■時代と共に日本国民や皇室は変化してきた。そしてこれからも変化し続けるだろう。
前回のブログ記事で「天皇への忠誠心」のことを記した。その忠誠心は明治の王政復古から終戦までだ。昔の王政期は明治以降のように日本国一丸となって天皇を神のように敬うには物理的不可能で、天皇が掌握できる地域や民の範囲は大和周辺だけだっただろう。それ以外の地域は、中央から任命された国司が支配していたが、中央から遠く離れ、天皇の目の届かない場所であるのをいいことに、国司の不正がまかり通っていた
■やがて藤原鎌足、その息子藤原不比等が現れてからは、代々藤原氏が天皇を支える1番の側近となり、藤原氏出の娘は天皇と姻戚を結び、その娘の腹から生まれた男子が天皇となると、藤原氏は天皇の祖父となり、天皇家に藤のつるがからまるように、両家は共存してきた
■終戦まで婚姻は、家と家とが共存繁栄するための手段であり、政略結婚が当たり前であった。人間は家を繁栄させるために生きていて、それが本望だった。恋愛はしても、結婚は別とサバサバしていたかと思う。決して悲劇のヒロインのように結ばれない恋愛に酔ってみたり、誰かのせいや家のせいにすることなく、家の繁栄のためならと、割りきりも激しかったように思う
これは日本だけでなく、外国もだ。オーストリアの女帝の娘・マリーアントワネットは、国のために14歳でフランスに嫁いだ
地球上の人類は通信手段がない時代であるのに、なぜか同じような生きざまをしていたのが不思議だ。身分制度もしかり
■そして、各国に革命が起きる
日本は幕末から明治維新にかけ
尊皇攘夷運動がさかんになり、とうとう王政復古の命が下り、天皇を総帥とする国となり、戦争、朝鮮半島支配、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争へとつきすすむ
国民皆兵、欲しがりません勝つまでわの合言葉も空しく日本は敗戦。。
日本は当時、仲間外れ状態で情報網は遮断され、上官たちは「行くも地獄、退くも地獄」的な精神状態だったはず、、即された決断を時間伸ばししたから、広島と長崎に原爆が落とされたあげくの果てに、終戦を決断。あまりにも遅い決断。そして国民は玉音放送に涙する
神の国日本、現人神天皇は
終わった
■アメリカは天皇を戦争責任者として処刑せず、皇室も残した。なぜか?天皇を置くことで、天皇を通して、アメリカは日本国民を誘導できると思ったからかもしれない。アメリカは日本国憲法を作り「平和」を強調し、日本は戦争放棄する国へと生まれ変わった。。
そして、学校教育を通じて平和の大切さ、人権と自由を教えこまれ、家のためから個のためへと、生きる価値観は変わった
■それは皇室も同じだ。平成天皇が皇太子のとき、一般家庭の美智子さんと見合いのような恋愛結婚。そして秋篠宮さまも社宅住まいの紀子さまと昭和天皇喪中に恋愛結婚。今上天皇は外務省に勤務する雅子さまと結婚、、そして秋篠宮眞子さまは小室圭さんと儀式なし、一時金辞退しての結婚。そして日本国を捨てニューヨークに在住、、
■眞子さんの結婚の因果関係が見え隠れする。それはけっして前世からの因果関係などではなく「永年の皇族たちの、『つもり積もった欲望の実現』という遺伝子(自我)の現れ現象」ではないのか?
一般家庭でも、昔は許されなかった親の反対を押しきっての結婚や、簡単に離婚したり、はたまた不倫したりと、これも「永年のつもり積もった欲望の実現という遺伝子の現れ現象」ではないのか?
「本当は、本心は、好きな人と結婚したかった」
「本当は、本心は、嫌いになった人とは結婚生活に終止符をうちたかった」
「好きな人に妻子がいるけれど、抱かれたかった」
そんな地球上の人類の、永年の我慢の裏にある本心からの欲望が、遺伝子には組み込まれていて、今はその欲望が叶えられる時代であり、表面化しているのだとかんじる
■我慢を抱えた人のタイプの生きざまは左右にゆれる振り子のように、極端から極端へゆれる。体験し学び反省し、利他の幸せを考えられるようになれたらいい。我慢なく利他ができるように、仕方なくではなく利他を自分がしたいからするというように。自分も他人も幸せなバランス。中道にたつと、左右にふれる振り子は中央に停止する
しかし、振り子を揺らす「我慢の遺伝子」を納得させるには、一旦は好きにやるしかないのかもしれない。体験や経験を通じてでしかわからない。
■やはり遺伝子が納得するまで、我慢を抱えたその人は遺伝子に固く拘束されているイメージだ。自由をはきちがえて自由なはずなのに、心が不自由な感覚があるのは自我(遺伝子)の囚われ人だからだ。私もだからよくわかる