1788年フランス政府は深刻な財政困難に陥り、王室は破産寸前の状態となった。大蔵大臣ロメニー・ド・プリエンヌの倹約政策により、宮廷に勤めていた多くの者が免職になり、600名の兵士は解雇されたが、長い間の浪費と贅沢のために積もり積もった赤字はそんな倹約政策ではもはやうずめることができない程巨大なものになっていた
この14年間に銀行や他国からの借金は54兆円に達した
アントワネットは言う
「では、税金を増やせばいいじゃありませんか。税金を納めるのは国民の義務です。このままでは王室は破産してしまいます」
しかし新しく税金を増やすためには、高等法院の許可がいるが、高等法院が許可するはずがない。国王といえど高等法院の許可なしには何もできない
高等法院
最高裁判所、全国14ヵ所に設置
政治や王室を批判する権利を持ち人民に人気があった。法官は貴族であったが家柄がないため宮廷に出入りできず国王を憎んでいた。高等法院と王室のケンカは歴史が深い