この間の日曜日、ポカポカ陽気に誘われて千葉青葉の森公園へ。
目的は春を感じ取るため…😀
そう、梅を見に出かけたのです。
ここは千葉市の中心部からは少し南東に位置する緑豊かな公園で、かつて、農林水産省畜産試験場だった跡地につくられ、1987年(昭和62年)に開園したものです。
敷地面積53.7haで、ネイチャーゾーン、レクリエーションゾーン、カルチャーゾーン、スポーツゾーンに分けられ、陸上競技場・野球場などのスポーツ施設や博物館や文化ホールなどの文化施設があります。
初めて訪れたのですが、下調べもせず只々梅を見たくて園内を巡る外周道路を歩いて行きました。
すると、偶然にも木々に囲まれた狭い道を発見したのです。
これが、「土気往還」(旧東金街道)だったのです。
この道は江戸時代に房総半島の外房と内房を繋ぐ重要な街道だったのです。
当時、港だった登戸から東の方へ延びていて、ここ青葉の森公園を通って松ヶ丘付近で左右に分岐していたのです。
即ち左側が東金方面へ向かう「東金街道」、右側が九十九里方面へ向かう「土気往還」だったのです。
今でも九十九里の鰯料理は有名ですが、江戸時代には大量に獲れた鰯を砂地に干して干鰯(ほしか)という肥料にしていたようです。
当時にわかに需要の高まった木綿の文化を維持するため、綿の栽培に重要な肥料として使われたようです。
こうして、九十九里から江戸へ通じる輸送路は極めて重要な位置を占めていたようです。
街道の名称ともなった「土気」は、継場として五街道の宿場的な役割を果たしていました。
私はかつて何度か訪ねたことがありますが、当時の面影はほとんどありません。
おそらく近代に移ってからは衰退の道を辿ったものと思われます。
ここ青葉の森公園に残る古道は、大正時代に設けられた「畜産試験場」のお陰だと言っても良いでしょう。
自然を大きく変える必要もなかったのだと思います。
因みに東金街道は私の住む船橋市から始まっており、その延長が現存するこの古道だというわけです。
馬車が一台通ればすれ違いも容易でなさそうな道ですが、当時はもう少し広かったのではないかと思います。
とにかく、本物が残ってくれていたのは有難いことです。
思いがけず「お宝」に出会えて喜んでいた先に、本来の目的地に到着しました。
梅園は早くも紅白の美しい梅を咲かせていました。
紅梅では(オオサカズキ)と(ヨウキヒ)、白梅では(タマボタン)と(アオジク)が目につき、名前も覚えました。
オオサカズキは早咲きのようですが、この梅園の梅は他の場所に比べて早いような気もしました。
桜の様な派手さはありませんが、春を感じるには十分な趣を醸していました。
-S.S-