■木地師■
●轆轤(ろくろ・回転する装置)を使い椀や盆等木工品を加工製造する職人
9世紀・近江国蛭谷(滋賀県近江市)に隠棲していた小野宮惟喬親王(文徳天皇の第一皇子→藤原良房策略で廃太子→弟が立太子)が周辺の杣人(そまひと・木を植樹し材木を採る人)に木工技術を伝授したのが始まり
●惟喬親王を業祖と仰ぎ
親王の家来・大政大臣【小椋香実】の子孫を称し、諸国の山に入り、山の七合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証する朱雀天皇の綸旨(りんじ・天皇の命ずる文書・西は船で東は馬で行ける所ならどこでも自由に木地の仕事に入ることを許可する)の写しを所持し、山中を移動し生活する集団
●木地師必需品
身分保証、免許状等文書類
絵符
菊花紋章の提灯、衣、冠
これらを第三者に提示して、その特権を承認させ、伐採・木地作業をする。他にそこが適地であれば開墾し定住することもあった
●里の人々や、漆掻き・塗師等職人と交易し生計をたてた。中には移動生活をやめ集落を作り焼畑耕作と木地挽きで生計をたてる人々もいた。そうした集落は移動する木地師たちの拠点ともなった
●幕末は東北~宮崎7000戸
明治中期まで美濃中心に全国各地を木地師たちが良質な材木求め20~30年単位で山中を移動した