るるの日記

なんでも書きます

何も無い思いも無い地点で、何を間違えてしまったのか?

2021-11-13 17:18:48 | 日記
記憶が、思い(感情、念、魂、心霊、等々)を発生する大元かもしれない。
そして肉体にも血筋の傾向を記憶している遺伝子がある。それは目に見える物質で明らかにその存在は証明されているし、人類の発祥はアフリカ。ミトコンドリアイブは全人類が保持していて、、、

これって
心がさきか?体が先か?
この世が先か?この世以外が先か?
どちらが先かというと、【心とこの世以外が先】としか思えない
そしてその先は
【何も無い。思いも無かった】
ということになる

なぜだ?何も無い、思いも無い点からどうちて思いが生じたのだ?
何かを間違えてしまったのか?

本当の自分を知ることは、観察者の視点で生きることだが、そこからなぜ喜びが生まれるのかわからない

2021-11-13 16:06:07 | 日記
【自分を見つめ、本当の自分を知っていく】ということは
そんなに大層なことでも、特別なことでもありません。逆に「大層で特別なことをやる」という思いは傲慢で不自然

「今までの無意識な生活動作を意識してやる」だけ。たぶん、ヴィッパサナー瞑想に似ている。マインドフルネスにも。「今ここに生きている今の自分を、観察すること」である。
人生ドラマの主人公の自分を、自分が観察し、観察している自分が何を思うか。という観察者の視点で生きることが、充実感や喜びとなるようだが、、

観察まではできても、ルルはなかなかそこから充実感や喜びは見いだせない。。もう少しなんだけどなぁ

非日常的な刺激を求めて

2021-11-13 15:44:04 | 日記

■ルルはユーチューブで、事故物件に住んでいる人の自宅で起きる心霊現象を撮影した動画をよく見ています。ルルはユーチューバーの言葉を信じて「やらせなし」を前提に見ていますが、それは前提であり、「やらせはあるかもしれないし、無いかもしれない。どちらにしろ確たる証拠がないのだから、やらせなしの本物として見た方が面白いんだよね」というのが本心です

心霊現象の内容は
※トイレのドアが勝手に開いたり閉まったりを繰り返す

※トイレに置いてある便器を洗うブラシを倒す

※「どんどんどん」「コンコンコン」と大きなラップ音

※階段を上り下りする激しい足音

※得たいのしれないおじぃさんの叫び声

※玄関扉🚪の上方のすりガラスに映る黒い影。(すぐに玄関扉を開けても誰もいない)

※階段の上り下りを繰り返す霊に、ピコピコハンマーを振り回すと、「ピコッ」て、その後に階段を落ちる音がした

面白そうでしょ‼️

■このようなユーチューバーに対するコメントで「霊能者の橋本京明さんとコラボして、霊の正体をつきとめて成仏させては?」という意見がありまして、ルルも橋本京明さんは好きでコラボしてほしいのですが、、
やはりそうなると楽しみにしているユーチューブ素材が消えることにもなるので、、複雑です

■ルルにとって心霊動画は、非日常的な刺激を味わうための1つのツールになっています。この先はヨーガや瞑想での脳波の変化による神秘的体験という非日常的刺激も取り入れたてみたいものです。




エネルギーの原点は【記憶】かもしれない

2021-11-13 14:14:02 | 日記
■私たちの知る世界

物質世界はエネルギー
人間はエネルギー

私たちはエネルギーで
肉体が死んでもエネルギーとして存在するのは何となく理解できる
肉体が死んだら全エネルギーに吸収されるかんじで存在するが、エネルギーには【生きている私たちが持つ意識なんて無い】と思える

そのエネルギーが、活動過程で
肉体(脳)を持つから意識が生まれ
肉体(脳)が死ぬから意識も無くなる

■私の知らない意識だけの世界
3次元物質世界では肉体が無くなってもエネルギーは存在し、エネルギーは肉体や脳意識を生む。この循環は道理、筋道として理解できた

では、エネルギーの無い世界はありえるのか?エネルギー無く存在しえる何かはあるのか?エネルギーから作られた脳意識以外の意識はあるのか?

エネルギーは2種類あり、意識も2種類あることと仮定すれば

この世の物質エネルギーは
肉体(心の器)をなりたたせる働きを目的とし

自分の帰るべき場所(心の世界)のエネルギーは思いを発生させる働きを目的としている。がしかし、記憶の貯蓄がなければ思いは存在しない。もともとは記憶なかったんじゃないか?記憶ってガラクタだもん
記憶があるからいろんな思いが発生する。。記憶がエネルギーの原点か?




人生ドラマは段階的に個から全に広がっているが、そのストーリーは全から個へ焦点を絞ったものである

2021-11-13 13:09:58 | 日記
この地球上に生まれたら
そこに様々なドラマが繰り広げられる。人生はドラマです
よって天変地異もドラマです

人生ドラマをドラマとして見ずに
感情移入すると、人生ドラマの焦点がぼやけてしまう

ドラマの主人公である自分や、主人公と周囲の人たちとの関係、それによる出来事(ストーリー)等を見ている自分がいて、その見ている側の自分の思いに焦点をあてることで
人生を生きることの、何かのポイントを掴むことができる
人生ドラマ自体も、そこに出演する自分を含むすべての人々、繰り広げられるストーリーなどは、物質世界の出来事で感情的で有限で枝葉
諸行無常、諸法無我

その人生ドラマを見ている自分は、その物質世界から解き放たれた、形ない自分という個又は全、涅槃寂静
のはずなのに、ついつい感情移入しがちなのはなぜ?
ドラマの主人公の自分
ドラマを見ている自分
ドラマを見ている自分のドラマを見ている自分、、
と段階があるから、第一段階のドラマを見ている自分は形はないが、まだまだ愚かな自分だから感情移入という過ちを犯す
ドラマの主人公
それを見ている自分、、
永遠のように続く段階
その段階を消せばいい
できるのかしら?←今のルル意識