1793年1月20日
裁判中家族から引き離されていた国王は、死刑の前日ようやく愛する家族との別れを許されることになった
処刑は翌日10時から行われる
愛のない政略結婚ではあった。しかし妻と呼び夫と呼び、20数年間をともに生きた男性の深い愛情と誠実なやさしさは真実のものであった。激しい恋愛感情ではないにせよ、私はあの人を愛していたのだと、これもまた1つの愛であったのだと、長い夜にアントワネットは思いつづけていた
1月21日
「私の国民たちよ、私は罪なくして死んでゆく。しかし私を殺そうとする者たちを私は許そう。私の血が祖国フランスの幸福のいしずえにならんことを!
アデュウ、、(さらば)」
ルイ・オーギュスト・カペー(38)
王者にふさわしい立派な最期であった