るるの日記

なんでも書きます

喜びという感情がわいた時、その奥底にはマグマのような悪玉的感情が有りました

2021-11-24 16:37:17 | 日記
■私は1人の時は
物事を深く考え過ぎる。そして考え過ぎるから、心配性になってくる
根本的に人から良く思われたいし悪く思われたくないから考え過ぎる。過去の言動を後悔したり、未来の自分の理想像を思いえがく
そんな自分が嫌だった

■最近、夢の中の自分の表面的な感情と、その表面的な感情の奥底にあるマグマ的な感情の存在に気づくようになった。
今朝見た夢の中の私は「喜び、嬉しがっていた」が、その奥底には得意気になっている傲慢な自分が、周囲を見下していた。

その前も「喜び、嬉がっていた」が、その奥底には自己顕示欲と承認欲求が満たされ「どんなもんだい私は!」という傲慢さが渦巻いていた。

【喜び、嬉しい、楽しい、、】などの肯定的な感情の奥底には、マグマのように渦巻く自己顕示欲、承認欲求、上に立ちたい傲慢さ、上から目線、人を見下したい、などのマイナスの欲望が種子としてあることを知る。

その種子の存在を知った時、私は、恥ずかしくなり、そのマイナスの種子を消しさりたいと思った。だってそれは、、私の理想とする清浄な人格でははないから、、
消しさることなんてできない
しかたがない。それが私の持つ人格だから、、とあきらめようとするが、どうしても理想的な自分に成りたいし、嫌な自分が存在することは悲しい、と否定する
理想の自分は持てばいい
だけど今の自分は悪人なのだ
ということに、気持ちをおとしこんだら、楽になった

■最低な自分を知り、認め、受け入れると、楽になることを知る。「だって私は最低な悪人なんだから」という開き直りのような気持ちは、自己肯定感なんだろうか?とにかく飾り気なく楽に自然体に生きれるような気がする
人からよく思われたいんだね自分はと、なでなでしてあげたくもなる。嫌な自分に対する慈悲なんだろうか?

とにかく
嫌な自分を認めて受け入れることで、力みが抜けて楽になりました
今まで背伸びして無理してきたようだ。分不相応に。
「だって私は悪人だもの」



皇族や一般国民に潜む「我慢してきた遺伝子」

2021-11-24 15:20:16 | 日記
■時代と共に日本国民や皇室は変化してきた。そしてこれからも変化し続けるだろう。
前回のブログ記事で「天皇への忠誠心」のことを記した。その忠誠心は明治の王政復古から終戦までだ。昔の王政期は明治以降のように日本国一丸となって天皇を神のように敬うには物理的不可能で、天皇が掌握できる地域や民の範囲は大和周辺だけだっただろう。それ以外の地域は、中央から任命された国司が支配していたが、中央から遠く離れ、天皇の目の届かない場所であるのをいいことに、国司の不正がまかり通っていた

■やがて藤原鎌足、その息子藤原不比等が現れてからは、代々藤原氏が天皇を支える1番の側近となり、藤原氏出の娘は天皇と姻戚を結び、その娘の腹から生まれた男子が天皇となると、藤原氏は天皇の祖父となり、天皇家に藤のつるがからまるように、両家は共存してきた

■終戦まで婚姻は、家と家とが共存繁栄するための手段であり、政略結婚が当たり前であった。人間は家を繁栄させるために生きていて、それが本望だった。恋愛はしても、結婚は別とサバサバしていたかと思う。決して悲劇のヒロインのように結ばれない恋愛に酔ってみたり、誰かのせいや家のせいにすることなく、家の繁栄のためならと、割りきりも激しかったように思う
これは日本だけでなく、外国もだ。オーストリアの女帝の娘・マリーアントワネットは、国のために14歳でフランスに嫁いだ
地球上の人類は通信手段がない時代であるのに、なぜか同じような生きざまをしていたのが不思議だ。身分制度もしかり

