表現や、方法なぞを伝える事が、ブログを書きながら分かってきたような気がする。
住まいづくりに長年携わって来て、多くの住まいを造り、多くの作られた物件を見て来ましたが、それぞれに違った建て方があり、表現方法はあるが、何時も疑問に思うのは、建物の単価が何故こんなにばらつきがあるのだろうと思っている。
そこには、建物に関わった業者の体質や考え方が大きな要素になる事は間違いないが、建物に使われている建材や仕上げ材は、特殊な物ではなく殆ど同じような素材を使い作られており、その金額には大きな開きは無いはず。
にも関わらず、建物の金額に大きな開きがでるのは何故なのかと考えたとき、そこにはその建物を作りあげる業者のさじ加減によって変わってくる事は確かな事であり、もう一つの大きな要因は、その会社が確保しなければならない経費の違いが大きく、大きな組織ほど多くの経費が必要となって、
総工費の40%が建物に反映されない経費として消えてしまう場合もある。
しかし、一般ユ-ザ-からは、その内情を見抜く術も無く、どれほどの経費が必要なのか、自分が作ろうとしている工事費の原価は一体いくらなのか
それすら分からないまま住まいは造られている。
建築業界に37年間生きてきた中で何時も感じているのは、「日本はなんて平和な国なんだろう!」・・・と。
殆どの人達が 無駄な経費や無駄な工事費を支払っており、工事費と建物の品質がずれいる事にも気付かす、完成した結果だけを喜び、中身をあまり気にしない。
せっかく 大金を注ぎ込んで建てる建物なのに、業者を紹介してくれた友達との関わりを優先し、疑問が起きても、紹介された友達と気まずくなってはいけないと、第三者を入れ内容を査定しようとも思わない。
もし、査定した結果、500万円もの開きがあることが分かったらその人はどうするのだろう?
それでも友達との関わりを優先し、紹介された業者の言うままに受け入れられるのだろうか?
そんな疑問が 私には常にあり、なんで日本人は、もっと利口に生きられないのだろうと何時も思っている。