ただし、この「楽しい」というのを、受け手(例えば子ども達)に、どう
感じてもらうのかは、本当に難しい。
10年以上前に、TV局の記者の方が話していたのだが、
「力を入れて製作した番組であまり視聴率がとれず、意外な番組が視聴率を取れたりするから、視聴者の実態をつかむのが
本当に難しい。」
と話していた。
マスメディアですらそうなのである。出し手(教師)が受け手(子ども)に対して、「楽しいだろう」などと決め付けるのは
おこがましいのではないかと考える。
だからこそ、子ども達が「楽しんでいる」という実態を大切に考えないといけないのだと考える。
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そろそろ結論を・・・。
いろいろダラダラ述べてしまったが、結論としては
「楽しいだけで、いい。」
ということである。
しかし、その「楽しい」という状態については、常に振り返る必要があると思う。
私は少なくても以下の点は、「楽しい」といっても避けるべきだと思う。
・自分や他の誰かを不快にして「楽しい」という状態。
不快に感じる人が1人でもいるのなら、どんなに大勢が「楽しい」といっても慎重に行うべきだと思う。
(たとえば、「参加しない自由」を保障するとか。)
これまでの価値観で「楽しい」というものでも、これからはどんどん変わると思う。
そうなったときに、
・なぜ、楽しいのか?
・なぜ、楽しくないのか?
そこの振り返りを常に心がけていけば、やはり「楽しいだけで、いい。」と、私は考える。
あまりまとまらない感もあるが、「楽しさ」についての1つの意見として書いてみた。
(おわり)
-K.O-