■フランス国王の愛人デュ・バリー夫人は、宮廷で人気の高いオスカルを味方につけることを企み、オスカルの母親を自分づきの侍女にしたいと王太子さまに願い出た
それを聞いた王太子妃アントワネットも、オスカルの母親を主席侍女にしたいと願い出た
オスカルは、母親を宮廷の争いにまきこみたくはなかったが、国王の命令でどちらにつくかを選ばねばならなくなった。オスカルはアントワネットつきのがましだと思い、アントワネットつきに選ぶ
翌日、アントワネットのデュ・バリー婦人に対する第1番目の勝利の噂でわいていた
■あんのじょう、デュ・バリー夫人は怒り、国王に泣きつき、国王から「アントワネットのデュ・バリー夫人に対する振る舞い」について注意と警告がはいった
これが、アントワネットの祖国オーストリアにも連絡がはいり、アントワネットの態度が政治的にまずいという形にとらえ、オーストリアの大統領からアントワネットに手紙が送られた。
アントワネットはデュ・バリー夫人に対する態度を改めたか、、?
答えは否である
一切無視の態度は変えなかった
■これはフランス国王ルイ15世の命令をも無視したということだ。
命令に従わないアントワネットに対して国王はしびれをきらし、アントワネットの教育係を呼び「態度を改めた方が身の安全だと、わからせてくれ」と頼んだ
■アントワネットに教育係は、宮廷で国王にさからったり、都合の悪い人物をかたづけた「毒薬」について話して聞かせた
「アントワネットさまお一人がかたづけられるのならばまだいい。国王は事よっては、オーストリアとの戦争も辞さないほどのご立腹
そうなると、母親マリア・テレジアさまが生涯最大の力をそそぎ込んで成立した、オーストリア・フランス同盟はどうなります?
同盟が破れ、戦争をするようなことになれば、それはすべてアントワネットさま、あなたの責任でございますよ」
わかりました
あの女に一度だけ声をかけます
でもこれは、私の意思ではありません。オーストリアのお母さまのためです
■しかし、アントワネットがデュ・バリー夫人に声をかけようとした日、その時に、「もう退出の時間です」と、オールドミスのおば君たちがアントワネットを連れ出し、声かけを邪魔した
国王「もう、我慢ならん!オーストリア・フランス同盟は破れた!戦争だ!」
■1972円1月1日
アントワネットがベルサイユに来てから2年たって、初めてデュ・バリー夫人は、最初のことばをかけてもらった
「きょうは、、ベルサイユは、たいへんな人ですこと、、」