名演説であった
361票対360票
1票の差でルイ16世の処刑は決定した



ベルサイユのバラ🌹フランスとオーストリア・プロシア連合軍との戦争・民衆の手で国王に忠誠を誓って残っていた最後の廷臣たちを虐殺

2021-11-27 15:54:54 | 日記
■1792年4月20日
フランスは、オーストリア・プロシア連合軍との戦争に突入した

いちはやく安全な外国へ逃れていたフランス国王の弟たちアルトアとプロヴァンヌが、この機会に兄を亡き者にし、王座を手に入れようと、さかんにフランスとの戦争を進めていったからである

■今のフランス国歌の始まり
「祖国は危機にあり!」の宣言にこたえ、フランス各地からパリへ義勇軍が集まってきた

「武器をとれ!市民たち!そして隊伍を組め!さあ進軍だ!」
ひときわ高らかに【ライン軍の歌】を歌いながらパリへ入ってきたマルセイユ義勇軍。名もない一兵士が一夜で作詞作曲したこの時のライン軍の歌こそが【ラ・マルセイエーズ】と呼ばれ、今日のフランス国歌になっている

■8月、、
そんな中、国王一家は一切の権利を奪われ、テュイルリー宮からタンプルの塔へ移された。同時にまだ国王に忠誠を誓って残っていた最後の廷臣たちも、牢獄に移され、裁判もうけられず民衆の手で虐殺された
犠牲者約1200名

ベルサイユのバラ🌹フランス国王「安全な場所から人を非難するのはたやすい。今まで誰も私と同じ立場に立たされた者はいない」眞子さんも

2021-11-27 15:33:12 | 日記
■1792年2月13日
フェルゼンはパリに戻りジャルジェ将軍(オスカル父)に会う
「ジャルジェ将軍、あなたは亡命もなさらずフランスにとどまって、国王陛下への忠誠をお誓いになられました。力を貸してください。私は今夜テュイルリー宮へ忍び込み、新しい逃亡計画を国王陛下にお話しするつもりです。私が殺されたら、、、あなたが後を継いで下さい」

■フェルゼン、まずマリーアントワネットに会う
フェルゼン家の紋章が彫ってある指輪をアントワネットの指にはめ
「未来永劫わたくしの妻はあなた1人です」

フェルゼンが命を賭けてテュイルリー宮へ忍び込んだその夜、二人ははじめて結ばれた。若い魂をうち震わせた初めての出会いから19年
二人を裁く者はただ神のみ

■次にフェルゼンは、アントワネット同伴の国王に会い新しい逃亡計画を国王に告げる

国王
「せっかくだが、私は逃亡計画を実行することはできない。私はフランス国民と、国民議会に対しもうパリから逃げ出さないことを約束した。国民との約束を破るわけにはいかない。それが国王としての最後のつとめだと思う

私は知っている。亡命した貴族たちが、私のことを決断力のない腰ぬけだと責めていることを

安全な場所から人を非難することはたやすいことだ。今まで誰も私と同じ立場に立たされた者はいなかった
いまや私は世界中から見捨てられてしまった

さあ、フェルゼン、夜が明けないうちにパリを発たれよ。今は私たちのために1つの命でも、1滴の血でも失って欲しくないのだ」

■マリーアントワネットも言う
「もはや、私たちは助かろうとは思っていません。危険から逃れるよりも、危険の中にあってこそより美しく女王らしくありたいと願っています。本当にありがとうフェルゼン、あなたが来てくれたおかげで勇気を持つことができました。立派な女王として死を待ちます。さあフェルゼン、戸口までお送りします。」

これが王妃マリーアントワネットと、スウェーデンの貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンとのこの世での最後の出会いであった

ベルサイユのバラ🌹国王に残された唯一の権限は「拒否権」のみ

2021-11-27 14:57:57 | 日記
■1791年
ブルジョワ階級(裕福な平民)は、革命によって力を増してきた貧しい労働者たちが、自分たちの財産を脅かすのではないかとおそれていた。そこで自分たちが始めた革命をこれ以上進行させないように、今度は何とか王政を守ろうという気持ちになっていた

■1791年7月17日
王政廃止と共和制を要求して、パリでデモ行進を行ったジャコバン党と貧しい労働者に対し、ブルジョワ階級側だったラ・ファイエット将軍は国民衛兵をつかって容赦ない虐殺を行い50人もの死者をだした。この事件によってラ・ファイエット将軍は辞職
以後議員同士の争いはますます激しいものとなっていく

■1791年9月14日
ついにフランス憲法が完成
国王はこれに裁可を与えた
国王に残された唯一の権限は
議会の作った法律が気に入らない時に、それを拒否できる拒否権のみであった