■そして、各国に革命が起きる
日本は幕末から明治維新にかけ
尊皇攘夷運動がさかんになり、とうとう王政復古の命が下り、天皇を総帥とする国となり、戦争、朝鮮半島支配、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争へとつきすすむ
国民皆兵、欲しがりません勝つまでわの合言葉も空しく日本は敗戦。。
日本は当時、仲間外れ状態で情報網は遮断され、上官たちは「行くも地獄、退くも地獄」的な精神状態だったはず、、即された決断を時間伸ばししたから、広島と長崎に原爆が落とされたあげくの果てに、終戦を決断。あまりにも遅い決断。そして国民は玉音放送に涙する

神の国日本、現人神天皇は
終わった

■アメリカは天皇を戦争責任者として処刑せず、皇室も残した。なぜか?天皇を置くことで、天皇を通して、アメリカは日本国民を誘導できると思ったからかもしれない。アメリカは日本国憲法を作り「平和」を強調し、日本は戦争放棄する国へと生まれ変わった。。

そして、学校教育を通じて平和の大切さ、人権と自由を教えこまれ、家のためから個のためへと、生きる価値観は変わった

■それは皇室も同じだ。平成天皇が皇太子のとき、一般家庭の美智子さんと見合いのような恋愛結婚。そして秋篠宮さまも社宅住まいの紀子さまと昭和天皇喪中に恋愛結婚。今上天皇は外務省に勤務する雅子さまと結婚、、そして秋篠宮眞子さまは小室圭さんと儀式なし、一時金辞退しての結婚。そして日本国を捨てニューヨークに在住、、

■眞子さんの結婚の因果関係が見え隠れする。それはけっして前世からの因果関係などではなく「永年の皇族たちの、『つもり積もった欲望の実現』という遺伝子(自我)の現れ現象」ではないのか?

一般家庭でも、昔は許されなかった親の反対を押しきっての結婚や、簡単に離婚したり、はたまた不倫したりと、これも「永年のつもり積もった欲望の実現という遺伝子の現れ現象」ではないのか?

「本当は、本心は、好きな人と結婚したかった」
「本当は、本心は、嫌いになった人とは結婚生活に終止符をうちたかった」
「好きな人に妻子がいるけれど、抱かれたかった」
そんな地球上の人類の、永年の我慢の裏にある本心からの欲望が、遺伝子には組み込まれていて、今はその欲望が叶えられる時代であり、表面化しているのだとかんじる

■我慢を抱えた人のタイプの生きざまは左右にゆれる振り子のように、極端から極端へゆれる。体験し学び反省し、利他の幸せを考えられるようになれたらいい。我慢なく利他ができるように、仕方なくではなく利他を自分がしたいからするというように。自分も他人も幸せなバランス。中道にたつと、左右にふれる振り子は中央に停止する
しかし、振り子を揺らす「我慢の遺伝子」を納得させるには、一旦は好きにやるしかないのかもしれない。体験や経験を通じてでしかわからない。

■やはり遺伝子が納得するまで、我慢を抱えたその人は遺伝子に固く拘束されているイメージだ。自由をはきちがえて自由なはずなのに、心が不自由な感覚があるのは自我(遺伝子)の囚われ人だからだ。私もだからよくわかる

眞子さん、そんなに日本国や日本国民や天皇がお嫌いですか?

2021-11-24 13:33:08 | 日記
小室夫妻の結婚にはさまざまな反対意見があった。だが二人の、特に眞子さんの強くぶれない意思により、はれてご結婚の運びとなり、眞子さん主導により、二人は現在ニューヨークに在住している

日本国憲法では「結婚は本人の合意によって成立」すると定められているので、国民や、秋篠宮ご夫妻や、天皇や他の皇族がどんなに反対しようとも、眞子さんは日本国民の1人たまから、二人が合意すれば結婚は成り立つ。なので二人の結婚が成立したのである
これがもし憲法に「皇族だけは本人の合意と、国民の半数以上と天皇の同意が必要」だと定めてあればこの結婚は成り立たなかったし、眞子さんも思春期に「自分の好きな人と結婚する」という期待を持つ思いにはならなかったであろう

