テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

MANY WINTERS

2013-04-12 22:16:46 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
邦題を「今日は死ぬのにもってこいの日」という、恣意的なタイトルを付けられた本です。
タオス・プエブロ族の古老が語る、「死」が日常と自然の中に織り込まれることによって、却って、「生」の高らかで穏やかでしかもダイナミックなありようを浮き彫りにする、70年代からアメリカで始まったネイチャー指向の出版の一環だと思います。
アメリカでは1974、邦訳は1995で、私が買ったのは初版でしたから18年前になります。



「今日は死ぬのにもってこいの日だ。生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。今日は死ぬのにもってこいの日だ...」



「わたしの中には、遠く広く見るのだと教えてくれた鷲と一緒に、東へ向かって旅をする『少年』がいる。鷹は改まって、こう言った、君が住んでいる小さな世界などあんまり重要ではない、と思えてくるような『飛翔の時』というものが、この世にはある。君の目を天空に向けるべき時間があるのだ...」



書評から抜き出した、この本のなかでも特徴的な文章です。
タイトルや、上の文章だけから受けるイメージと違って、多くの厳しい冬から、当たり前のように自然は春へと孵化して立ち上がり、また冬へと向かうという、生き物の力強い営みを讃え、人間もまた自然の理にかなう生き方をする力強い生き物である普遍的な事実を書いた本でもあります。
スピリチュアル、ヒーリングといった概念でこの本を読むと、すこし解釈を誤るかもしれません。自然には当たり前の事実が満ちていて、当たり前でない数々の辛苦は、人間自らが産み落としているものでしかないという基本的なことの象徴を、構えずに自然体で捉えて語っている、そんな印象を持っています。
何かが、リセットされる、そんな風に言い換えても良いかもしれません。