テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

携帯電話の功罪

2013-04-23 22:22:34 | シロートの戯言
現代の社会で、おそらくもっとも様変わりしたのは、携帯電話の普及でしょう。
かつて携帯のない時代の社会では、特に、行動範囲、交遊範囲の広い都市部において、特定の個人と出会うには、近隣地域、同じ組織(会社、学校など)に属する、同じ趣向を持っているなどの条件が必要でした。加えて、その個人と待ち合わせする際でも、駅で待ち合わせても、西口と東口ですれ違ったり、同じ書店の看板の前でも、人混みに紛れて、なかなか会えなかったり、携帯が普及したいまでは、考えられないようなことがあたり前でした。

そんな時代の象徴みたいな浜田省吾さんの「青の時間」という歌が好きでした。


都会の夕暮れの、街が青っぽく染まる時間に、なすすべもなくクルマにあふれた高速の上で、寂寥にもにた孤独感を味わうさまを描いているのですが、恐らく、携帯電話の普及したいまどきの人たちには、この歌の意味が判らないでしょう。

ある意味、個人のコミュニケーション手段が過剰に供給されているからこそ、先日のメール障害が問題になったり、コミュニケーションに依存しすぎて、コミュニケーションに頼らない解決手段を考える能力が希薄になりつつあるとも考えています。

紛れもなく便利な携帯電話(ネット機能含む)ですが、便利になるということは、いままでの不便を享受できないことでもあると思います。