戦後新しく日本国憲法が作られたとき、敗戦国日本は二度と戦争をしない国になるように、アメリカの意見をとりいれた。自由と平等、戦争放棄、、そして天皇は神ではなく日本の象徴に引きずり下ろされた。日本人の「天皇のために死ねた」あの精神は、心の奥深くに隠され、天皇のために死ぬその精神は危険視され、ばかげた精神とされ、命をかけた天皇への忠誠心は隠された。だがその精神は隠されただけで、失ったわけではなかったということを今回の眞子さんの結婚問題で思い知らされた

潜在意識の奥深くに封印された「天皇を敬う思い」が甦り、「本人の合意のみでの皇族の結婚は、天皇と日本国をダメにする」という危機感を持つ。と共に天皇を敬う思いが、外国に染めあげられた物質至上思想とからみあい「税金で結婚生活をおくるのか」「SPやアパートのための資金の出所はどこだ?」「またロイヤル忖度か」という意見が多発する
【本心であり真心である、天皇を敬う思いが、私が支払った税金がどのように使われるのかという思いとミックスしてしまった】

それもこれも、眞子さんは今上天皇の姪っ子であり、次期天皇の姉。そのような立場にありながら、なぜあの人と結婚し、日本国を捨てて物価の高いニューヨークに住むのか、、
?そんなに日本国や日本国民や天皇が嫌いなのか?
と、日本国民はやりばのない怒りと、眞子さんは日本国を捨てるほどに、天皇を捨てるほどに、嫌な国なんだろうか。。と不安におののいてみたり。。
このように
小室眞子さんの行動によって、現在の日本の多数の中の、眞子さんのとらえる日本の一つの姿が浮かび上がるのである

眞子さんの妹、佳子さまが婚約する前に、皇族の結婚に関する皇室典範を改正されたらどうか?佳子さままで日本を捨てる可能性があるかもしれないから、、
だけど、国民の欲望で1人の人間を縛るのも酷だけど、、




小室夫婦は私の知る一般人ではなかったが、それは仕方がないことか?

2021-11-24 10:14:56 | 日記
眞子さんの1人でお買い物報道を見た。日本では小室夫婦の暮らしぶりを「そのお金は国民の税金じゃないのか?贅沢すぎる!」などと批判する人たちがいる。私もそういう気持ちがありましたが、半分は私には関係ない立場の女性の暮らしを送る「元皇族の小室眞子さんストーリー」という映画を見ているような気分である。皇族が一般人になるということは、私が知る一般人ではなく、非現実的な一般人の暮らしぶりなのでニューヨークで暮らす小室夫婦報道には興味がある
(次回はどんなストーリー展開になるのかと楽しみにしている)→私は悪人?

小室圭さんは現在、ニューヨークの弁護士事務所に勤めている。それまでは学生だったため働いておらず、生活費は日本にいた時に働いていた弁護士事務所が出していたらしい。圭さんはその日本の弁護士事務所に戻らずに、ニューヨークの弁護士事務所に就職してしまったのだが、そうなると3年間の生活費は、普通なら元いた会社に返済しなければいけないお金だと平民の私は思うし、そもそも奨学金を貰いながらニューヨークの大学へ入学できてたことなど、矛盾だらけで負に落ちないことが多々あった

だが、すべては眞子さんの指示だと結婚記者会見で、眞子さん自身が発表されたことで全ての矛盾が解明された。「皇族忖度がまかり通っているのだ」と

それまでの私の皇族のイメージは、「国民の税金で生活しているのだから、質素倹約を心がけて暮らしていらっしゃる」と思っていたが、金を湯水の如く使うのが皇族なんだということを眞子さんのおかげで知ることができた